プロローグ
アイリスと俺の道が交わることはない。
でもそれでいい。
あいつが俺の傍にいなくても、何処かで幸せに生きてくれるだけでとても嬉しいんだ。
だから俺は――――
♦♦♦
朧げな意識の中でこの国の民衆たちが声を上げていた。夜の中に轟音が響く。
「賢王フェリクスに逆らった者には死を! 王女アイリスには死を!」
私は十字架に張り付けられていた。王位継承権を争う戦いに負けた私は処刑される。別に王になりたいという大願を抱いていたわけではない。ただ平穏に生きていければそれでよかったのに。私の人生は終わりのない迷宮のようなものだった。目の前には出口の見えない迷路が果てしなく広がっている。
私はぼんやりと自分の死に様を考えていた。しかし、そんな考えもすぐに霧散した。私が磔になっている横で、小柄な少女もまた磔にされていたからだ。彼女は私が心を許した唯一の使用人であるアンナという名前の少女。彼女はまだ十五歳にも満たない幼い子供。こんな子がどうしてこんなことになってしまったのだろう、と思った瞬間だった。
「殺せ」
男がそう言うと同時にアンナの身体は宙に浮き、そして地面に叩きつけられた。一瞬何が起こったのか分からなかった。絶望に耐えながら顔を上げると、目の前には血まみれになったアンナの姿があった。
「……アン……ナ?」
彼女の瞳からはすでに生気が消え去っていた。慣れた光景ではあったが何度見ても慣れることはない。アンナだけではない。私の味方をしてくれた人や私と関わった者が見せしめのように磔にされて殺されていく。
「あ、ああ……」
声が掠れてうまく出ない。私の知人や数少ない味方が殺されていく中で呻き声を上げるしかなかった。
この場にいる人間たちは私を殺すために集まってきた者たちだ。きっと彼らは私の苦しむ姿を見る事こそを至上の喜びとしているに違いない。
彼らの表情を見ているだけでそれが分かる。彼らは口元を大きく歪ませて笑っていたのだ。
そして、ついに私の番が来た。全身をきつく縛られ身動きが取れなくなる。絶対に逃げられないようにするためか、足を杭のようなもので打たれて動けなくされた。足からは激痛が走る。思わず悲鳴を上げたくなるほどに痛かった。何度この瞬間を迎えても慣れない痛みだった。首筋に刃を当てられる。少しでも動いたら斬られてしまうような状況だったが不思議と恐怖はなかった。むしろ早く楽になれると思うと嬉しいと思う気持ちすらあった。
「皆、すまない……私は疫病神だ……誰も守れず、自分自身すら救えない……」
既に骸となったアンナや数少ない志を共にしていた仲間たちに謝罪の言葉を口にする。悔しくて仕方がなかった。もっと何かできたのではないかと何度も後悔していた。
もし許されるならもう一度彼らに会いたい。叶うならば今度は私が彼らを守りたい。そう思って願いを叶えても尚、私はまたこうして磔にされている。
私の右手首の『1』という数字を今は忌々しく見ていた。あれほど願ったことなのに、結局何もできなかった自分が憎い。
だから総てを諦めよう。疫病神である私の、誰からも必要とされない人生を投げ出そう。覚悟を決めて目を閉じると頬を一滴の涙が流れ落ちた。同時に私は誰にも聞こえないような小さな声で呟いた。覚悟は決めていたはずなのに、最期の最後で誰かに縋ってしまう。
「――――誰か……助けて……」
しかし、その声に応える者など現れず。私の首筋に当てられた刃が動く。
こうして私は五度目の十八歳の誕生日にその生涯を終えた。そして、どうしようもない私の六度目の世界が幕を開けようとしている。
♦♦♦
最初の死の間際に悪魔と契約し、『回帰』の力を得た私は時を戻した。
回帰とは生前の記憶を保持したまま、人生を繰り返す力。
王国の王女、王位継承権第二位の地位にあった私は王の長子であるフェリクス王子と彼に与する派閥に何もかもを奪い尽くされた。優しさだけが取り柄だった当時の私では彼には太刀打ちできなかったのである。
王の子供は私と王子の二人。私の父である王が崩御し、玉座に対する権利を絶対のものにしたかったフェリクスは私を排除することに決めた。私は彼の策略に踊らされ、絶命の危機に陥る。そこで私は禁忌に手を染めた。その禁忌とは悪魔契約。古い書物に描かれた悪魔との契約を私は交わしていた。
その力は悪魔と契約する代わりに人ならざる力を得る外法。優れた戦士が至る境地、シンナイトの力とはまた違う特別な力。悪魔から与えられる力は無償のものではなく、その代償は死後の永遠の苦しみである。悪魔と契約し、力を得た時点で輪廻転生の輪から私の魂は逸脱し、悪魔との契約が終わった段階で私の魂は地獄へと送られる。死後の魂は報われることなく、永劫の苦しみの中を彷徨うことになるだろう。
私が悪魔契約によって得た力は六度の人生を繰り返す『回帰』の力。悪魔に魂を売ってでもやられっぱなしでは終われない、そう思って掴んだ人生をやり直す力。
アイリス・フォン・アレサンドラ王女という名と肩書を持つ私は既に五度、時を繰り返して赤ん坊から十八歳になるまでの生を繰り返していた。繰り返す人生の中で多少の狡猾さを得た私はフェリクスの手勢に反抗し、国を二分する争いへと身を投じる。しかしその全てが結局私の死を以って結末を閉じた。
五度繰り返した人生の中で私は三つのルールに気づいた。
1、私では王子であるフェリクスには勝てない。
アイリスという少女は人より長い人生を繰り返しただけの凡人。優秀な頭脳を持って生まれてきた兄であるフェリクスに知恵比べで私は勝てない。どんな策を考えようが、私が派閥を率いたところで破滅を迎える。
2、私の命は十八歳の誕生日で強制的に幕を閉じる。
決まっているルールかは知らないが、私の命は必ず十八歳を迎えたその日に必ず終わる。そうなるように仕組まれているかのように強制的に私は死ぬ。例外はなかった。これは仮説だが私が最初に人生を繰り返した日がちょうど十八歳の誕生日であり、私はその日より先には進めないのかもしれない。
3、王の死を始めとする一部の事象は絶対であり、基本的に人の未来は変わらない。
優しかった王である父の健康をどれだけ案じようが人が死ぬ筋書きは変わらない。定められた運命はその通りになる。私が手を尽くしたところで死ぬと決まっている人は救えなかった。
私に優しくしてくれた使用人のアンナもフェリクスの策略から私を守るために死んだ。繰り返した違う人生でアンナを逃がすために王宮から彼女を逃がそうとしても、その企みは必ず失敗しアンナの死は回避できない。あらゆる死の理由が私の大切な人を襲い、繰り返す回帰の中で一度死んでしまった者の命は必ず救えないようになっていた。
今の人生が私の最後の機会。既にアンナは亡くなってしまった。私の味方をしてくれた人は皆死ぬようになっている。繰り返した人生で捻くれていった私はフェリクスのやり口を多少予測できるようになっていたが、それでも一度死んでしまった人の運命は変えられない。心が絶望しきった私は総てを投げ出した。
私の心を反映するかのように、その日は土砂降りの雨だった。
私を女王にするために支援してくれた者たちの期待も裏切り、私は着の身着のまま王宮から逃げ出していた。行く宛もなく、無計画に夜の世界を歩く。王都の市街地を抜けて街道へ。そのまま獰猛な魔物が生息する、王国の民であればだれも寄り付かない森へと足を踏み入れていった。
私の右手首に書かれた私以外には見えない『0』という数字が私の回帰の力の残り回数。既に契約した悪魔の力は使い果たした。今ここで死ねば私の魂は地獄へと繋がれ、永遠の苦しみを味わうだろう。何もなかった私に与えられた回帰の力は確かに超常のもの。その代償は支払わなければならなかった。
死にたくなかった。生きたかった。だから繰り返した。悪魔と契約してまでも、諦められなかった。幸せになれると思い込んだ。最初に回帰の力が発動した時は有頂天になった。時間さえあれば何でもできると思っていた。回帰の回数が少なくなるにつれて、私は王子である兄を殺そうと幼少期から謀略を巡らせるようになった。それでも成果は出なかった。回帰を繰り返して得たものは私の精神の消耗のみだった。きっと優しかったはずの私の性格は豹変し、自分でも捻くれババアのような性格になってしまったと自覚している。
「はっ、死んだら本当に地獄か。何も変えられないのならすぐに死ねば良かったんだろうにな」
私は今、十七歳。十八歳の誕生日まではあと二か月ほど。死のタイムリミットも迫っている。
「ガウッ。グルルッ」
突如、聞こえてきたのは獣の声。ここは人が寄り付かない魔物がいる森。何も考えず、私は森に足を踏み入れていた。目の前で涎を垂らして、私を獲物にしようとしている狼タイプの魔物が近くにいても私は動じなかった。全てがどうでもよくなっていた。何も変えられないのなら、もう希望はなかったから。
「私は十八歳の誕生日に死ぬはずなんだが、今回はサクッと死ねるのか?」
それならそれでもいいと思った。
着の身着のまま王宮を抜け出した私の身体は雨に濡れて、意識も朦朧としていた。その朦朧とした意識の中で私は一人の男の姿を見る。人の寄り付かない森の中に、何故かいる二十代半ばほどに見える年齢の男。不敵な表情を張り付けて、開口一番に気だるげな様子で彼は私に向けてボソッと呟いていた。
「おいおい、死ぬなら俺の目の前以外にしてくれよ。ったく寝覚めが悪ぃな」
意識を失う直前に聞いた、その男の言い草がやけに癇に障ったことを私は覚えている。
♦♦♦
「よう、目が覚めたかよ」
私が目を覚ました場所は見知らぬ部屋だった。どうやら木々で組まれたような家の中に私はいるらしい。私が横になっていたベッドの隣で椅子に男が座っていた。男は黒髪で背は高く、顔立ちは整っており美青年と呼べる容姿をしている。私を一目見て、興味なさそうに口を開いた彼に対して私は警戒心を強めた。
……何者だ?
私の警戒を感じ取ったのか、彼は肩をすくめている。……少なくとも彼は完璧な善人ではなさそうだったが、状況を鑑みると彼が私を助けてくれたのは確かなようだ。おまけに傷の手当までしてあるらしい。
「安心しろって、別に取って食おうとしているわけじゃねえさ。俺はただお前を助けただけだ。感謝されこそすれど、睨まれる筋合いはねぇよ。それともあれか、人の善行を信じられない性質か?」
彼の言葉に嘘は感じられない。彼と出会ったのは度重なるループの中で初めての経験だった。私の正体が王女ということも彼は知らないだろう。民衆に顔を出すことを私は極力避けていたからな。
「助けてもらったことには礼を言う。だが、何故私を助けた。見捨てておけばよかったものを」
諦観に包まれた中で全てがどうでもよくなっていたのに。
「あんたみたいな綺麗な女を道端に放り出して、後味の悪い思いはしたくなかったんだよ。まぁ、美人は嫌いじゃないんでね。それに……」
私を上から下まで舐めるように見た後に、彼は不気味な表情を浮かべる。折角の整っている男の顔が台無しだな。
「服がボロ雑巾みてぇになってたからな。流石に全裸同然の女を放置する趣味は俺にはない。手当もした、まあそこそこ眼福だったぜ」
どうやら服も繕われているらしい。筋肉質な見た目に似合わず器用な男だ。
「……変態か、お前は。まさか見返りを求めて私をここに連れてきたのか。金は持ってないぞ。この身一つで私は家を飛び出したからな」
家というか、王宮だが。持っているのは王家に伝わる短剣くらいだ。
「そんなことなんざ考えてもなかったな。どう考えてもヤバげな状況だったろ、あんた」
彼は私をじろりと一睨みすると、再び気だるそうな表情に戻る。
私の裸を見ておいて、さらりとそんな顔をするのか? 信じられん。普段の私なら恨み言をガミガミ吐くところだった。
……ループを始めた頃の私とは大違いだな。繰り返した人生の中で私の性格は相当厚かましくなっている。既に私の精神年齢はババアの域。しかし本音を言えば助かった。雨の中を彷徨い歩いていた私は疲労困憊の状態。魔物に襲われてピンチだったし、って。
「ヤバげな状況と言ったが、そういえば魔物は? 狼の魔物は非常に獰猛で一匹当たりSランク冒険者が二人がかりで抑え込まなければいけないレベルだったはずだが」
それが数匹。単純計算で言えばプロレベルの冒険者が複数動員されなければ対処できなかった事態だった。ちなみに冒険者というのは民衆が組織している何でも屋のような存在である。冒険者にはE~Sまでのランクがあり、その実績に応じてランクが決まっていた。
「あいつらなら全部片付けた。ついでに血抜きも済ませてある。今晩の飯になるだろうな。ちなみに、お前を襲った狼の魔物は A+ランクだ。あんたが喰われそうになった奴は群れの中でも上位種だな。俺がいなかったら今ごろあんたはあいつらの餌。少しは感謝してくれよ?」
冗談めかして彼は言う。その言葉を聞いて私は絶句していた。こいつは今なんて言った? A+ランクの魔獣の群れがいて、それをたった一人で屠っただと? ありえない。
その言葉が真実ならばこの男の強さは異常だ。しかし虚言とも思えない。意識を失う間際に薄っすらと目の前の男が戦っていた音を私は聞いていたからだ。
彼の言葉を信じるなら王国の騎士長なんかよりも彼は遥かに強いことになる。
私の驚愕の視線を感じたのか、彼は私を見つめ返す。そして、ニヤリと笑って告げた。
「俺の強さに吃驚して惚れちまったか?」
「馬鹿をいえ、私はお前に興味なんてないぞ」
最初にこいつのことを美青年と思ったことは生涯の秘密にしておかねばなるまい。助けてくれたことは感謝しているが、その後の態度がいけ好かない。
「そりゃ残念。……そういえば自己紹介がまだだったな。俺の名前はアル。歳は二十四。よろしくな、お嬢さん。あんたの名前は?」
「私の名前など聞いてどうするつもりだ?」
「どうもしないさ。ただ、あんたの名前が知りたいだけだ。嫌なら無理には聞かないが」
「……私の名前はアイリスだ」
普段の私なら偽名を名乗っていただろう。初めて出会った人間に信用も何もない。それでも本名を名乗った理由は私にも分からなかった。自暴自棄になって、人の寄り付かない森に立ち寄ったくらいだからな。自分でも自分がわからなくなっているのかもしれない。
「いい名前だ。それじゃあ改めて、よろしくな。アイリス。あんたには俺の生活に付き合ってもらうぜ。どうせその様子だと行く宛も無いんだろ?」
こうして私とアルは出会った。
アルとの出会いは鮮烈なものになった。
それはもう、これまで繰り返してきた人生の中で一番と言ってもいいほどに。
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