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「アイリス。お前の服、街へ買いに行くか」

「うん?」


 これはある日の朝、アルが突然言い放った言葉である。


「いくら何でも女のお前が俺のシャツ使いまわしてるのって、なあ」

「私は別に気にしていない」


 気にしてはいないが確かに女としては終わっている気はするな。何せ下着であるパンツまで男物だ。私が王宮から出るときに身に着けていたものをずっと履き続けるわけにもいかないしな。アルに抵抗感がないなら私としてはこのままでも構わなかった。それに私は回帰の代償として生きることのタイムリミットを定められている。もうすぐ消える私のために服を買うなど、勿体ないだろう。アルは私の事情を知らないから服を買おうなどと言うのだろうが。


 そんなことを思っていると、アルが私を見て呆れたようにため息をつく。


「お前って結構豪胆な性格の割に繊細だよな。遠慮なんてしなくていい。前に俺はそう言ったろ? 服を買うくらいならなんでもねえさ」


 そう言って私の頭をポンポンと軽く叩く。子供扱いされているようで少しむっとするが、その手が妙に心地よくて振り払えない。何なのだこの男は、いつもいつも。何故かアルと共にいると不思議な気持ちにさせられる。今まで感じたことのないこの感情。私だけがこんな気持ちになって、やきもきさせられているのだとしたら負けている気がしてかなり悔しいな。


「……遠慮とかそういう問題ではない」


 私は自分の気持ちを悟られぬよう平静を装い、アルの手を振り払う。態度とは裏腹に彼の手の温もりにどこか嬉しさを感じてしまう自分がいる。


「俺、結構金持ってるぜ?」 

「お金の問題じゃない」

「じゃあどういう問題なんだ?」


 首を傾げるアルを見て思わず私は頭を抱える。


「うっ……それはだな……」


 私の命の期限はあと一か月。そんな女のために服を買っても意味なんてないだろう。


 いっそその事実を言おうと思った。けれど、いざその事実を言葉に出そうとすると口に出す勇気が出なかった。


 もしそれで、アルが少しでも悲しい顔をするとしたら。そんなことを思うと胸の奥が痛くなるのだ。私は黙り込んでしまった。しばらく沈黙の時間が続く。そして、先に口を開いたのはアルだった。


「ま、無理に事情は聞かないけどよ。とりあえず今日は街へ行くぞ」


 結局何も言えないままでいた私に対し、アルはそれ以上事情を追及することはなかった。しかしアルは強引に私の手を取って街へ連れ出していく。


「お、おいアル!?」

「たまには気分転換もいいだろ?」

「だが……」

「いいんだよ。行こうぜ、な?」


 有無を言わさず手を私は引かれていく。強引な奴め、と思いながらも不思議と嫌な気持ちにはさせられない。むしろ心の奥底で連れ出してほしい、とすら願っていたのかもしれない。


「前にお前を狙ってきた奴らとかもそうだけどよ。ああいう奴らを気にしてばっかだったら人生つまらなくなるしな。それに何かあったらトンズラしてやりゃいい。それに何があっても俺が何とかしてやるよ」


 そう言って大胆不敵にニヤリと笑うアルの顔はとても私にはとても頼もしく見えた。


 ♦♦♦


 アレサンドラ王宮、その玉座の間に座っているのはフェリクス・リィ・アレサンドラという青年だった。アイリス王女と王位を奪い合って幾度の熾烈な争いを繰り広げてきた彼こそがアイリスの最大の宿敵である。そのフェリクスの傍で事態を観察している青年もまたアイリスがフェリクスに何度挑んでも勝利できない理由の一つだった。


 フェリクスの傍にいる彼こそが王国最強のシンナイトと謳われるバルデッド・アークゼオス。バルデッドの実力は帝国のシンナイト、"世界最強"と称されるダイドラッド卿と比肩すると言われるほどの実力。そんなフェリクス陣営最大の戦力であるバルデッドは苛立っているフェリクスを愉快そうに眺めていた。


「どうした? やけに苛立っているじゃないか。アイリス王女を追い出して、図々しく玉座に居座っている割にはな」

「追い出したわけではない。あいつが勝手に逃げただけだ。おかげで妙に始末に困ることになった」


 フェリクスはバルデッドへ不機嫌そうな顔で答えた。その表情からは確かな苛立ちが感じ取れる。それも当然だ。このままでは自分が国王の座に就いても最大の障害を始末できないままになってしまうからだ。アイリスが存命であれば、フェリクスの反乱分子への火種が残ってしまう。フェリクスにとって、最も邪魔なのは自分に逆らう愚か者どもの存在。そいつらを処分してしまえば後は簡単に事が運ぶはずだったのだが、アイリスの逃亡によって最大の障害が残ったままになってしまった。そして、もう一つ大きな問題がある。


「それにアイリスへ差し向けた刺客が戻ってこない。それなりに高い金を積んだんだが仕損じたようだ」


 先日、フェリクスはアイリスの暗殺を企てて多くの刺客を放った。だが、彼らは誰一人として帰ってきていない。その意味は任務の失敗を意味している。刺客たちは失敗を許さないフェリクスの処断を恐れて王宮に帰還できないか、逆にアイリスに返り討ちにあったか。どちらにせよフェリクスにとっては好ましくない状況であることに変わりはない。


「お前が出張れば確実にアイリスを始末できるんだがな」


 バルデッドを見てフェリクスが呟くように言った。


「冗談だろう? 脱走した小娘一人殺すのに俺が出向くほど王国は落ちぶれたのか? 俺が貴様に協力しているのは闘争のため。俺にとって面白い戦場、更なる強者と戦うための戦場を貴様が用意すると言ったからだ。王国も帝国も吞み込む覇王を目指すための貴様の剣が俺だ。そのために俺は貴様の近衛騎士になった。その約束を違えるのであれば」

「わかっているさ……」


 バルデッドの言葉に対してフェリクスは不機嫌そうに答えるしかなかった。今ここでバルデッドへ安易に頼ることは自分に協力してくれているバルデッドとの協力関係を終わらせることに繋がる。それだけは何としても避けなければならない。だからこそフェリクスは焦燥感を募らせながら策を巡らせるしかなかった。


「アイリスにはあの刺客たちを跳ね除ける力がなかった。今のあいつにはこれといった後ろ盾もない。だとすれば考えられる可能性は限られてくる。どこかの勢力に取り込まれたか……あるいは……」

「あるいは?」


 聞き返すバルデッドにフェリクスは考え込み、やがて口を開いた。


「他国に亡命した可能性すら考えられる。渡航制限はかけていたが抜け道はいくらでもあるからな」

「亡命だと? ありえないと思うがな」


 フェリクスの考えを聞いてバルデッドは笑い飛ばした。


「仮にも王族たる者が他国に助けを求めるとでも言うのか? しかも相手はアイリス王女を含め貴様達を狙っている国だぞ。それが亡命など企てるのなら、それは余程の間抜けか天才のどちらかだ」

「間抜けという話で終わるならまだいい。万が一にもアイリスが帝国に利用される場合……厄介この上ないことになるな」


 フェリクスは苦笑しながら溜息をつくと、椅子から立ち上がった。


「考えても仕方がない。今はアイリスの行方を追うことだ。あいつさえ殺せば後はどうにでもなる。まずは俺の王位を安定させなければなるまい。アイリスがいないのであればそれを有効活用するまで」

「ほう、何をするつもりだ?」


 興味深げに尋ねるバルデッドへフェリクスは不敵な笑みを浮かべた。


「簡単なことだ。この国にいるあいつの味方をする邪魔者を始末してやるのさ。この程度の事なら手伝ってくれるよな?」

「ああ、その程度なら構わん。俺でなくても解決できる問題だしな」

「決まりだ。早速準備に取り掛かってくれ」


 フェリクスの命令を受けてバルデッドは無言で姿を消した。


「ふんっ、何が王国最強だ。所詮は金で雇われた成り上がり風情が……しかしあいつの強さは別格。しかもシンナイトに至った覚醒者」


 バルデッドがいなくなると同時に玉座でフェリクスは毒づく。毒づきながらもバルデッドの有用さは認めざるを得ないのがフェリクスにとっても悔しいところだった。


 フェリクスが玉座に座っていられるのもバルデッドという後ろ盾があってこそ。そしてバルデッドが今の地位にいるのもフェリクスがいたからだ。バルデッドと出会う前のフェリクスはただ夢を描く少年に過ぎず、フェリクスと出会う前のバルデッドは力があっても望む闘争の場を得られなかった戦士だった。


 バルデッドがフェリクスに付き従っているのも全ては自分の力を存分に発揮できる戦場を求めているからだ。フェリクスがバルデッドの力を認めているのと同じように、バルデッドもまたフェリクスの頭脳を認めている。その二人の利害が一致して今の関係が成立しているのだ。


 アイリスが思い描く世は平和な統治。思い描く道はフェリクスと対極である。だからこそどのループにおいてもバルデッドとアイリスの道は重ならず、アイリスは敵対するシンナイトの圧倒的な力の前に屈することしかできなかった。

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