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治癒師の少女は、貧しい農民の家の出であった。4人兄弟の末子であった彼女は捨てられ、神殿によって拾われた。神女見習いとして働いていたある時、怪我をした同僚の傷をいやしたことから、治癒の力があることが発覚し、治癒師見習いとなった。治癒の力を持つものはそれなりに貴重で重宝される存在であった。
『神の導きがあることを』
それまで幾人もの先輩治癒師たちが戦場へと旅だっていった。まだ11歳であった治癒師の見習いの少女もまた戦いに身を投じることになったのである。
大人しい外見に似合わぬ胆力のあった少女は、神と神殿に連なるものたちへの敬愛を胸に兵士たちを治癒してまわった。基本的に治癒師にあるのは、支援能力のみ。魔王軍の暴力に立ち向かうことのできる武の力は持ってはいなかった。そのため、その攻撃が己に向いたときには自ら抗う術はなかったのである。基本的に、負傷兵をテントで治癒している治癒師が多い中、少女は前線で兵士たちの能力を向上させ、傷ついた身体を一瞬にして治してみせた。
だがそんな彼女を魔王軍が苦々しく思うことは必至のことであった。集中放火が少女の身を襲う。死を覚悟した少女だったが、危機一髪その身は救われた。国境沿いの村から徴兵され、その頭角を現してきた、のちに「勇者」となる16歳の少年であった。
少年はへたり込んでいた幼い少女の手をひき、敵を切り伏せてその渦中から掬い上げた。怒号が飛び交う前線を少し離れたところまで下がり、少女を地面に下ろした。
『ここは危険だ。早く後方まで下がれ』
周囲では両者の怒号が鳴りやまぬ状態。固い声で言うと、すぐに前線に戻ろうとした。踵をかえしかけた少年の服の裾がくい、と引かれる。
『私も行きます!』
『君みたいな女の子など奴らの格好の餌食だ』
『私は治癒師です!傷ついている兵士の皆さんを見殺しにはできません!』
『だが、』
『これは、私の命に代えても構わない使命なんです!』
少女の新緑の瞳はこの酷い戦火の中でも燃え尽きていなかった。少年は、射貫くような少女の強い瞳に苦いものを飲み込むような顔をした。
『それなら、俺の後ろに居ろッ』
半ば投げやりで乱暴に言った言葉に少女は目を瞬かせ、頷いた。少年と、治癒師の少女のタッグは魔王軍に対して非常に効果的であった。国王軍は勢いづき、その日、魔王軍の幹部の一人が彼らの尽力により屠られたのである。
治癒師見習いだった少女はその戦いで正式に史上最年少の治癒師となった。
治癒師の少女と少年が再会したのはそれから2年後であった。すでに力をつけ「勇者」となっていた少年と、治癒師の中でも指折りの実力者となっていた少女。上級魔族の力で少女が前線から離れた森へ飛ばされた。厄介な少女の治癒能力を封じ込めようと隔離作戦をこうじたのである。少年はその企みに気が付き、魔力の陣に飛び込んだ。少年は少女を背に庇う。周囲には上級魔族10人と、幹部が1人。簡単にいく相手ではなかった。
しかも、連中の狙いは少女である。少女を守り魔王軍の精鋭を撃破するのは並大抵のことではない。少年は奮戦した。それは鬼気迫るものであった。
襲かかる敵を切り伏せ、残りは幹部ただ一人となった。天候は荒れにあれ、大粒の雨が彼らに降り注いでいる。疲弊した少年は、ぬかるんだ地面に足をとられた。そのすきに幹部の一手が少年に襲い掛かる。少女の悲鳴が聞こえたーー。
少年は自分が死んだと思った。だが、ほんの一瞬であるはずの時間が恐ろしくゆっくりと感じられ、気が付いたときには幹部は自分の首を刈り取り自害していた。
何が起こったのか、少年にはさっぱり理解できなかった。辛くも、勝利したのだ、と地面にしゃがみこみ、少女のほうを振り返る。
少女は顔が真っ青になり、がたがたと震えていた。
この雨の中治癒と身体強化をかけ続けていたせいか、と少年は思った。だが、それにしても何かに怯えているようだ。勝利を収め、敵は除けられたのに何をそんなに恐れる必要があるのか、と少年は不思議に感じた。が、少女の銀髪に黒が滲んでいるのに気が付いて顔色を変えた。
少女は、勇者の視線で自身の黒く染まったひと房の髪に気づきさらに動揺した。
『わ、わたし……わたしは』
少女は腰に差してあった懐剣を自身の首に突き立てようとした。少年は駆け、少女の手から鈍色に光る凶器を奪い去った。
『何をするんだ!!』
焦った声の少年に少女は泣きそうに顔を歪めた。
『さっき、わたしが…、あれは魔の力にしかみえな…、』
少年はその言葉で、先程の魔族の自決が少女によって成されたことなのだとぴんときた。一瞬の時を支配し、相手に自分の望む動きをさせる。酷く動揺している少女をみるに、それはやろうと思ってしたことではなく、願ったら出来てしまったということなのだろう。
なるほど、聖の力とは相反する力だ。少女の髪色が変色したのも、魔に属する力なのだと説得力があった。
『こんなの、死んだほうが』
『君は俺を助けるためにその力をつかっただろ!』
少年は少女の肩を掴んだ。宙をさまよっていた瞳が、少年の瞳に引き寄せられる。
『たとえ魔に属する力だとしても、君がいなければ俺は死んでいた。だから、死んだ方がよかったなんていうな』
治癒師の少女の両目から涙がこぼれおちる。少年は少女を力強く抱きしめた。少女の震えがおさまるまでずっとそうしていた。
少し落ち着いたころ、少年はそっと少女の髪に触れた。ぴくり、と少女は縮こまり、上目遣いに少年を見上げた。そんなに恐がらなくても、と少年は肩をすくめる。少年は少女のひと房の黒髪を、銀髪をうまく編み込むことによって隠した。少女はその手際の良さに目を瞬かせる。
『昔、よくやったから。……ああ、似合ってる』
その瞳には、失われたものを懐かしむような色があった。すぐに消えたその色を、少女はその後ずっと忘れることはできなかった。
『君のその力は、俺と君だけの秘密にしておこう。』
少女はこくりとうなずき、少年のあとにつづいた。
闇に属する力を開花させてしまった少女は、だからこそ聖なる力にさらに強く憧れた。その昔国の危機を救ったとされる伝説の聖女にあった、黒を白へと回帰させる、浄化の力。治癒師がその段階へとたどり着くことは容易ではない。だが、少女はその力がなんとしても欲しかった。黒きに汚されたように感じた自分を取り戻そうと訓練した。
少女は支配の力を封じた。魔王城への奇襲部隊に編制され、その激しい戦いの最中も使うことは一切なかった。だが。
「君が、俺にベラを殺させたのか……?」
顔を歪め、勇者は治癒師の少女に問いかける。信じたくないと否定する心と、それ以外考えられないという論理的な思考が勇者の胸中で暴れる。
「私の使命ですから」
初めて出会ったときと同じ言葉。だがその瞳には幼き日の希望はなく、どんよりと濁っていた。もし少女が否定すれば、勇者は少女に不信感を抱いていたままでも、最後まで責めるつもりなどなかった。だが、少女はなんの言い訳もせず、言外に肯定したのである。
勇者は口をわなわなと震わせ、目を開き、少女に向かって憎悪を込めた一言を叫んだ。
「あの時、助けなければよかった!!」
治癒師の少女は酷く傷ついた顔をした。
勇者は治癒師の少女の襟首をつかみかかる。むせび泣き、口汚く罵った。
おびただしいほどの憎悪が一心に少女に向けられる。治癒師の少女はただ無言でその言葉の暴力を受け入れていた。傷つく資格などないのだ、と自分に言いきかせるように。甘んじて受け入れていた。「殺してやる」という身もふたもない殺傷力の高い言葉が治癒師の胸を突き刺した。痛む胸を抑えながら、少女はまだ殺されるわけにはいかない、と勇者を見上げた。
「私はどうなっても構いません。ですがあと一つだけやらせていただきたいのです」
「何を……」
治癒師の少女は杖を掲げ、詠唱し始めた。杖の先にぽう、と光が集まる。それは治癒でも、身体強化の時でも見たことのない不思議な色をしていた。白の中に全ての色を内包しているような、眩しすぎる輝き。勇者はその美しい光に魅入られ、掴む力を緩ませたほどであった。
詠唱の最後の言葉がその口から紡がれたとき、杖の先から飛び出した光が、勇者の後方へと真っすぐに向かう。勇者がその光を追って後ろを振り向くと、横たえられていた使い魔の身体が光の渦に包まれた。
火がつき燃え尽きた炭が崩れ落ちるように、ぼろぼろと形を失っていくように勇者には感じられ、こらえきれずに手を伸ばした。だが、実際のところそれは消滅ではなかった。
使い魔を覆っていた黒が、ぼろぼろと崩れ去る。闇色だった髪は勇者と同じ栗毛色へ、土気色になっていた頬は内側から発光するような白肌に赤みがさした。
「ベラ……??」
勇者はその光景を食い入るように見ていた。目の前で起きていることが信じられず、興奮で勇者の胸はどくどくと音を立てた。
黒く染められたものが白へと戻る。それは、伝説に語られる聖女の起こした奇跡。黒く染められた魔王の手先は、浄化によりその本来の姿を取り戻したのである。
勇者はその奇跡を起こした人物のほうを振り返り、謝罪と感謝を告げようとーー。
「っ!?」
治癒師の少女の月光色の髪は、光を失い宵闇の色へと変わっていく。慈愛と献身を象徴するような穏やかなエメラルドグリーンの瞳も暗く濁っていく。
〈浄化〉は、そもそも聖女のみに許された奇跡の御業である。それは治癒師が行えるような代物ではなかった。歴史の中で近いことを再現しようとした者たちはわずかだが存在した。彼らは、闇の力を完全に消し去ることはできなかった。できたのは対象に染み付いた闇の力を引き剥がすことである。
では引き剥がした闇の力は何処へ向かうのか。答えは至極簡単であった。〈浄化〉を行った本人へと還るのである。黒き力と白き力の交換。それが、先人たちと同じく治癒師の少女が辿り着いた境地であった。
呆然としている勇者に、少女は微笑んだ。その微笑みが幼き日妹が去っていた時の姿と重なった。「待っ」
『 』
声にならない言葉が紡がれ、そして。
少女はその場に糸の切れた人形のように倒れた。
魔王を打ち倒した勇者と、救い出された姫と、浄化で汚れなき心を取り戻した少女。魔王の脅威が取り除かれ、国の安寧が約束されたはずの今この時。
勇者はちっとも、幸せではなかった。
「ふ、はははははははは。アハハハハハハははははは!」
勇者は狂ったように笑いだす。檻の錠が解かれ、出てきた姫は「勇者様……?」とその背に恐る恐る声をかけた。
「そんなのって、おかしいだろ……?」
勇者にとって、治癒師の少女は他の人とは少し違う位置にいた存在だった。5つ年下の少女の緑の目、そして一度やると決めたら引かない性格はどこか妹に似ていた。だからこそ、一番守りに力を入れていた。少女が魔王の間にいたるまで生き残ったのは偶然ではなく必然だったのである。
その思いを口にしたことも、分かりやすく表面に出したこともなかったが。
だからこそ、よりにもよって少し特別に感じていた彼女のせいで妹を手にかけることになったことが勇者にとっては酷く辛く、動揺もあって、辛く当たってしまったのだ。
「なん、で、なんで……」
勇者は「殺してやる」と叫んだ自分を酷く呪いたくなった。治癒師の少女は、ただ自分の本分に則って、忌み嫌う力を使ってまでその使命を果たした。妹のことは、勇者の私事であって、本来治癒師の少女には関係のないことなのだ。あの場面で、戦う気力を失っていた勇者を目の前に、少女は自分のできる最良の選択をした。それを責める道理は、勇者にはないはずだった。
勇者の命を救い、国のために行動した少女をよりにもよって勇者は口汚く罵った。嫌われ疎まれても仕方のないことだった。だが少女は勇者の妹を、自分の身を犠牲にしてまで助けたのである。
最後の瞬間の微笑みが勇者に焼き付いて離れなかった。
「こんな結末を望んでたわけじゃない……」
勇者は最期に少女が何故笑ったのか、何という言葉を自分に言っていたのか。焦燥感が勇者の胸を焦がす。
ふと、勇者は治癒師の少女の上にぼわ、と浮かぶ物体に気が付く。それはうろうろと居場所を求めていた。反射的に勇者はそれを捕まえた。質量をともなわないそれは、その実非常に重かった。そして、温かった。
その正体に思い至ったとき勇者は「それ」を握ったまま部屋の中を物色する。落ちていた小さな籠を見つけ、そこに「それ」を入れた。だが、錠はかからない。勇者は逡巡したあと、魔王が絶命している玉座へと向かった。その手にはまるどす黒いオーラを醸し出す指輪をその手からとり、なんの躊躇もなく自分のひとさし指へとはめた。ぐう、と勇者はうめいた。勇者の体内を黒い力がはいずり、飲み込まれそうになる。勇者の金色の髪の先から黒に変化していく。目は血のような赤に。
そしてすべてがおちついたとき、勇者は元の勇者ではなかった。
籠の中で今にも消えかけそうな白き光。それは、魔を取り込んだ勇者の目には先程とは打って変わってはっきりと何なのか認識できた。魂。治癒師の少女の清らかな魂。身体が黒く染まっても、その内部までもは黒に染められることはなかったようだった。
勇者は魔力で籠に錠をした。そして、それを親指サイズの大きさにまで縮める。
「いつか、必ず」
魂を魔の籠に閉じ込めたネックレスを着け、勇者は歩き出す。黒が白に、白は黒と化し。彼女の最後の言葉を知るために、新たな悪となる。
勇者が魔王を討ち果たしたとき、弱体化していた魔王軍もまた国王軍によって討ち果たされた。真に王国に平和がもたらされたのである。長きにわたる戦争の終結に国は大いにその喜びを分かち合った。その凱旋パレードには、本来であれば一番賞賛を受けるべき人物が参加して居なかった。
「勇者」のその後を知るものは、誰もいなかったのである。