アーデン公爵家3
長い長い豪華な廊下をひたすら歩き、たくさんの扉の前を過ぎ、もうここで執事が消えてしまったら、絶対に最初の応接室には戻れないだろうと私が確信してさらに随分たった頃、執事がとあるドアをノックして言ったのだった。
「ご主人様、お客様をお連れしました」
ガチャ。
そして有無を言わさず扉を開ける。
ん? 執事、結構強気だな? 主人の返事を待たないとは。
と思ったのだが、次の瞬間には目の前の光景に目を奪われて、そんなことはあっという間に頭から吹っ飛んだのだった。
なにしろそこは、一面が魔方陣で埋め尽くされていた。
広い広い、しかし薄暗い部屋の中には無数の青白く光る魔方陣たち。
ふと、昔同じような光景を見た記憶が突然私に蘇った。
……そう、それはまだ子供の頃、たくさんの「魔女」とごくごく少数の「魔術師」たちの集う学院で。
みんながその瞳を黄金色に輝かせないための術を、「魔法」を発動させない術を完璧に身につけて一日でも早く親元に帰りたいと願っていたというのにその中でただ一人、そんな努力を全くせずにひたすら魔方陣を描いていた変人の姿。
このお兄さんは両親の元に早く帰りたくはないのかしらと、私はいつも不思議に思っていたものだった。
けれどもその人は、その美しく光り輝く黄金の瞳をさらにキラキラとさせて、いつも生き生きと学院の庭の砂地に魔方陣を描いては教師に消されていたのだ。
魔方陣を見るのは、その時以来だった。
そんなことを私がぼんやりと思い出していたら、その部屋の中心にうずくまっていたらしい人が慌てて立ち上がって叫んだ。
「セバス! この部屋には誰も……エレンティナ!?」
その声の主は、アーデン公爵だった。
しかし今叱責されたはずの執事セバスは、しれっと答えた。
「ノックしましたがお返事がありませんでしたので、お取り込み中と判断してお嬢様をお連れしました」
「そんなはずはないだろう。ノックがあったらちゃんと聞こえるように、ノック音を増幅させる魔方陣をこの前ここに……おっと」
……何をいまさら、うっかり不味いことを言ってしまったとでも言うように口を押さえているのかしら。
その台詞よりももっと不味い光景がすでに私の視界いっぱいに展開されているというのに、何をいまさらしらを切ろうとしているのか。
「……その魔方陣、壊れているようですわね?」
私はオロオロと目を泳がせている美貌の公爵を前に、ピキピキと青筋をたてつつ言ったのだった。
「それではお嬢様、ごゆっくり。後ほどお茶をお持ちいたします」
そう言って、またしれっと執事は部屋を出て行った。
なんとなく、あの執事はこの状況をわざと作ったのではないかと思った私だった。
確信犯、そんな言葉が脳裏をよぎる。
「あの……エレンティナ、これには訳があって……」
「ほう? どのような?」
「えーと……えーと、あー…………魔方陣はとても便利で素晴らしい技術なんだ……」
そして観念したかのように、がっくりと肩を落として公爵は言ったのだった。
そうでしょうね、そう言いつつも私は理解した。
この人、「魔術師」だ。
なぜか瞳は今も黄金ではないが、その正体は「魔術師」なのだ。
天下の公爵様が。
王族と血縁のある血筋の人が。
それは、この国最大のスキャンダルになるのではなかろうか……。
「魔女」を徹底的に追放している親玉の王のこんな近くに「魔術師」がいるとは、まさか貴族の誰一人として想像していなかっただろう。
よく隠してこられたものだ。
あ、だから引きこもっていた……のではないな。
私は部屋中に無秩序に描かれた魔方陣の山を見て、そう確信した。
この人、好きでこの部屋に引きこもっているんだな?
薄暗い中でよくよく見ると、公爵は初めて会った時のように顎には無精髭が生え、髪の毛は洗いざらしのボサボサのまま、そして床を見てみると最初は着ていたらしい上等な上着が部屋の隅に放り投げられている。
なるほど、あれを「拾って着る」のね……。
こんなところで初めて会ったときの疑問の答えが得られるとはね。
公爵は今、盛大なイタズラがバレた男の子のような顔をしてオロオロと私の顔を窺っていた。
けれども私はその時はただ、きっとあの学院の庭でかつてよく話した、砂地で魔方陣を延々と描いていたあの男の子ときっと気が合うだろうな、とぼんやりと思っていた。
もしかしたら「魔術師」に生まれた男の子には、魔方陣がとても魅力的に映るのかも知れない。
「あの……ごめん」
「はい? 何を謝っていらっしゃるのかしら?」
「隠していたこと」
「そうですねえ、驚きました。けど」
「けど……?」
「まあ、私も『魔女』ですから、おあいこですね」






