王の紋章4
政治の道具として。王の娘として。
マリーが出自を明らかにしたときの代償は大きい。
私は言った。
「もちろんこのまま学院に残って今のまま、穏やかに暮らすことも出来るの。私たちが黙ってさえいれば、それは簡単に実現する。私たちはあなたの望まないことはしないわ」
私は私よりも若い、まだ十代半ばの女性に人生の決断を迫っていることをわかっている。
マリーの母の言葉「自由にそして健やかに」という意味が今はとてもよくわかる。
出自が明らかになってしまったら、おそらく彼女は自由に生きることが出来なくなるだろう。
マリーは、その黄金の豊かな髪をお日様の光にキラキラさせながら、穏やかに笑った。
「私、自分が王様の娘かも知れないと思ったあの時から、実は少し自分でも調べてみたんです。今の王家やこの国のこと。だからその政略婚のことも知っていました」
それは、凜とした姿だった。
「ルトリアには魔法を使う人が普通にいるそうだ。そしてそれは公に認められているらしい。我が国が頑なに『魔女』の流入を拒んで国交を厳しく監視しているせいで情報があまり入ってはこないのだが、おそらくは文化や考え方がこの国とは全く違うだろう」
公爵は心配そうな顔をしていた。
もともと仲が良いわけではない国同士の政略結婚で、幸せになれる可能性はどれほどあるのだろうか。体の良い人質として、どんな生活が待っているのかは全くわからない。
それでもマリーはゆっくりと、慎重に言った。
「それも、少しですけれども新聞や本で読みました。それで私、思ったのです。私が本当に王様の娘なのだったら、私はその役割を果たすべきではないかと」
「マリー、それでいいの……?」
「私、嬉しかったんです。自分の親が誰なのかがわかって。私は今までずっとここで暮らしていたけれど、あまり生きている実感がなかったのです。私はどこの誰でもない、ただここにいるだけの存在だった。そしてこのままずっと、どこからも必要とされない、どこの誰でもない存在としてただ漠然と一生ここにいるのだろうと思っていたのです。でも、私が誰なのかがわかったのなら、その誰かとして生きてみたい。それが王様の娘だろうと、花屋の娘だろうと、私は私の生まれたところで人生を歩んでみたいのです」
マリーはきっと何日も考えたのだろう。もう、すっきりとした、迷いのない表情をしていた。
「では、私から王に報告することにするよ。あなたのブローチを一時預かることになる。王に報告をしてしまったら、おそらくもう無かったことにはできなくなるが、それでもいいんだね?」
公爵が最後に念を押した。
「はい。よろしくお願いします」
マリーは公爵に深々と頭を下げた。
「王に何か伝えたいことはあるかな?」
「……いつか、私の母のことを教えていただけたら嬉しいと」
「わかった」
そうして私たちは学院を後にしたのだった。
全ては秘密裏に行われた。
だいたいマリーのいたところが国の秘密でもあるのだから当然のことなのだが。
公爵という地位は、王にこっそり報告するのにはとても良い地位である。
男爵が王に会おうとするよりも遥かに手間がいらないのだから。
アーデン公爵は本物のマルガリータ王女を見つけたこと、そしてマルガリータ王女本人の意思を王に伝えた。
私が公爵に後から聞いたところによると、王は公爵の報告を聞くと大きなため息を一つついて、「それで、私の娘は元気だったか?」と聞いたとのことだった。
どうやら証拠なんていらなかったようだ。
王は、ご自分の娘がどこにいるのかを知っていたらしい。
王家は、これで魔力のある人間を少なくとも二人生み出したことになる。
このことが表に出たら、もはや「魔女」を国から排斥し続けることは難しいだろう。
アーデン公爵はそう王に進言して、マルガリータ王女の後見を申し出たのだった。
我々は、「魔女」であるマルガリータ王女を守る。
だから、もう隠しはしないでほしい。
……まあ、どうせ隣国に嫁いだらバレちゃうしね。
公爵が言うには、王はオルセン男爵が見つけたというマルガリータ嬢が最初から偽物だとわかっていたとのことだった。
ただ、今は政略の駒も切実に欲していた。
だから、そのまま娘だということにしてルトリア王国に送ることも考えていたようだった。
本物は安全な場所で何も知らずに平和に幸せに暮らしている。
そう信じていたから、それまではその本物の娘を魔女だと認めた上で表舞台に引っ張り出すつもりはなかったらしい。
幸い男爵の差し出した娘には、魔力が無かった。
そのことは、さまざまな不都合な真実を隠すのにはとても都合が良かったのだ。
しかしここで本物のマルガリータ王女、つまりはマリーの意思を聞いたことで、王も重い腰を上げることにしたようだった。
どうせ今の「魔女」を追放する体制はもう長くは持たない。
改めてアーデン公爵が調べたところ、特に資料が詳しく残っている学院のここ二百年のうちに、ほぼ全ての貴族の家から子弟が少なくとも一人はあのデ・ロスティ学院に送られていたことが判明した。中には二人三人と送っている家も少なくなかった。
調べたアーデン公爵自身が、この事実に驚くというオチである。
つまりは、貴族のほぼ全ての家があの学院の存在を知っていたということになる。
あの学院の存在は、「魔女」たちが口伝で語り継いできた。いつか生まれるかも知れない魔力を持った子孫のために、その学院の存在と保護を求める方法を、密かに親から子へと語り継いできたのだ。
家の外では固く口を閉ざしながら。
今やほとんどの貴族の家が、それを自分たちしか知らないと信じて秘密を頑なに守っていることになる。
公然の秘密。そんな言葉が思い出された。






