8
宿から出て、街に出る。ただ帰るというのも味気ないのでまた少し街をアルと二人で見ることにした。見ると言っても買いたいと思っているものは特になかった。だからブラブラしているだけだったが。
まだ昼前なので人通りは少ない方だが、それでも街が賑わっていることに変わりはない。こうして晴れやかな日だまりの中でこうして二人歩くというのは良いものだな。
目的もなく街を歩く。こういう時間はとてもゆったりとしていて好きだ。
そうして歩いていると、何やら屋台のようなものを見つけた。どうやら食べ物を売っているらしい。美味しそうな匂いに釣られて近づいてみると、そこでは鳥の串焼きを売っているようだった。
「食べるか?」
私が串焼きを見ているのに気づいたアルが問いかけてきた。
「いい。無駄遣いになるだろう」
「このくらい何でもねぇよ。すまねえ、親父。その串焼き二人分頼む」
断ったが、アルは強面の屋台にいる男性店主に串焼きを注文してしまったようだ。
程なくして私達の手元には串焼きがあった。串焼きといってもアルの分と私の分で一羽の鳥を使っているらしく、中々豪勢なものに見える。
早速串焼きを食べてみると、肉汁が口いっぱいに広がる。とてもジューシーで柔らかい。噛む度に旨みが溢れてくるような感じだ。王宮に居た頃はこういうものは食べなかったから余計においしく感じる。
「この串焼き、なかなかうめぇな」
「そうだな」
二人で串焼きを食べる。やはりうまい。私は無言で串焼きを頬張る。そしてあっという間に完食してしまった。
その後、串焼き屋を離れた私達は特に何かを買うわけでもなく、街をぶらついていた。そこでこの街の名物とも言えるアルテナ教会へとさしかかる。ここは特定の宗派を持たない教会であり、運命を司ると言われているアルテナ神を祀っている教会だった。
吸い寄せられるように私は教会の中に入るとそこはステンドグラスによって彩られた美しい光景が広がっていた。様々な色をしたガラスによって光が輝いて、七色の光を放っている。
そして教会の中央にはアルテナ神を模った女神像が配置されていた。それはまるで慈愛に満ちた微笑みを浮かべているように見える。
「教会に用でもあったのか?」
私が女神像をしばらく眺めていたので不思議に思ったのかアルが声をかけてきた。
教会へ特に用はないのだが、アルテナ神は私にとって特別なものだった。
「教会に用はない。ただ私が個人的にアルテナ神を礼拝したくなってな」
アルテナ神の神性は地獄での救済、楽園への到達というもの。悪魔がいるのなら神もいるだろうということで一時的に私が信じて縋ったものだ。今ではもう信仰も薄れてきているが。
「神様か。俺には縁遠いが信仰ってやつはそれぞれあるだろうからな」
「アルテナ神は大いなる試練を超えた者に救済を与える女神という。私も宗教や神様など欠片も興味がなかったが、アルテナ神の神性は好みだったんだ」
そう言って私は女神像の前で祈りを捧げる。別に敬虔な信者ではないし、祈ることもあまりないが、今はこうして祈っていたい気分なのだ。最期の時が近づいているからかな。
「ならついでに俺も祈っとくか。何かご利益があれば儲けもんだしな」
そうして私とアルは並んでアルテナ神に祈りを捧げる。特に言葉を発することもなく、ただ目を瞑り手を合わせるだけ。だがそれでもよかった。こうしていると心が落ち着く気がするのだ。
「教会といえば結婚のイメージだよな」
「そうだな」
唐突にそんなことを言い出したアルだったが、確かに教会は結婚式を挙げるのにはいい場所だと思えた。静かで神聖という言葉が似あうこの場所で祝福される二人の門出は素晴らしいものとなるだろう。
しかし私が今更誰かと結婚するなんてできないだろう。そう思ってチラッとアルの方を見る。自然とアルと視線が絡み合った。
「ん? どうしたんだ?」
「いや、なんでもない……」
私は慌てて顔を背ける。顔が熱くなるのを感じた。
昨日大事な私の短剣をアルに渡したからかもしれない。それで翌日に教会で結婚について語るなんて。
「何だ? 意識してんのか?」
ニヤニヤと私の方を見てくるアル。腹立たしいが、図星だ。昨日の今日で私にとっては動揺しない方がおかしい。きっと今の私の表情はとても赤くなっていることだろう。
「う、うるさい」
「お前でもそういう反応するんだな。ちょっと安心したぜ」
「……っ!」
恥ずかしくて私はアルを置いて先に教会を出て行ってしまった。後ろでアルが笑っているのがわかる。ああ、全く! アルのせいで変な気持ちになってしまったじゃないか。というか安心ってなんだ、安心って。変に気になることを言うんじゃない。
「ククッ、待てよ」
アルが追いかけてきて私の隣に並ぶ。私の歩幅に合わせてアルが歩く速度を落としてくれる。
「なぁ、アイリス。さっきの話だけどな。本当に俺とお前が結婚したらどうなると思う?」
「また揶揄う気か?」
少し不機嫌気味に答えるとアルは苦笑いをする。
全く、何を考えているのだろうか。
そう思いながらも、私も考えてしまう。もし、仮にアルと結婚できたらどんな生活が待っているのだろうと。
一緒に暮らすのだから喧嘩だってするだろう。時には意見が合わないこともあるだろう。
だが、それも乗り越えていけばいい。
お互いの欠点を認め合って、理解すればいい。
二人で協力して、支え合えば、きっと楽しい毎日になるはずだ。
そう言った日々を想像するだけで、私は胸の奥が温かくなっていくのを感じる。決して叶わない得難い理想だからこそ夢を見ている気分になる。
「きっと楽しいだろうな。お前もそう思わないか、アイリス?」
私の考えていたことがわかっていたかのように、問いかけてくるアル。
その問いかけに私は素直に答えられなかった。
何故なら、私の中で答えが出ていたからだ。それでもその言葉を口にするのは憚られた。
「ああ、そうかもしれないな」
曖昧に言葉を濁す。結局、その言葉は言えなかった。
♦♦♦
私達が街から帰ってきてから何週間か経った。その間は特に何もなく、平穏な時間が流れていった。
私にとっての穏やかな時、アルと一緒に刻んだ時間が私にとってかけがえのない日々になった。
私の残された時間があと一週間を切った頃、私は眩暈を感じた。
「おい、アイリス?」
アルの声を最後に私の意識がプツンと途絶える。