2−29:久我家の人々1(朱音視点)
「……またな」
「ええ、また」
京都駅で電車を降り、しばらく行ったところで恩田さんと別れる。ここから恩田さんは階段を上って空中通路に行き、私はまっすぐ進んで烏丸中央改札から外に出ることになる。
海外の人たちが多数行きかう中央口前を通り抜け、逸る気持ちからつい早足になる自分を必死に抑えつつ、お母様が入院する病院に向けてひたすらに歩き続ける。
……ショルダーバッグの中に、ポーションを隠し持って。
もしこれが表に出てしまえば、大混乱は必至。目立たないように梱包してはいるけども、あまり持っていたくないことに変わりは無い。お母様を早く治したい一心からも、自然と歩みは早くなってしまう。
……待ってて、お母様。今、ポーションを届けます。
◇
「あら、朱音じゃない」
「あ、藍梨姉さま。来てたのね」
「ええ、仕事が早めに片付いたからね」
無事に病院へとたどり着き、お母様の病室に入る。特別個室仕様でかなり広々とした病室に、私より2つ歳上の姉、次女の藍梨姉さまがいた。ちなみに私は三女で、久我家の中では末っ子になる。
「お母様の様子は?」
「今日のリハビリが終わって、今はお休み中よ」
「そう……」
ベッドを見ると、スゥスゥと穏やかな寝息をたてるお母様の姿が。1年、2年前に比べると、明るい時間帯でもこうして寝ていることが多くなってきていた。
「大丈夫よ、お母様は強いんだから。それは朱音が一番よく知っているでしょう?」
藍梨姉さまからスススッと差し出された椅子に座ると、藍梨姉さまが私に向けて微笑む。同性かつ姉妹だというのに、その楚々とした表情には思わずドキッとしてしまう。身長も座高も私の方が少しだけ高く、やや見上げるような形になっているので余計そう見えるのかもしれない。
……でもって、これは藍梨姉さまのオフの姿。藍梨姉さまが持つ、2つの顔の1つに過ぎない。
「それで、今日はどうしたのかしら? 亀岡ダンジョンに行くと聞いていたから、今日は病院には来れないと思っていたのだけれど」
「……ええ、これを持ってきたの」
「あら、バッグを開けてどうし……!?!?」
ショルダーバッグの口を開け、中に入っていた包みを解く。その中から現れたポーションを見せると、藍梨姉さまの表情が一瞬で変わった。
やっぱり。藍梨姉さま、今ので完全にオンに切り替わったわね。
「……朱音、それはまさか」
普段はおっとりのんびりしていても、ひとたびスイッチが入ると藍梨姉さまは途端に厳しくなる。
目つきから口調、動作にいたるまでその全てが一瞬で切り替わるのだ。その変貌ぶりは、初めて見た人の誰もが驚くほどに落差が激しい。
……そしてポーションを見せたら、予想通り藍梨姉さまのスイッチが入った。
「はい、そのまさかです」
険しい顔で小瓶を見つめる藍梨姉さま。少しだけ廊下の方を見て、小さく溜息を吐くとスッと立ち上がる。
「担当のお医者様を呼んでくる。それはしまって、少しだけ待っていてくれ」
それだけ言って、藍梨姉さまは早歩きで部屋をあとにした。
「……あら、あかね?」
「あ、お母様。起きたの?」
「ええ。すこし、ねむってしまって、いたわ」
「どうする? 起き上がる?」
「そう、したいわね」
「分かったわ」
藍梨姉さまが戻ってくるより先に、お母様の目が覚める。そして、体を起こすお手伝いをほんの少しだけした。電動ベッドなので体起こしもとても楽だ。
「ありがとう。ふぅ……」
ベッドにもたれ掛かり、大きく息を吐く私の母、久我冨士子。厳しくも優しい、強いお母様だ。
しかし3年前、病魔に侵されてからのお母様は徐々に弱っていき、今では歩くのも言葉を発するのも一苦労となってしまった。その表情に差す暗い影が、日を追うごとに濃く深くなっていくのが見てとれた。
……本当に辛かった。悲しかった。何もできない自分に怒りさえ覚えた。
それでも、2年ほど前だろうか。海外のダンジョンから、ポーションという奇跡の秘薬が出たという話を聞いた。怪我や病気の一切を治してしまうというそれは、驚くほどの高値で取引されたという。
それさえあれば、お母様の病気も治る。買うのは到底無理だけど、もしかしたら日本のダンジョンでも見つかるかもしれない。
そう思って調べてみたけど、当時はまだダンジョンの一般開放前……日本では、自衛官しかダンジョンには入れなかった。
そこで、本気で自衛官を目指そうとしてお母様に止められた。仮にポーションを見つけたとしても、それが自分のものになる可能性は低いのだから止めておいた方がいい。それよりも、自分のやりたいことをやりなさい……と。
なので私は、高校時代から何かとお世話になっていた会社に就職した。お母様の病気の研究が進み、いつか根治方法が見つかることに期待して……。
それから2年、病の根治方法が見つからないまま、ダンジョンが一般開放されたと聞いた。仕事先との調整に少し時間はかかったけど、すぐに私はダンジョン探索者としてデビューした。
お母様の病を治す。これだってずっと、私のやりたいことだ。今の仕事と両立できるなら挑戦したいと、単身亀岡ダンジョンに向かった。
……まさか初日で手がかりが見つかり、3日目でポーションが手に入るなんて夢にも思わなかったけれど。でも、これでお母様は元気になれる……!
「戻ったぞ」
藍梨姉さまが病室に戻ってくる。その後ろには、担当のお医者様が付いてきていた。
「藍梨様、一体どうなさったのですか? 大変急いでおられるようですし、口調も普段と違いますし……ベルを鳴らして頂ければ、こちらから伺いましたものを」
お医者様は少し困惑気味のようだ。藍梨姉さまのオンの状態を、今まで見たことがないのだろう。
「朱音、例のものを」
しかし、藍梨姉さまは戸惑うお医者様をスルーして私に話しかけてくる。普段は絶対にそんなことをしないけど、案外姉さまも混乱してるみたいね。
「はい、これです」
とりあえず、お医者様とお母様に見えるようにポーションを取り出す。
「……!! こ、これは、ポ……!?」
口から"ポーション"という単語が出かかったところで、お医者様が言葉を止める。藍梨姉さまから向けられた厳しい視線を受けて、それを口にするのはマズいと悟ったのだろう。
「あかね、まさか、ほんとうに……?」
「そうよ、お母様。今日見つけたの」
お母様にそっと微笑みかけると、お母様も破顔する。
……私がずっとポーションを探し求めていたことを、お母様は知っている。それを成し遂げたことを、一緒に喜んでくれているみたいね、
「……なるほど。藍梨様がこれほど急いでおられた理由が理解できました」
お医者様が、私のところに歩み寄ってくる。私も椅子から立ち上がった。
「それでは、朱音様。そのポーションを冨士子様に使うことを、ご希望なさいますか?」
「はい。ただ、母の意思も尊重してあげてください」
「かしこまりました」
バッグからポーションを取り出し、お医者様に託す。慎重な手つきでそれを受け取ったお医者様は、続けてお母様のところへ歩み寄った。
「冨士子様は、こちらのポーションをお使いになられますか?」
お母様は、お医者様から差し出されたポーションを見て……。
「おいしゃ、さま」
「はい、冨士子様」
「この、ポーションは……じぶんには、つかいません」
「「……えっ?」」
……首を、小さく横に振った。
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