047_大人の仮面舞踏会
数日後、リサは天鵞絨<ビロード>のカーテンに区切られた試着室にいた。
隅にはメイク道具や小物が、正面には大きな姿見が置かれていて、周囲を忙しなく店の主人マダム・チェスカと、助手のお針子二人が動き回っている。
ここはヴァルモット公爵家御用達の仕立屋だ。
採寸は魔法祭の翌日に連れてこられたので、リサ専用のドレスがすでに出来上がり、今からそれを着るところ。
ちなみにドレスといえば、オートクチュール、フルオーダーメイドが当たり前で、貴族に既製品という概念はない。
中古品やお直ししたもので十分だと、リサはヒースクリフに言ったのだけれど、さらりとかわされてしまった。
「では、締めますよ」
マダム・チェスカの声に、リサはぐっとお腹に力を入れて、そのまま息を止める。
すると三人がかりでコルセットの紐をぐいぐい引っ張ってきて、締めつけてきた。
アンナマリー辺りだと慣れているので何とも思わないのだろうけれど、着慣れないリサにはかなり窮屈だ。
けれど、大変な思いをしてでも、コルセットをつけるだけの意味がある。
「ではドレスを」
コルセットを着け終わると、今度は三人がかりでドレスを着せられる。
リサにできることは彼女達の仕事を邪魔しないように、なるべく大人しくしていることしかできない。
前世から考えてもない体験で、人形にでもなった気分だった。
「とてもお似合いですわ」
正面の姿見には、派手でセクシーなドレスを着た、いつもとはまったく違う自分が映っていた。
海の底のような深い青色をしたドレスで、デザイン的には胸元が四角形に大きく開いている以外に特徴はない。
腰までぴったりと生地が身体に吸いつくようだけれど、そこから下は、今度は大きく、ゆったりと広がっている。
コルセットを締めていることで、作られた身体のラインが出て、胸はこれ以上なく寄せられているのでドレスからこぼれ落ちそうで、まるで自分の物ではないかのようだ。
ヒースクリフからの、カジノでの仮面舞踏会ということで雰囲気に合う格好というリクエストにドレス店の主人マダム・チェスカが精一杯応えた結果だった。
さらに、そこへ化粧が施されていく。
睫を整えて、目元を強調し、頬紅を塗り、真っ赤な口紅を差す。
自分でいうのも何だけれど、いつもはどちらかというと愛されヒロインだけれど、今だけは悪女のような妖しさがあった。
こういうのは、本当はアンナマリーの役柄だ。
「ふぅ、完璧……お支度が整いましたわ」
マダム・チェスカはじっくり三度リサの姿を確かめると、息を吐いた。
助手のお針子二人が小さく拍手をすると、天鵞絨のカーテンに手を掛ける。
「待って、気持ちの準備が――――」
止めようとしたけれど、容赦なく試着室が開けられてしまった。
そこにいるのは、リサの着替えを待つ、ドレスの送り主、ヒースクリフだ。
「リサ……」
目が合うと、彼が自分を熱っぽい視線でじっと見ているのが分かる。
あまりの恥ずかしさに顔を逸らす。
「あぁ……最高に美しいよ、リサ」
「そう、ですか?」
ひとまず気に入ってもらえたようで、ほっとする。
約束の仮面舞踏会は今日なのだから、やり直しがきかないからだ。
ドレス姿のリサが気に入らず、ヒースクリフがパートナーを替えると言い出さないか、ずっと不安になっていた。
そんなことはまずないのだけれど、楽しみの大きさだけ、不安はつきまとうのだ。
「さあ、手を」
ヒースクリフが差し出してきた手を取ると、特に意識していないのに数歩前に進んで、勝手にくるりと回らされた。
これが完璧なエスコートなのだろうか。
「妖艶さの中に可愛らしさもあって、よく似合っている」
「リサお嬢様にしか着こなせない、自慢の作品となりましたわ」
ヒースクリフに続いて、マダム・チェスカも満足げに頷いた。
※※※
今回のことはヒースクリフとリサだけしか知らないこと、いわゆるお忍びなので、ドレス店の裏口から家紋のない馬車に乗り込む。
向かいには、真っ黒なタキシードを着込んだヒースクリフが座る。
馬車に揺られていると、まるでシンデレラにでもなったかのようだ。
「そ、その……今から向かうカジノ“ジェナキーズ”に、今夜……エリオットが現れるのですね」
緊張と彼からの視線に耐えきれず、リサから話題を振る。
「そうだよ……あれ? 奴の名前、リサに言ったっけ?」
つい、前世でしか知らないことをもらしてしまった。
「き、聞いていたような? 違いましたか? あはは……」
適当に誤魔化す。
今後は気をつけたほうがいいかもしれない。
「まあいいや、そう――――エリオットはカジノの支配人を利用している」
幸い、ヒースクリフは問い詰めようとはしてこなかった。
「利用、ですか?」
「ああ、悪魔は何を食べて生きていると思う? 何を糧にしている、という表現のほうが正しいかな」
彼は悪魔について、事前に調べ上げているようだ。
魔法もなしで立ち向かおうとしているのだから、当然かもしれない。
「うーん……魔法力とか?」
真面目に考えたけれど良い答えが浮かばない。
「いや、人間の欲望だよ。三大欲求だけでなく、あらゆる欲だと言われている」
「あっ! だからカジノなんですね」
ヒースクリフがうんうんと頷く。
「カジノは様々な欲望を増幅する場所だ。それを食らって奴は回復しようとしている」
「エリオットは弱っているんですか?」
それならば、たしかに二人で立ち向かって勝つことも可能かもしれない。
「リサがこの間、ギリギリまで追い詰めてくれたからね。だから、欲望を食らって力を取り戻す前に、叩く必要がある」
ヒースクリフの言葉に、リサが頷く。
悪魔なんかに楽しい学園生活を邪魔されてなるものか。
「どのぐらいで、どれだけ力を取り戻すかはわかっていないから気をつけて」
「わかりました。ヒースクリフは魔法が使えないんですから、危険な時は、私をドーンと盾にしてください」
胸を叩いて、自信たっぷりに言う。
前回はちょっと危なかったこともあったけれど、悪魔の弱点は光魔法なので大丈夫だ。
そのためにヒースクリフはリサを呼んだのだし。
「そ、そうだね。はは……頼もしいよ」
なぜかヒースクリフが苦笑している。
さすがに女性を盾にはできないってことだろうか。
「そろそろ着く頃だ」
馬車の窓から外をのぞき込むと、ヒースクリフが告げる。
「フロアに入ったら何をすればいいですか? 支配人を探します?」
「いや……彼は、ほとんど表に出ない。誰かが大勝ちするか、大きなトラブルが起きるか――――まずは、カジノに溶け込むんだ」
まずは様子を見て、出てくるのを待つということらしい。
「これをつけて」
彼から手渡されたのは、キラキラと輝く宝石が散りばめられた金の蝶を象った目元部分だけの仮面だった。
一方彼のほうは、カラスを象った嘴が突き出た仮面を持っていた。
「きっとリサはやんごとなき身分のお忍びの姫だと思われるに違いないね」
「そ、そんな……」
自分がそれほどまで高貴な者に見えるのかは疑問だ。
きっとヒースクリフがおだてているだけだろう。
「けれど……馴染むには隙が足りない。カジノに来るような令嬢はもっと隙だらけだよ」
彼の実体験なんだろうか。
その時のことを想像して少しむっとするも、いきなり顔が身を乗り出してきて、それどころではなくなる。
「きゃっ……ヒースクリフ!?」
ドレスから露わになっている胸の上へ、彼がちゅっとキスをする。
舌で胸の上の丘を撫でられ、背中がぞくぞくと震えた。
「知ってた? レディに対して身に着けるものを贈ってはならないって。つまりは、ドレスをプレゼントしたら脱がす権利があるんだよ……」
そのままリサの胸の上部分へ、ヒースクリフが長く吸うようにキスをしてくる。
「ダメです……そこにキスの痕をつけたら、見られて……」
恥ずかしで染まった肌以上に、キスされた場所が赤く染まる。
「うん――――これで、完璧」
これはカジノに潜入するため、なんだから……。
自分に必死に言い聞かせるも、心臓の音は静かにならなかった。
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