第9話
神社の前を通ると夏祭りの準備をしていた。
そうか、今日は夏祭りだ。
スーパーの中もオープン前から慌ただしい。
今夜はそれぞれの家で、ご馳走を囲んだりするのだろうか。
昔はうちも、家族でちらし寿司とかおでんとかスイカを食べた。
なぜか夏祭りの時はそのメニューが定番だった。
お母さんは若い彼氏と恋に落ちて家を出て行った。
一緒に来る?
と誘われたけど、お父さんがかわいそうだからついて行かなかった。
そしたら一年も経たないうちに、お父さんも恋に落ちた女性と出て行ってしまった。
二人とも決まって「これは純愛やから」と言った。
いつか私も純愛の恋に落ちれば、二人を心から祝福することができるようになるのだろうか。
うおさかでも、朝からお祭り用の特別割引商品を用意していた。
甘鯛の切身や、さんまの開き。
なかなかの売れ行きだ。
スーパーの中はいつもより二割増しでざわついている。
私はまだ一度も「らっしゃい」が言えていない。
大将も奥さんも何も言わないけど、きっと待っているのだと思う。
今ならこの喧騒に紛れ込ませることができるかもしれない。勇気を振り絞ってみた。
「いらっしゃい、ませ」
周りを見たが、誰も気づいていない。
もう一度言ってみた。
やっぱり誰も気づかない。
大丈夫。
もう、大丈夫。
もう言える、大丈夫。
「この甘鯛って、どうやって料理するの?」
「きれいな白身でしょ。
バターと相性がいいので、塩コショウを少うししてからムニエルにされると、簡単やしとってもおいしいですよ。
今日はお祭りなので、フライやとパーティー気分でいいかもしれませんね」
奥さんがいつもお客さんに伝えているレシピを覚えて、
最近はアドリブを多少交えながら言えるようになった。
私が特に気に入っているのは「塩コショウを少うし」の「少うし」の部分。
「う」を入れて伸ばすだけで、やたら本格的に聴こえる。
これは奥さんの口癖をそのまま真似ただけだけど、これを言うだけで、魔法をかけたみたいにおいしそうになる。
なんだか売れ行きも違ってくるような気さえする。
甘鯛のムニエル。
見たことも食べたこともない料理だけど、上手に伝えることができるようになった。
それにしても毎日料理をしている主婦たちが、よく高校生に料理方法を尋ねて平気だなと思う。
「お客側から見ると、高校生だろうが小学生だろうが、ここに立っているだけでその道のプロやから」
奥さんはクールではきはきしゃべるので、ときどきすごくきつい口調になる時があるけど、納得できることしか言わない。
感情論でものを言わないところが、カッコいいと思う。
「今日は夏祭りやし、忙しいけど早よあがってもらってええからね。
お弁当食べたら帰りや」




