030_持たざる者
「屋敷まで全力で飛ばせ!」
ヒースクリフは魔物から目を離すことなく、アンナマリーを押し入れた馬車の扉を閉めると御者に告げた。
「は、はい!」
「お兄様っ!」
すぐに中から妹が窓に張りついたけれど、御者が鞭を入れて馬車は走り出す。
ヒースクリフは馬車が見えなくなるのを待たずに、声を張り上げた。
「丘の風車小屋へ避難を! 僕は魔法機関に連絡する」
それまで逃げてきた狩人の男性以外は、ほとんどの者が動けずにいた。
「そ、そうだ、丘の風車小屋なら大丈夫だ」
ヒースクリフの指示を聞いて、皆が言われた通りに動き始める。しかし、そうでない者もいた。
「俺の畑だっ! 逃げてられるか、戦える奴は来い」
一人の男性が鎌を片手に魔物の方へ向かっていく。しかも、彼に呼応して、数人が同じように農具を手にして歩き出す。
「この人数では無理だっ、命を守ってくれ」
魔物は、魔法でなくても倒せるけれど、それは騎士などの戦い慣れた者であっても困難なことだと聞く。
ヒースクリフは必死に声を張り上げた。
「収穫期なんだぞ! 今までの努力がぜんぶ無駄になっちまう!」
声が届かない。
もっと威厳のある声なら、仲間ではなく、統治者としてだったなら、従ってくれたかもしれない。
――――後悔している場合じゃない!
領民を守ることも貴族の役目だ。
「畑はまた耕せばいいけど、命は一つなんだぞ! 早く逃げるんだ!」
ヒースクリフも近くにあった鎌を手にすると、説得を続けながら、魔物を退治しようとする者に近づいていく。
身体は鍛えているし、剣も学んでいるけれど、足の震えが止まらない。
領民も同じようだった。
いざ近づいたけれど、動けずにいる。
魔物は身体の大きさもあるが、独特のオーラを纏っているかのようで、それが見た者に恐怖を与えていた。
すると、突然、魔物の方から領民に飛びかかってくる。
「危ないっ!」
「ひぃぃぃ……」
咄嗟に駆け寄ろうとした時、遠くから、あの凛とした声が聞こえてきた。
「火の矢<フレイムアロー>」
真っ赤な矢が飛んできたかと思うと、まるで吸い込まれるようにイノシシの魔物に突き刺さった。
それは大きな背中に当り、直後に魔物がボッと燃え上がる。
「ギャァァァ」
悲鳴を上げてイノシシはズドンと地面に倒れ込む。
数秒で燃え尽きると、すっと消えてしまう。
まるで元からいなかったかのようだ。
「今の……は……」
目の前で起きたことに愕然としながら、矢が飛んできた方を振り返ると、そこには馬車から半身を乗り出したアンナマリーがいた。
妹は険しい顔をして、肩で息をしている。
「はあっ……はっ……ならった通りに……できた……」
アンナマリーが魔法を使って魔物を倒したことは誰の目にも明白だった。
しかも、あんなに大きくて、恐ろしい魔物を、たった一撃でだ。
「おおおっ! お嬢様」
「ありがとうございます、畑を救ってくれてありがとうございます」
「アンナマリー様! これでヴァルモット領も安泰だ!」
一斉に領民達が馬車に駆け寄り、口々にアンナマリーを賞賛する。
まんざらでもなく、困った顔のアンナマリーと対照的に、ヒースクリフはその場にへたり込んだ。
「僕は……僕は無力だ」
魔物には、自分一人では決して敵わなかった。
倒すだけでなく、守ることさえできなかっただろう。
その魔物を、アンナマリーは遠くから一撃で倒した。
魔法を持つ者と、持たざる者の大きな違い。
理解していたつもりだったけれど、それを今初めて実感した。
持つ者と、持たざる者の間には、大きな隔たりがある。両親が自分の時は落胆し、妹の時は大喜びしたのは当然のことだった。
必死に家のためにと、領地経営を学んでいた自分が馬鹿らしくさえ思えてくる。
この力を目の辺りにすれば、領主は誰もが力を持たない自分ではなく、妹か、妹と結婚する魔法の使える貴族が良いと考えるだろう。
両親もきっとそう思っているに違いない。
「はは……ははは……」
笑えてきた。自分の人生はなんだったのかと、これからの人生は何なのかと。
「お兄様……? お怪我をなさったのですか!?」
領民達の輪から出してきたアンナマリーが、ヒースクリフに駆け寄ってきて、心配そうに声をかけてくる。
「なんでもないよ、すごいじゃないかありがとう」
無理して笑顔を妹に見せる。
「ありがとうございます。お兄様のお役に立ててよかったです!」
「あ、あぁ……先に……屋敷に戻っててくれ。僕は被害を確認してからにする」
「わかりました」
絞り出すように言うと、アンナマリーは素直に馬車に戻っていく。
僕の役に立てただって?
ヒースクリフは俯いたまま、立ち上がれなかった。
惨めで、悔しくて、恥ずかしくて、顔から火が出そうだったからだ。
「……くっ!」
地面を拳で叩く。
僕にない魔力を持っているアンナマリーが憎くて……憎くて……。
誰もが魔物とそれを倒した魔法を目の当たりにして、興奮し、喜ぶ中、一人ヒースクリフは、何度も、何度も、地面を叩いていた。
嫉妬心で恐ろしい顔をしながら……。
9/1より第二章の投稿を始めました!
KADOKAWA フロースコミックでコミカライズが
9/14より連載開始予定(漫画:御守リツヒロ先生)ですので、
そちらもぜひお楽しみください!
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