偵察することにした2
「え……?」
私は急いで立ち上がろうとドレスの海の中でもがいたが、ドレスはそこそこの重量があるのでこういうときはすぐに立ち上がるのは難しい。
なのにそんな私のすぐ近くで手を差し伸べるでもなく棒立ちしたまま、あろうことかロビンは言った。
「エレンティナ、君はもう少し落ち着いて行動するべきだね。れっきとした貴族令嬢がそんな風に転んで床に這いつくばるなんて、なんてみっともない。僕は残念だよ」
胸に手を当ててさも残念そうに顔を横に振っているロビン、って、いや、あなたがやったんでしょう!?
無理に腕を引っ張って転ばせたのはあなたでしょう!?
私はあまりのロビンの腐った根性に、立ち上がるのも忘れて唖然とした。
なに言ってんの、こいつ。
と、その時。
「大丈夫ですか? 私には貴女が彼に腕を引っ張られていたように見えたのですが。痛めてはいませんか?」
そんな声と共に、私に手を差し伸べる紳士が。
「まあ、ありがとうございます」
私はその手に助けられて、できる限り早く立ち上がった。
なんて親切な人だろう。その手は大きくて温かく、そして力強かった。
そうよ、これが紳士ってものよ。
ロビンも見習ってほしい。
なんとか立ち上がると軽くドレスの埃を払って、シワがついていないかとか汚れがついていないかをチェックする。
どうやら傍目には大丈夫そうで良かった。
しかしその間も、おそらく私に傷つけられたプライドを立て直すべく、ロビンはグチグチと私を非難し続けていた。
そしてあろうことか私を助けてくれた紳士にまで文句を言う始末。
「僕は彼女がふらついたから支えようとしただけだ。だいたい彼女は僕の婚約者だったときから落ち着きがなくて、いつも僕がフォローしなければならなかったんですよ。今回だってそうだ。なのに妙な言いがかりはやめていただきたい」
ご丁寧に「僕の婚約者だった」という部分を強調して言うのはやめて欲しい。そんな過去をひけらかして誰が得をするというのだ。
私としてはそんな汚点は一刻も早く忘れてしまいたいのに、どうしていちいち思い出させようとしてくるんだこの男。
それにしても私に手を貸してくれた親切な人はロビンに喧嘩腰にそう言われ、すっかりとばっちりである。ただ紳士として女性に優しくするという正しい行いをしただけなのに。
それでも私はその背の高い紳士がロビンに怯むことなく私を守るように隣に立っていてくれるのが嬉しかった。
「あの……」
私は言いたいことがたくさんあった。
もちろん彼が私を引き倒したんですよ。
もう婚約はとっくに解消したのだから彼と私は全く関係ないんですよ。
だから助けてくれて本当に嬉しかったんです。ありがとう。
しかしそのどれも言えない内に、隣にいた男はロビンに流れるように言ったのだった。
「では、これからは私が彼女のフォローをしますから、君はもういいですよ。彼女は今は私の婚約者ですので」
「はい?」
「はあ?」
思わず私とロビンから、同時に間抜けな声が漏れる。
でもこの人、初めて見る人……とまで考えて、改めて考えてみたら私は自分の婚約者の顔を知らないのだった。
と、いうことは。
ま さ か ……?
私は思わず隣に立ってまっすぐにロビンの方を向いている男を見上げた。
だが。
うん黒髪で……男の人。以上。
驚いたことに、その人を間近でじっくり見たのにそれ以上の情報が全く読み取れなかった。
なにしろその髪は後ろになでつけられ……ていたはずだとは思うが今はすっかりぼさぼさで、さらに後頭部には大きな寝癖がぴょこんと自己主張するように立ってる。
目元も長い前髪がぼさぼさと被さってきていてよく見えない。
髪以外では唯一がっしりとして男らしい顎のラインが、かろうじて頼もしいといえば頼もしい……のかもしれない、その無精ひげさえ無ければ……。
なんだこの人……?
どれだけ身なりを整えるのをサボるとここまでになるのだろう?
貴族って、常に近侍が身だしなみのお世話をして綺麗にするものじゃあないの?
なぜこの人の近侍は仕事をさぼっているのだろう?
着ているものも、生地だけ見れば上等な衣服のようなのに。
ちょっと色と模様がちぐはぐとはいえ……。
うん、太さが違うとは言えチェックのベストとストライプのスラックスは組み合わせない方がいいと思うのよね。
目がちょっとチカチカするわ。
…………。
近侍! 仕事しろ!
しかもこの人、私がこんなにあからさまに見上げているというのに、そしてそれを察しているだろうに、今も私を完全無視してロビンの方しか見ていないんですけど?
ちょっと、この私の驚きと動揺は無視ですか?
普通の紳士ならばこういう場面では、たとえば私の方を見て微笑んだりするものじゃあないの? なのに私は丸無視ですか!?
私があまりに動揺していたので、先に立ち直ったのはロビンだった。
「ええと……誰……? 人違いではありませんか? 彼女は、そこのエレンティナは、つい先日まで僕と婚約をしていたんですよ? それに彼女は僕と婚約しているときにも決して他の男性から人気があるようにも見えませんでしたが。まあ結局は僕も真実の愛を見つけてしまったので彼女との婚約は破棄させてもらったのですがね」
ふっ。
って、だからなにをいちいち格好つけているのか。
私は我ながらよくこんな男に長い間我慢していたものだと、過去の自分を褒めてやりたくなった。うん私、よく我慢した。偉い。よく頑張った。
しかし私がそんな感じで唖然として口がきけないうちに、それでも目の前では話がどんどん進む。