3−32:希望と絶望は表裏一体、紙一重の差しか無いのかもしれないな
ジンジンと痛む左腕を押さえながら、俺は全身全霊をかけて通路を逃げる。俺の後ろから破壊の権現、真紅竜が徐々に迫ってきているが振り向く余裕は全く無い。
――ドガッ! ガゴッ!
「グォォォォォォォ!」
彼我の距離が徐々に縮まっているせいか、破壊音も咆哮も段々と大きく聞こえるようになってきた。左腕を怪我して速度が落ちた、というのもあるのだが……原因はそれだけではない。
「ハァッ、ハァッ、ハァッ……ちっ、このタイミングで、クイックネスが、切れたのは、痛いな……!!」
通路を駆けている途中でクイックネスの効果が切れ、俺のスピードが落ちてしまったのだ。そのせいで、通路を破壊することによるタイムロス分を差し引いてもなお真紅竜の速度が上回るようになってしまっている。
クイックネスを掛け直そうかとも思ったのだが、そうすると魔力残量は1割ほどまで減ってしまう。他の魔法がほとんど使えなくなってしまうリスクと天秤にかけて、今は使用しない選択をとることにした。
「ハァッ、ハァッ、ハァッ……つっ!」
振動が左腕に響き、痛みが走る。それでも、左足はダメージを免れたので、走る動作そのものに支障は無い。
リザードマンから最期のファイアブレスが飛んできた時、とっさに左足を引いた少し前の俺を褒めてやりたい気分だ。もしあの時、足を火傷してしまっていたら……間違いなく、今ごろ俺は恐ろしい目に遭っていただろうな。
「うぐっ……ハァッ、ハァッ、よ、ようやく見えた……!」
やがて、カーブする通路の白壁を反射して、外の光が微かに見え始めた。疲れ切った足にもう一度喝を入れ、足の回転速度を引き上げる。
――ガガガッ! バギバギバギィッ!、
「グァァァァァァァァァ!!!」
声の大きさからして、もう真紅竜との距離は100メートルも無いだろう。振り向いている余裕はない。
「……見えたっ!」
通路が急に直線となり、最後の上り階段が視界に入る。よし、どうにか真紅竜に追い付かれずに神殿の外まで逃げ切れそうだ――。
――ゴゥゥゥ……
「グォァァァ……」
背後から、真紅竜が息を大きく吸い込む音がした。
「"クイックネス"!」
すぐにクイックネスを使い、スピードを上げて一気に駆ける。左腕の痛みがにわかに増すが、構うものか!
「グァァァッッ!!!」
――バゴゥッ!!
あれに追い付かれれば、痛みすら感じることなく一瞬で消し炭になるのだから。
「うおおおおおおおおお!!」
20メートル……10メートル……よし、階段を一気に駆け上がる!
炎はもう、すぐ真後ろまで迫ってきている――
「ラァッ!!」
――ゴォォォォォ!!
階段を上り切り、神殿を飛び出し、土の地面に向けて全力でダイブする。そんな俺のすぐ後ろを、熱い何かが通過していくのを背中で感じた。
――ゴロゴロゴロゴロ!!
「ぶべっ、えぎっ、ぐげっ!?」
そのまま地面を盛大に転がり、地面と熱烈な口づけを何度も交わす。うげぇ、土の味がするぅ……。
……あと、左腕が地面に擦れてむちゃくちゃ痛い。洒落にならないくらいに痛い。
「………」
――サァァァァァ……
――ザァァァァァ……
――ヒュゥゥゥゥ……
痛みに顔を歪めつつ、そっと顔を上げる。風に揺られる緑色の草、川のせせらぎ、青く澄み渡った空もどき……ようやく、ようやく神殿の外まで戻ってくることができた。外の光が、なんだかやけに眩しく感じる。
「……ああ、生きてるよ、俺……」
緊張の糸が途切れ、残心を解く……その直前で、まだ気を抜いてはいけないことに思い至る。
「はっ、そういえば真紅竜は!?」
慌てて、神殿から離れるように逃げる。そうして十分に距離をとってから、改めて神殿の方を振り向いた。
――ドガッ、バギッ!
「グォォォォォォォ……」
その真紅竜が、ちょうど神殿の入口から出てくるところだった。神殿を出て、俺の姿を見つけて一歩進み……しかしそれ以上こちらに来ることはなく、その場でじっと佇んでいる。
声には先ほどまでの覇気は無く、代わりに俺を射抜く視線には、恨みつらみをたっぷりと乗せている……ような気がした。
「………」
「………」
真紅竜と睨み合う。もう一度あの強烈なファイアブレスを吐けば、この距離でも俺に決定打を与えられるはずだ。
それにも関わらず、真紅竜は憎々しげな視線をこちらに向けるばかりで何もしてこない。もしかしたら真紅竜は、神殿の外に出た相手を追うことも攻撃を加えることもできないのではないだろうか。
……階層境界、か。もしかしたら、真紅竜にとっての境界があの白い床の端にあるのかもしれないな。
「……グァゥッ」
吐き捨てるように大きく唸り声をあげてから、真紅竜はもといた神殿の中へと戻っていく。
……やがて、その後ろ姿が見えなくなった瞬間だった。
「……え?」
なんと、神殿が少しずつ透明になっていくではないか。白い建造物が徐々に透けていき、その向こうにあった草木が見え始め……。
……やがて、そこには元々何も無かったかのように神殿は完全に消え去った。後には、土の地面が広がるばかりだ。
「……何だったんだ、一体……」
ボソリと呟くも、返ってくる言葉はな――
『――博愛のステッキを入手いたしました』
「うおっ!?」
システムアナウンスの声が唐突に聞こえて、思わず身構えてしまう。ほんと、なんの前触れも無く聞こえてくるからビックリするんだよな……。
『……試練を乗り越えし探索者、恩田高良よ。そのステッキをアイテムボックスから取り出し、肌身離さず持つのです……』
「……?」
……なんか、今の音声だけいつもと違った気がするな。言葉で表すのは難しいが……そう、これまで機械的な伝達だけだったはずのシステムアナウンスに、いきなり血の通った言葉が乗っかったような……そんな感じがした。
「"アイテムボックス・取出"」
まあ、そこまで言うなら出しておきますかね、博愛のステッキ。わざわざ反抗する意味も無いし。
さて、どこに付けようか……!?
「な、なんだ?」
取り出した博愛のステッキが、ふよふよとひとりでに浮き上がる。
……そして、なぜか俺の杖にピッタリと張り付いた。
「……どういうことだ、これ?」
試しに左手で杖を支えつつ、右手で博愛のステッキを引き剥がそうと試みる……が、微動だにしない。相当しっかりと貼り付いているようで、剥がれそうな気配が全く無い。
「ま、害になるわけでもないし、別にいいか」
むしろ、持って歩く手間が省けたのでとても助かっている。今は左手がうまく使えないので、なおさらだ。
……さて、俺は無事に神殿からの脱出を果たしたわけだが、気を抜くのはいささか早い。
魔力残量は既に1割、非常に危険な状況だ。
「とりあえず、階段まで戻らないとな。今の時刻は……」
スマホを取り出して画面を見ると、なんと画面に大きなヒビが入っていた。画面左上の一点を中心に、そこから蜘蛛の巣状にヒビが広がっている。
……多分だが、瓦礫弾を弾いた時に破片がスマホへ当たってしまったのではないだろうか。あの時、調子に乗って左腕で瓦礫弾を弾かなければよかった……。
まあ、スマホの機能には問題が無さそうなのが、不幸中の幸いだけどな。さて、気を取り直して今の時刻を確認っと……。
「おいおい、まだ10時44分なのか」
移動時間を差し引いて考えると、神殿内にいた時間は1時間もなかったわけだ。体感的には2時間くらいいたような気もするが、それだけ濃密な時間を過ごしたということか。まあ、九割九分帰り道のせいだろうけど。
……時間的にはだいぶ早いが、階段に着いたら即昼休憩だな。魔力残量が心許ないし、左腕の治療もしないといけない。それに……。
「……リュックとローブ、燃えちまったな」
ローブは左腕部分が完全に焼け落ち、その下の服も当然のように燃え尽きている。リザードマンが死に際に放ったファイアブレスによって、そこだけが焼けてしまった。
リュックの方はもっと酷く、ほぼ全焼状態だ。こちらは多分、最後に放ってきた真紅竜のファイアブレスが当たってしまったのだろう。中に何も入っていなかったので、失った物は0で済んだが、これを見ると生死の境は本当に紙一重だったことがよく分かる。
「痛っ……!」
そんなことを考えていたら、また左腕が強く痛み始めた。左腕全体が熱を持ち、ジクジクとした痛みを訴えかけてくる。
「……早めに階段へ撤退しよう」
落ち着ける場所で、ちゃんと治療しないとな。それまでもう少しの我慢だ。
◇
川沿いの歩きやすい道を移動し、無事に階段へと辿り着く。道中でグレイウルフ3体、ゴブリン4体と遭遇したが、いずれもライトショットガン連発で簡単に片付けることができた。
……そう考えると、リザードマンって本当に厄介な相手だったな。確実に当てられるライトショットガンはかすり傷しか与えられなかったし、ライトニングやフラッシュは避けられるし……本格的に戦うようになるまでに、対応策をしっかりと考えとかないとな。
「はぁ……」
ステップに腰かけ、一息つく。魔力残量は少し減り、およそ1割弱といったところか。回復魔法を使ったら、果たしてどこまで減るのやら。
「"ヒー"……いや、それじゃあちょっと足りないか。うーんと……"キュア"」
ヒールよりも強力な回復魔法を想像しつつ、その魔法をキュアと名付けて行使する。
その効果はてきめんだった。焼け爛れた左腕の皮膚がペリペリと剥がれ落ち、下から綺麗な肌へと生まれ変わっていく。ヒリヒリジクジクとした痛みは完全に無くなり、皮膚が突っ張ったような感覚も消え去った。
……ただ、代わりに魔力残量がほぼ0となった。オートセンシングはまだ機能しているので、完全に魔力を使い切ったわけではないのだが……もうライトショットガン1発も撃てないほどに、魔力は底をついている。
余裕をもって第5層を回るのに、せめて7割くらいは魔力残量が欲しいから……ざっと2時間くらいは休憩が必要だろうか。よし、魔力が回復するまでゆっくりしようかね。
そうだ、今のうちにアイテムボックスの中身を確認しておくか。
「"アイテムボックス・一覧"」
☆
・リザードマンの魔石×2
・爬人隊長の大魔石×1
・装備珠(黄・ランク3)×1
・スキルスクロール【ファイアブレスⅡ】
☆
ふむふむ、なるほどな。リザードマンの魔石に爬人隊長の大魔石、ランク3の装飾珠とスキルスクロール【ファイアブレスⅡ】か……。
「………」
……あ〜、なるほどな。あの時は必死で気付かなかったが、確かに3体目のリザードマンだけやけに手強かったな。1体だけフラッシュを避けたり、ライトニングを横っ飛びで避けたり、最後の最後に強力なファイアブレスを吐いてきたり……。
この【ファイアブレスⅡ】というのが、やつが死に際に吐いてきたファイアブレスだったのだろう。その前のやや弱いファイアブレスは、さしずめ【ファイアブレスⅠ】といったところだろうか。
「ただでさえ強いモンスターの、その特殊個体か。そりゃ強いわけだよ……」
クイックネスやヒール、キュアの分も含めれば、爬人隊長戦だけでトータル5割くらい魔力を持っていかれてるからな。単発の戦闘なら勝てない相手ではないのだろうが、もしあれが急なエンカウントモンスターとして出てきたら、と考えると……正直、寒気がする。
そして、それほどの強敵が道を塞いでいる状況で、もし真紅竜がすぐ後ろを追ってきていたら……確実に、挟み撃ちに遭って死んでたな。
俺、本当に運が良かったんだな。
「次に神殿とかプラチナ宝箱を見つけても、迂闊に開けないようにしよう……」
固く、心にそう誓った。試練は一度でもうたくさんだ。
神殿最後の部屋に出てきたモンスターは、恩田の考察通りリザードマンです。本来はダンジョン第11層以降に登場し、基礎能力的にはラッシュビートルより僅かに劣るのですが、代わりに複数体による連携と剣術、ファイアブレスⅠを用いて戦うモンスターになります。
加えて、爬人隊長は非常に知能が高く、基礎能力も通常リザードマンより一回り上の強敵です。今回は知能の高さを逆手に取った策略により、能力の高さを見せられる前に短期決戦で封殺できましたが……長期戦になると非常に手強いモンスターです。
◇□◇□◇読者の皆様へ◇□◇□◇
なろうに数多ある小説の中から、私の小説を読んで頂きまして誠にありがとうございます。
読者の皆様へ、作者よりお願いがございます。
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☆1でも構いませんので、どうかよろしくお願いいたします。




