偵察することにした1
ひたすらキョロキョロと周りを見回しながら一人で会場をそぞろ歩くことにした。
ついでに何かの鳥のローストやら何かの煮込みやら、なんとかのパテとか、とりあえず美味しそうなお料理を堪能する。うん、美味しい。
手に取ったお皿に料理を次から次へとひょいひょい乗せつつ、のんびり歩いた。
少なくとも今は「女性は小食のはずなのにそんなにパクつくなんてはしたない」とか「そんなに食べるなんて僕に恥をかかす気か」とか、近くで何かと煩く言うロビンはもういないので、心置きなくお料理を堪能するのだ。
もちろん顔も知らないどこぞの公爵の意向なんてもっとどうでもいい。
むしろこの私の姿を見て失望して、今日中に婚約破棄のお手紙をくれたら万々歳である。
もし私の顔や姿をちゃんと認識しているのなら、だけれどね。
そこでふと、もしかして件の公爵は相手を間違えたのではないかと私は思いあたった。
ああ、それなら合点がいく。
どこかの麗しの令嬢の名前と私の名前を、うっかり間違えたのかもしれない。
ならばもっと、私がここで一人お料理をがっついていてもきっとわからないだろう。
そしてその誤解は今後ゆっくり解けばいいだけの話だ。
間違いならば訂正されて、全てはなかったことになる。
なんて素敵なめでたしめでたし。
当のアーデン公爵が婚約が成立したと大喜びでその令嬢に会いに行って、すでにもう全てが誤解だったのだと向こうが理解していてくれればなお喜ばしい。
あ、じゃあ私、今日このパーティーに来ることもなかったかしら? お家で「誤解だったから婚約は無かったことに」とあっちが言い出すのを待っていれば良かったかも?
とは思ったけれど、まあもう来てしまったし、お料理も美味しいし、なら今はこのパーティーを堪能しつつ、間違えて結婚を申し込むようなうっかりさんの公爵様を見物して帰りましょう。
さてさて、当の公爵様はどこかしらね~。
などとニヤニヤしながら私がバルコニーの近くに来た時だった。
「おい。エレンティナ、どうしてそんなに着飾って出てきているんだ。僕に婚約を破棄されたばかりだろうが。恥を知れ。それとももう次の獲物を漁りにきたのか? 僕に振られてさぞ傷心なのかと思ったら、なんだそんな相変わらず人前でモリモリ食べて。君には繊細な神経というものはないのか? はっ、君とは婚約を破棄して正解だったな!」
そんな嫌みが突然後ろから聞こえて来た。
それは、今までも散々聞いた声。ロビン。
そういえば彼も伯爵家の人間なので今日このパーティーに来ていてもおかしくはないのだけれど、だからといってお話ししたいかと言われたらもちろん全然したくない。
でも私も貴族のはしくれ、明らかに自分に話しかけられているのに無視することは礼儀上出来ないので、小さくため息をつきながらも渋々ながら振り返って挨拶した。
「あらロビン、ごきげんよう。今日は愛しい婚約者と一緒ではないの?」
「は? もちろん来ているに決まっているだろう。僕たちは正式に婚約をしたんだ。だからもう彼女は我が伯爵家の一員も同然。これからはこういうパーティーにも慣れてもらわないといけないからな」
たしかにロビンが「真実の愛」とやらで結ばれたマリリンは最近男爵家の養女になった人なので、今まではこういう高位貴族ばかりのパーティーにはあまり出ることはなかったのだろう。マリリン、確実に出世しているわね。
でも今はもう私とは関係なくない?
「まあ、そうだったのね。ではそちらに行ってあげてくださいな。私は私で勝手にのんびりしていますから」
だからあっちに行って。
そう言ったつもりなのに。
「そうもいかないだろう。君はほんの一時期とはいえ、つい最近まで僕の婚約者だったんだぞ。普通の淑女ならば傷心のあまり今年の社交シーズンは遠慮するところだというのに、もうそんなに着飾ってパーティーになんて出ていたら、僕が恥ずかしい思いをするとは思わなかったのか?」
は? 思いませんが? なんであなたに配慮しないといけないんで?
と思わず口から飛び出そうになったけれども、さすがに「伯爵令嬢」としてはそうそう露骨には言えないので、一応婉曲な表現をしないといけないのはああ貴族って面倒くさい。
「まあ、それは思い至りませんでしたわ。でももうあなたは私とは関係ないのですから、私のことはどうぞ放って置いてくださいませ」
「だからそういう生意気なところが可愛くないんだよ! もう少し傷ついた顔でもすれば、まだ僕も優しい気持ちになれるのに。どうせそんなでは他の男からも相手にされないぞ。もう少ししおらしくしていたらどうだ?」
縁は切れたはずなのに、なぜまだこの男の機嫌を気にしなければならないのか。
「はあ? 余計なお世話でしょう。別にあなたに私の心配をしてもらう義理はもうありません」
思わず言い返してしまった私だった。
婉曲? あら何だったかしら?
「なっ……!」
今までは一応「婚約者」という立場だったので、後々面倒くさくならないようにこういう言葉は飲み込んでいたのだけれど、さすがにもういいわよね?
だってこの人、もう私とは無関係の人だもの!
しかし私が反抗的な態度を初めて見せたので、ロビンの方は一瞬面食らって絶句したようだった。
よし、この隙に逃げよう。
「では失礼します」
ロビンの狼狽えた姿に満足した私はきびすを返してその場を立ち去ろうと――
「待てよ! ふざけるな! 一体誰に向かってっ!」
私は突然ぐいっと腕を後ろに引っ張られてのけぞった。
なに……? 何が起こったの……?
私は突然のことに驚いているうちに、そのままどさりと後ろ向きに倒れて尻餅をついてしまった。
ひんやりした石の床が冷たくて、痛い。