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 私が王宮からの刺客に襲われ、アルに助けられた翌日。色々な感情が混ざり合ってしまった結果、アルの前で色々とぶっちゃけてしまったのは私の落ち度だったかもしれない。アルの前で『王宮』とか口走ってしまった。一応アルに対して私の正体は隠していたのだが、あいつは今の私の事をどう思っているのだろうな?


 同居人? 居候? 宿なし? そのくらいに思われた方がこちらとしてもやりやすい。変に王女とカミングアウトして偉そうにはしたくなかった。アルと一緒に過ごしているこの時間は対等で心地いいものにしたい。


 私はもう何の責務を果たすつもりもなかった。私は私自身も救えずに、回帰のルールに従って十八歳を迎えた瞬間に命を落とすだろう。今はただそれまでの時間を穏やかに過ごしていたかった。悪魔に魂を売って、超常の力を得た私がその代償として地獄に落ちるまでのこの期間を、変わり者の男と一緒に過ごす。


 少し前ならば考えられなかった事態。フェリクスの刺客をやり過ごして生き残れている事態もそうだが、アルには驚かされる。何の見返りも求めず、彼はフェリクスが差し向けた刺客から私を助けた。アルの普段の態度こそお茶らけているが、いざという時にアルという男は頼りになる。面と向かっては恥ずかしくて言えないが、アルの存在には何度も助けられている。だから感謝しているんだ。


 私を助けた風変わりな男の事を考えながら私は、木で作られた家の簡素な窓辺から空を見上げる。外はすっかり日が落ちており、夜の帳が下りていた。


 さっきまで晴れ渡っていた夜空だが雲が出てき始めている。また雨が降るのだろうか。ここ最近は雨が多い気がする。雨の降りそうな暗い空を見て、少し不安になった。


 その時、ふと視線を感じて振り返る。そこにはベッドの上で胡坐をかいて座ったまま、ニヤついた顔で私を見るアルがいた。


「……なんだ?」


 アルが変態のような顔をして私を見ている。


「お前の不安げな顔って結構可愛いよな。普段は強気だからこそ余計に」

「……」


 私はアルを一睨みした後、無言のまま短剣を抜き放ってそのままそっとアルに投げつけた。無論、見ず知らずの人やアル以外の人間にこんなことはしない。呆れた強さと身体能力を持つアルだからこそ信じて攻撃している。


「うおぉ!?  あぶねぇ!!」


 アルは私の投げた短剣を回避すると、後ろに倒れ込んだ。


「余裕で回避した癖に大げさな反応だな」

「気分の問題だぜ、ああおっかねえ女」


 アルが大袈裟に反応したのはわざとだとわかっている。本当に危ない時であればアルなら確実に回避するか防ぐかする確信がある。だからこれはじゃれ合いのようなもの。本気で私も当てようとしていないし、アルもそれを分かっている。お互いに軽口を言い合える関係。今はそれが嬉しい。そんなことを思いながらしばらく二人でふざけ合っていた。王女として過ごしてきた貴族社会にはなかったやり取りを交わす新鮮な体験。上品でもなければ優雅さのかけらもない戯れだったが、無性に楽しかった。


 そうこうしているうちに、アルが何かを思い出したかのようにポンッと手を叩いた。それからおもむろに立ち上がって部屋から出て行こうとする。


 一体どこに行くのかと疑問に思った私だったが、彼はすぐに戻ってきた。そして手に持っていたものを私に差し出す。それは湯気が立つ木製のカップだった。


「ほらよ」

「ん? あぁ……ありがとう」


 カップを受け取ると中に入っているものを口に含む。仄かな甘さと温かさが口に広がっていく。


「これ、ホットミルクか」

「おう、前に街で買った。結構うめぇだろ」


 確かに美味しい。でもなんで急に……?


 私が首を傾げると、アルは得意げな表情を浮かべた。この男はたまによくわからない行動をとる時がある。まぁ、こういう突拍子もないところがアルの面白いところでもあるのだが。


 とりあえず、素直に感謝することにした。


「あぁ、うまいぞ。わざわざ温めてくれたんだな。感謝するよ」

「気にすんなって。それよりお前が眠そうにしてたから寝酒代わりに一杯どうかと思ってな」


 そう言うと、アルは部屋の机の上に自分の分のマグカップを置いた。どうやら一緒に飲むつもりらしい。

 アルが持ってきた飲み物は蜂蜜入りのワインのようだ。甘くて飲みやすいのだろうか、私は酒を飲まないから分からないが。


 それにしてもアルに眠そうにしているのを見られたのは気恥ずかしいな。別に目の前にいるこいつに女として見られたいわけじゃないが、女としてのプライドを捨てている気がする。最近はずっと森の家にいるせいもあって、すっかり警戒心が薄れてきたな。王宮にいた頃は常に周りを警戒していたものだが……。


 ふぅ、と息を吐いて心を落ち着ける。


 王宮での生活は油断すれば、あっという間に死ぬ世界だった。ここは王宮とは違いすぎる。私は今の生活が気に入っていた。とても心地いい穏やかな日々がここでは流れているから。


 アルが私の隣に座ってくる。私とアルの距離は拳一つ分程度しかない。


 近い距離感。いつもの私ならば、きっとアルから距離を取っていただろう。だが私にとってアルの存在は嫌なものではなかった。こいつは自然と人との距離を詰めてくる。アルの軽口は下品で不快なものも多いはずなのに、私は不思議とその軽口を楽しみに待っているかのようだ。


 私はアルに寄りかかり、肩を預けるようにして体重をかける。するとアルは私の頭を優しく撫でてくれる。その手つきはとても優しいものだった。


「勝手に人の頭を撫でるな」

「いいじゃねえか。減るもんでもねえだろ」

「そういう問題ではない」


 私は文句を言うものの、その声音は自分でも分かる程嬉しそうなものだ。


 こんな風に誰かに甘えられるなんていつぶりだろう。いや、もしかしたら初めてかもしれない。アルはそんな私を見て微笑む。その笑顔を見ると妙に胸がざわつく。


 だが悪い気はしない。むしろもっと触れて欲しいと思っている自分がいた。


 それからしばらくの間、私たちは他愛のない会話をしながら飲み物を片手に話続けた。


 温かい飲み物のおかげで体がポカポカしてくる。アルの体温を隣で感じていると、段々と瞼が重くなってきた。だがまだ眠りたくはない。もう少しだけ起きていたかった。


「眠そうだな。もう寝るか?」


 アルの言葉に首を振る。アルはまだ眠くないのか、面白そうなものを見るような目で私を見つめていた。

 アルの視線を感じながらホットミルクを口に含む。だんだんと意識がぼーっとしてきた。このままでは本当に寝てしまいかねないな。


「アル……」

「なんだ?」

「お前は何のために戦っている? どうしてそんなに強くなれた?」

「どうした、突然」

「ただの興味本位だよ」


 アルの戦う理由を知りたかった。アルは私の問いに少し考える素振りを見せた後、口を開いた。


「生きるために強くなった。強いて言うならそれだけだ」

「……そうか」


 それがアルの答えだった。嘘偽りの無い真っ直ぐな言葉。


 その強さの裏にどんな過去があったのか、今の私には知る由もなかった。


 アルはそれ以上語らなかった。だから私も何も聞かなかった。アルも私の事を必要以上に詮索してこない。アルなりに気を遣ってくれているのかもしれないな。


 お互いに無言の時間が流れる。だが居心地の悪いものではなかった。私はホットミルクを飲み干すと、空になったカップを机の上に置く。そしてそのままアルにもたれかかったまま目を閉じた。


 今はただこの温もりを感じていたい。


 アルは何も言わず、私を抱き寄せるように腕を回してくれる。


「俺の名誉のために言っておくが、誰も彼もに腕は貸してねぇからな。アイリス、お前だから貸してやってもいいと思っただけだ。お前とはウマが合うからな」

「そうか? 女がいたらホイホイ貸してるんじゃないのか」


 私が軽口を返すと、アルは愉快そうに笑った。


「そんなプレイボーイに俺が見えるか?」

「見えないな」


 言葉ではそう口にしたがどうだろうな。アルはモテそうだが、モテなさそうにも見える。言動で損をするタイプかもしれない。


「だろ? 俺は一途な男なんだよ」

「それはそれで気持ちが悪いな」

「おい」


 くだらないやり取りをしているうちに徐々に眠気が襲ってくる。こうして誰かの傍で安心できる時間が訪れるなんて思ってもいなかった。私はこの時間を噛み締めるように、ゆっくりと深い微睡みの中へと落ちていった。


 ♦♦♦


 アルの腕の中で静かに寝息を立て始めたアイリス。


 普段のクールな印象とは裏腹に、まるで子供のように甘える姿に思わずアルの頬が緩んでしまう。


 アルは優しくアイリスの髪を撫でると、彼女を自分の腕の中に抱き寄せた。


(近くで見ると本当に綺麗な顔立ちしてんな)


 アイリスの顔を夜の光が照らしている。彼女の透き通るような白い肌が美しく、髪の色と同じ銀色の長いまつ毛が揺れる。アイリスの美しさはアルの好きな星空を思い起こさせ、その星空を軽々と凌駕する美しさがアイリスにはあるとアルは感じていた。アルがそう感じているのもアイリスの内面の気高さと彼女の鋭い雰囲気を好ましく感じているからだった。


 アルの傍ですやすやと眠るアイリスの表情は穏やかだった。


 いつもより幼さを感じさせるその寝顔を眺めていると、アルは心に温かいものが満ちていくのを感じた。


 アルが女に不自由したことは一度も無い。アルが黙っていても女は寄ってきた。アルの欲しいものは大体手に入った。だがアルの心を満たす女はいなかった。だからアルは女と深く関わってこなかった。女の方もアルとの距離感を理解しながらも、アルとの関係を楽しむ者も多かった。


 アルにとってそんな女たちとアイリスはあまりにもかけ離れていた。


 他の女であればアルがここまで世話を焼くことはなかっただろう。打てば響くという言葉が適切なほどアイリスとのやりとりはアルにとって愉快で自然なものだった。アルは初めて自ら女性へと踏み込んでいる。


「俺にそういう感情があったとはな。好きだとか愛だとか、鼻で笑う性質だったんだが」


 アルはアイリスをベッドに寝かせて、静かに一人笑っていた。

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