まずは説得を試みる1
私はとりあえずは落ち着いて会話が出来そうに思えた近くのバルコニーに公爵を誘った。
幸い他に人はいない。内緒話をするのにはうってつけだ。
バルコニーに出てから私はくるりと公爵の方に向き直って言った。
「では改めまして、さきほどは助けていただいてありがとうございました。エレンティナ・トラスフォートでございます。それで、ええと……初めまして、だと思うのですが……?」
冷静に考えると婚約している相手に向かって初めましてもおかしいとは思うのだが、なにしろ記憶がないのだからしかたがない。ここで嘘をついても意味はないだろう。
それに最終的には婚約は白紙になるのだとしたら、取り繕う理由もないのだし。
きっとどこかで何か誤解があったに違いない。
私は当の本人を見た今、そう確信していた。
目の前の男は相変わらず所在なさげに立っていたけれど、確かに答えた。
「……はい」
非常に気弱そうな声だったけれど、やはり私の記憶がすっぽりと抜けていたわけではなかったらしい。
しかし会話はそこで途切れ、向こうはそれ以上は語らないつもりのようだ。
しょうがないので私はさらに切り込むことにした。
「あの、私の勘違いでなければ、父に私との結婚を申し込んだということですが」
「……はい」
「ええと……どなたかとお間違えということは……」
「いいえ」
「……では何か、深いご事情でもあったのですか? とにかく誰かとすぐに婚約しないといけないような何かが」
「……は? ……いいえ」
「じゃあ、なぜです? なぜ私なのでしょう?」
「…………」
うーん、そこでだんまりかー。
私は会話の限界を感じたのだった。
この人、今のところ「はい」か「いいえ」しか答えてないよ。
聞けば返事はするけれど、だからといって何か情報を得られた気もしない。
ああめんどくさい。
じゃあもう、本題に入っていいか。いいよね?
「あの、もしこれが間違いや不本意な状態でしたら、すぐにでも取り消してくださっていいのですが」
「いいえ」
いいえ!?
え? なぜそこで「いいえ」?
なぜそこだけ即答なの!?
「つまりは……この婚約を継続されると……?」
まさかそんな意思があるとは思えなかったので恐る恐る聞いてみる。
正気か?
そんな気持ちと共に。
しかし帰ってきた返事は。
「はい」
もしやこの目の前の男は、実はイエスかノーしか言えない機械仕掛けの人形なのではなかろうかとさえ思えてきたが、それでも会話が続いているのはもはや奇跡では? 私頑張ってる!
そんなことを遠い目をしながら考えていたら、ようやく目の前の男からも別の言葉が出てきたのだった。
「お嫌でしょうか……?」
もちろん、嫌です!
と、言いたかったのだけれど。
なんだか公爵がそう言ったとき、天下の大貴族である公爵様ともあろう人がこんな小娘相手になんだかびくびくしているような気がして、不覚にも私はちょっと同情してしまったのだった。
きっと嫌だとは言われたくないのだろう。でも言われるかも、そんな気持ちがそのびくびくの中に感じられて、そんな気弱な人を追い込むようなことをする気にはなれなかったというか。
なので、
「ああー……。いやえーと、あなたが嫌というのではなくてですね。私はただ、結婚はしなくてもいいかなーと、思っていて、ですね……はい」
日和った私は思わず言葉を濁したのだった。
そう、あなたが嫌なわけではないのよーだから傷つかないで-。
私にも良心はあるのだ。
それが良かったのかどうなのか、その私の言葉を聞いて公爵がとても不思議そうに言った。
「それは、どうしてでしょうか」
なんと、先ほどに続いてついにイエスかノー以外の返答が出来るようになったらしい。
首をかしげてそう聞き返した公爵の顔に厚くかぶさっている前髪がちょっと揺れて、その奥に薄いグレーの瞳がちらっと見えた。
ほんの一瞬の出来事。
でもその瞳は不機嫌な感じでもなく、純粋に疑問に思う澄んだ瞳のように見えた。
この人はきっと悪い人ではない。たぶん、本当に疑問なんだろう。
そう思った私は、ただ突き放すのではなくて、ちゃんと私の事情も伝えようと思ったのだった。
さすがに「魔女」の件は極秘事項だが、正直に言っても聞いてもらえそうな、そんな気がしたから。
一時間後。
「だから女性もやりがいのある仕事を見つけてもいいと思うんですよね。子育てとか、家を整えるとか夫をたてるとかそういう一般的なものじゃなくて、なんていうか自分が好きで頑張りたいというものが、他にあってもいいと思いませんか?」
この一時間、私はひたすら喋り続けていた。
もちろん最初は単に「私は仕事をしたいから結婚はしたくない。この婚約は破棄して欲しい」ということを簡潔に、かつわかりやすく伝えるつもりだったのだが。
「それが私にはお仕事なんです。私はやりたいことがあるんですよ。ただそれは貴族と結婚してお屋敷の中から出ない生活では出来ないことで。だったらずうっとそんな思いを抱えながら一生誰かの奥様として家の中で暮らすのは私にはストレス以外にならないと思いません? それにあなたもお嫌でしょう? ご自分のお家に帰ってきたら、いつも不機嫌な奥様が待っているなんて」
「ふむ」
公爵の不思議と話しやすい雰囲気に、ついついいつのまにか熱弁をふるっていた私だった。
なにしろいままで私の話をここまで熱心に、真面目に聞いてくれた人がいただろうか。否。






