3、地獄行きの接吻
リトセラスとヴァカムエルタの中立の壁が崩れなかったことは、大公国の運命を決定づけた。大公国政府は、連合からの支援が間に合わないという絶望的な孤立を突きつけられた。
この外交的な膠着状態は、帝国にとって最高の好機となった。皇帝ジュゼッペは、他国が大公国の救済のために大規模な軍事行動に出る可能性が極めて低いことを確信し、安心して将軍コイヌール公爵に全力を傾けた総攻撃の最終許可を与えることができたのである。
両国が中立を維持すると発表された日の夜、マチルダはリトセラス王国首都のギリェルモの執務室を訪れた。
「マチルダ。我々の任務は成功した。国は守られた。……しかし、大公国は見捨てられた」
マチルダが部屋に入ると、ギリェルモは独り言のようにそうつぶやいた。彼女は、彼の顔を観察した。その瞳には、冷酷な決断を下した者の深い虚無が湛えられていた。
「私は、大公国を見捨て、国が亡びるのに手を貸してしまったのだ……」
そう言ってギリェルモはグラスの中のアクアビットを一気にあおった。まるで自らを罰するような、そんなギリェルモの姿を見るのはマチルダにとっては辛かった。彼に近寄り、肩を抱く。
「私も同罪よ。この罪の重さは、二人でしか背負えないわ。私たちはもう引き返せない。一緒に地獄に落ちましょう、ギリェルモ」
その言葉を聞いて、ギリェルモはグラスを見つめていた顔をあげ、マチルダの瞳を見た。そこには今まで見たことのない、いや見ようとしてこなかった熱い炎が見えた。その炎は、大公国を見捨てたという共通の罪があぶりだした、二人が秘めてきたお互いへの愛情の現れだった。
マチルダがギリェルモの腕にそっと触れた。仕事でしか触れ合わなかった指先が、今、ギリェルモの震える手袋を外させた。冷たい鉄の鎧を脱ぎ去った彼の肌に触れることで、彼女は彼の人間性を取り戻そうとした。彼女の指先が触れた彼の肌は、想像以上に冷たく、そして細かく震えていた。その震えは、彼がどれほど強く、自らの感情を閉じ込めてきたかを物語っていた。
「ギリェルモ、貴方の辛さが分かるのは、この重い選択の意味を知る私だけよ……」
その言葉が、ギリェルモの孤高の騎士としての理性的な殻を崩した。彼は、マチルダという共犯者の存在によって、自らの魂が永遠に繋がれたことを悟った。その瞬間、二人の互いの間の壁が崩壊し、感情が堰を切ったように流れ込んだ。
「マチルダ……」
その声は、外交官としての使命、騎士としての名誉、そして彼自身の理性、その全てを振り払う決意の響きを帯びていた。
ギリェルモは、マチルダを力強く抱き寄せた。その抱擁は唯一の理解者を求めて必死に掴みかかるような切実さがあった。
二人は荒々しく唇を重ねた。それはお互いを思いやるような優しいキスではなく、魂の孤独を埋め合うための激情のキスだった。硬く閉じられていた彼の唇がマチルダの口内を探り、長年の理性の重圧が、舌の動きとなって解き放たれる。それは二人の魂が、自らの罪を相手の存在によって溶かす、救いを求める行為だった。
ギリェルモの中でマチルダは仕事の相手から、生存に必要な唯一の存在になった瞬間だった。腕の中でマチルダは、初めて会った日の冷たい握手から、この日の魂を揺さぶるキスに至るまでの道のりの長さを噛みしめていた。




