怪しげな男2
「……いえ」
普通の社交慣れした紳士であれば、その後に「でもお気遣いありがとうございます」くらいは言って微笑んだりしてほしいところ……とはまたもや私は思ったが、どうも隣に棒立ちしている男からは、全くそんなことを言いそうな気配はしなかった。全くもって、しなかった。
彼はただ、事実を伝えたに過ぎないのだろう。答えなければならないから簡潔に答えただけなのだ、そう私はぼんやりと思った。
しかし私は知っていた。そんなことは、このマリリン嬢には全く問題にはならない。
「まあ! でもそのチェックのベストとストライプのスラックスは少々あの……私、もっと素敵に見える組み合わせがあると思うのですわ。たとえばそのチェックのベストには、濃紺のスラックスはいかがでしょう。うふふ、私、昔から母にはファッションセンスが良いって褒められますのよ?」
にじにじと近寄りつつにっこりと屈託の無い笑顔を見せるマリリン嬢。
しかしずっと無視されているロビンは、もうこれ以上ここにはいたくないようだった。
「マリリン! そこの彼はエレンティナと婚約したんだそうだよ。だから君がお世話をする必要はないんだ。地味な人間同士、お似合いじゃないか。ねえ? かわいくて華やかな君には僕みたいな立派な男でないと釣り合わないよ。だからさあ、もう行こう」
「え? 婚約……?」
その瞬間マリリンの目が、心底困惑したように揺れる。
「そうらしいよ。新聞広告も明日には出るらしい。本当かどうかは僕にはわかないけどね。それよりあっちに行こう。僕は少々ワインが飲みたいな」
マリリンが信じられないという顔で私とその隣の男を見比べた。
するとそんなマリリンに、ずっと棒立ちしていた男がこくり、と頷いたのだった。
「まあ、それは……驚きましたわ」
「マリリン! もう行こう!」
「ええー? ロビン様……ちょっと待っ……あら? あらららら?」
そうして困惑したままのマリリン嬢は、しびれを切らしたロビンに引きずられるように料理と飲み物が並ぶテーブルの方に連れ去られていったのだった。
遠目から見たら、きらきらしく着飾った男がピンクのフリルを引きずっているようにも見えて少々滑稽に見えた。
まあ……たしかにお似合いね、あの二人。
思わずそんなことをぼんやりと思った私だった。
さてそして取り残されたのは、このずっとほぼ棒立ちしていたぼさぼさ髪の男と私。
しかしこの男、全然私の方を見ない。今もチラチラとこっちを見ているマリリンたちのいる方をぼうっと眺めているだけで、絶対に私の方を見ない。まるで心に決めたかのように全くこちらに視線を寄越さなかった。
「えーっと……」
しょうがないので、私の方が先に口火を切った。
こんな状況では、たとえ正式に紹介されていなくてももう会話しないわけにはいかないだろうと思って。
じゃあこれで、なんて言って立ち去れるような空気ではすっかりなくなっているのだから。
「……」
しかしそれでも男は動かなかった。
なぜだかはわからないがなんとなく緊張している雰囲気だけはうっすらと感じるけれど。
いやでも、せめてこっちを向いてくれないと話しにくいのよ……。
「あの……先ほどはありがとうございました。手を貸していただいて……。あの時は一人で立ち上がるのが大変だったものですから……」
そう、まずはお礼。
なにしろあの時助けてくれたお陰で私はなんとか体裁を保つことができたようなものなのだから。
あとはどうにも口数が少なそうな人だと察したので、それがいいだろうという計算もあった。
なぜなら、その返しは簡単だからだ。
貴族社会に生きる紳士であれば、
「いえ、当然のことをしたまでです」
もしくは、
「お怪我はありませんでしたか?」
ここら辺が妥当な返しだろう。
そう、それは常套句。こう言えば、そう返す、そんな会話のお約束。
だからそのまま返答を待つ私。
すると隣の男はたっぷりと時間をかけた後、ぎぎぎ……と音が聞こえてきそうなぎこちなさで、顔だけ私の方を向いてかろうじて聞こえる小声で言った。
「……いえ……当然のことを、したまでです」
なんとか絞り出したという風情で、噛み噛みで常套句だけを返してまた黙り込む。
うーん…………照れ屋さん……?
私は考えられる限り好意的に解釈をしてみた。
しかし髪のせいで目がよく見えないので実のところはわからない。
普通はウィットに富んだ話題で会話をリードするのは男性側……なんていう貴族社会の暗黙のルールはどこへやら、どうやらこの人相手では全く通用しないということを早くも私は学びつつあった。
なんなのこの人、今まで会ったことのないタイプだわ。
ただ助かるのは嫌悪感だとか不機嫌だとか怒りとか、そういう悪い感情は感じられないことだ。
感じるのは……うーん、緊張感……?
仕方が無いので間を持たせるためにさらにしゃべる私。
話題……話題どうする……。
「あー、でも本当に助かりましたわ。あのままあのロビンに好き勝手言われていたら私、頭にきて喧嘩していたかもしれませんから」
面倒くさいのでもう正直に言う。
そもそもこの男に気に入られる必要は全くないのだから。
もし素を出して驚かれても呆れられても、それは婚約破棄が近くなるだけで万々歳なだけだ。
するとそれを聞いた相手はくすっと笑ったように見えた。






