025_夢のようなひととき
ヒースクリフにエスコートされたドレス姿のリサは、晩餐会の会場へと向かった。
部屋の前には使用人が二人並んで待っていて、二人の姿を確認するとゆっくりとその扉を開ける。
「わぁ……」
思わずため息が出てしまうほど、見事な部屋だった。
天井は高く、大きなシャンデリアが吊り下げられていて、調度品からカーテン、絨毯燭台に至るまで、いかにもキラキラとした高価な物が並んでいる。
しかし、事前にアンナマリーから聞いた話では、もっと大きく、豪勢な広間がヴァルモット公爵家の屋敷にはまだまだあるらしい。
まだ、ではなく、まだまだだというから驚きだ。
「今日の晩餐会がこんな狭い部屋で、がっかりさせてしまったかな?」
部屋に一歩入るなり思わず立ち止まったリサに、ヒースクリフが微笑みを絶やさずに尋ねてきた。
「まさか!」
ぶんぶんとリサは首を振った。
豪華な部屋に見惚れていたのを、彼に勘違いさせてしまったようだ。
「十分過ぎます。これ以上、広いときっと落ち着かないと思いますし」
「くくくっ、やっぱりリサって面白いことを言うよね」
笑われてしまった。
以前、デイジーに寮の部屋の広さについて尋ねられたことがあったけれど、どうやら養護院育ちの自分と貴族の方々では、広さの基準が違うらしい。
「そうか、君はコルテリーア伯爵家に養子になってすぐだったんだね。いずれこのぐらいの広さには慣れてしまうよ」
「そうなんですね。精進します!」
思わず声が弾んでしまう。
ヒースクリフが自分の生い立ちを記憶してくれていたなんて、嬉し過ぎる。
「さあ、君の席はこっちだよ」
「はい!」
彼が再びゆっくりと歩き出す。その腕に指先をちょこんと引っかけていたリサも、広間を進み始めた。
窓がないけれど、鏡は多く、燭台の明かりがチラチラと揺れる。
部屋の中央には十人ほどが座れる大きめのテーブルが置かれていて、すでにナイフやフォーク、といったカトラリーやナフキンがそれぞれ用意されている。
「君がここで、俺は隣」
ヒースクリフが指でリサの席を教えてくれる。
座ろうとすると、素早く使用人が椅子を引いてくれた。
今身に着けている綺麗なドレスといい、本当にどこぞのお嬢さまになったかのようだ。
制服姿でアンナマリーに連れてこられたリサは、晩餐会までの時間、その準備に追われた。
公爵家の使用人の手で、まずは湯浴みをして綺麗にされ、さらに良い香りのするオイルで入念に磨かれる。
バスローブ姿で浴室から出ると、用意してもらった自室でうっすらと化粧と髪を結われ、最後に待っていたのは、触れるのも躊躇うような見事なドレス。
胸元を大胆に出したパフスリーブの赤いベロア生地のドレスで、上半身は身体のラインが分かるように絞り込まれ、腰から下はボリュームたっぷりにねじりながら下りていく。
腕の部分は膨らんでいて、縁には鈍く輝く赤いベロア生地に合わせて、黒いレースの刺繍が小さな宝石とともに美しく入っている。
しかも、そんな素敵なドレスに着替え終わると、すぐさまヒースクリフが迎えにきてくれた。
――――それにしても、ご褒美が過ぎます!
あのアンナマリーから晩餐会に招待されただけでも夢のようなことなのに、隣には憧れのヒースクリフが座っている。
彼は漆黒の上着に、鎖がついたベスト、手袋をしていて、まるで闇の貴公子のような格好で、とても素敵だった。
これでは舞い上がるなという方が無理だ。
ドレスを着た辺りから、ずっとふわふわと落ち着かない。
「今宵はお集まり頂き、ありがとうございます」
今回の晩餐会の主催者であるアンナマリーが立ち上がる。
いつの間にかテーブルにはリサとヒースクリフの他に、アンナマリー、デイジー、ローズの三人も席についていた。
「今日は晩餐会を開くリハーサルとして皆様を招待させて頂きました。ですので、あまり緊張せず、気負わずに楽しんで頂ければと思います」
アンナマリーは、公爵令嬢としていつか正式な晩餐会を開くことになる。名目上は今回のお泊まり会はそのリハーサルという形を取っているらしい。
公爵家の屋敷を使っているのだから、それなりの理由は必要だったのだろう。
リサは少し気が楽になるものの、緊張までは解けなかった。
「では……」
アンナマリーがグラスを持ち上げて、晩餐会の開始を宣言しようとする。
各自に配られたグラスの中身は、ワインか、葡萄のジュースだ。リサもそれを持ち上げようとしたのだけれど、その前に隣から声が上がった。
「アンナマリー、駄目じゃないか。何に乾杯するのかちゃんと言わないと」
グラスを掲げたアンナマリーを、悪い笑みを浮かべたヒースクリフが止める。
「お兄様、別にリハーサルなのでいらないのではありませんか?」
少し焦った声でアンナマリーが反論する。
「リハーサルだからこそ、きちんとやらないと駄目だろ?」
「それは、そうですけれど……もぅ……」
珍しく正論で指摘されたアンナマリーが口を尖らせる。
兄妹のイチャイチャシーン、頂きました。
その兄に若干甘えた声がリサにはたまらない。
「で、では、改めて……デイジー、ローズ、そしてリサ」
覚悟を決めたようにアンナマリーが真面目な表情をして、順番に視線を移す。
「貴女達と出会えたこと、感謝しています。これからもお友達として、一緒にいてくれると嬉しいですわ」
アンナマリーの言葉に、ローズが「もちろんです」と小声で答え、デイジーが頷く、リサもぶんぶんと首を縦に振った。
「わたくしたちの楽しく、輝かしいこれからの学園生活に、乾杯!」
参加者全員がグラスを高く持ち上げると、口につけた。
甘くてほどよい渋みのある葡萄ジュースの味が口の中に広がっていく。
「よく言えたね、さすが我が妹」
「は、恥ずかしくなんてありませんからね、お兄様!」
それだと肯定しているようなものだけれど、つっこまずにニヤニヤと見守る。
そうこうしていると、使用人達が一斉に料理を運び始めた。
最初は、細長い皿に盛りつけられた数種類の前菜だ。
ベーコンを巻き付けた四角いミートローフに、スモークサーモン、オレンジの皮を器にした魚のマリネに、飾り切りしたラディッシュとアスパラ、小さなパイ包みまである。
「お味はいかが?」
「あたしの実家は貿易業で大抵の食材は手に入るから、美味しいものなら食べ尽くしたつもりだったけれど……負けたかも」
「とても上品で、繊細な味ですね。美味しいです」
デイジーの負けた発言に続いたローズの的確な評価に、リサはうんうんと頷いた。
こんな美味しいもの、前世でも食べた記憶がない。料理の素人のリサであっても、手間暇を掛けて、しっかり味のバランスを考えたものだとわかる。
貴族の料理なんて、味が濃くて、高級品ばかりを使ったイメージがあったけれど、少なくとも公爵家レベルでは違うらしい。
正直、緊張で味なんてわからないと思っていたのだけれど、それを超えてきた。
「あとでシェフに伝えておくわね」
ふふふと上品な笑みを浮かべて、アンナマリーが食事に戻る。
その姿に思わずうっとりとしてしまった。リサではどうあがいても、あんな洗練された表情を浮かべられないだろう。
ドレスで着飾っても、中身は変らないからだ。
「今夜は一段と綺麗だよ、リサ」
まるで心を読まれたかのように、隣に座るヒースクリフから慰めの言葉が聞こえてきた。
「あ、ありがとうございます。でも、使用人が優秀なのと、アンナマリーのドレスをお借りしたからだと思います」
せっかく褒めてくれたのに、わざわざ否定してしまい、自己嫌悪を抱く。
「素材が良くないと、どれだけ磨いても、輝かないものだよ」
さらにヒースクリフから褒められて、嬉しさとともに、頬が赤くなっていく。
「たしかにアンナマリーさんとは違うタイプですけど、リサさんも魅力的ですよ」
「もっとリサに合うドレスがあったらよかったのだけれど……」
同調するローズの言葉に続いて、アンナマリーが残念そうな声を上げる。
「そうかもしれないけれど、このドレスも十分にリサの美しさを引き出しているよ。これって、三年前の蘭の品評会でアンナマリーが着たドレスだろ? あの時は、どの蘭より美しかった」
「も、もうっ、お兄様やめて」
「さすがの記憶力です! 私も見たかった……」
二人が蘭の品評会でにこやかにしている妄想が一気に浮かぶ。
自分が褒められると焦ってしまうけれど、ヒースクリフがアンナマリーを褒めると、ニヤニヤがとまらない。
そんな風に兄妹愛を見守っていると、次の皿が丁度運ばれてきた。
「えっ、えび……!?」
思わず小声で呟く。
皿の上には、殻が剥かれていないエビが鎮座している。大きい……。
一応伯爵家の養子になるということで、礼儀作法について学んだけれど、それも基礎的なものを数日間だけのことだった。
こういった細かいルールまではまったく知らない。
どうやってエビって食べるの?
ナイフとフォークを使うのが難しい時は、手を使ってもいいんだっけ?
前世の知識まで引っ張り出して、突破口を探す。
「……ない」
手を使うなら、飲んじゃだめで有名なフィンガーボールという水が入った器が出てくると思ったのだけれど、それらしきものは見当たらない。
アンナマリーは気負わずに楽しんでほしいと言っていたけれど、恥をかくのは避けたかった。
わからないなら、他の人の食べ方を見て真似るしかない。
「…………」
と思って一番参考になるだろうアンナマリーを見たのだけれど、彼女の見事過ぎるナイフさばきにきょとんとするばかりだった。
見えないんですけど、アンナマリーのナイフの動きが……。
信じられないけれど、目にもとまらない動き、もしくは他人から見えない動きで、ナイフがエビの殻を取り除いていく。
気づけば、フォークに身が刺さっていた。
これはとても参考にならないというか、すでに達人の域に達している。
アンナマリーの動きを真似るのは諦めて、次にデイジーの方を確認する。
「…………」
違う意味で参考にならなかった。
デイジーはナイフでエビの頭を落とそうとして、明らかに余裕がない様子だ。
今にもエビが皿から飛んでいきそうで危ない。
あれを真似てはいけないと直感が言っている。
ヒースクリフはきっとアンナマリーと同じでハイスペック過ぎるだろうし、頼れるのはローズしか残っていない。
「……あっ」
ローズを見ると、目があって微笑まれた。
さすが、いつも落ち着いていて、頼れるお姉さんキャラだ。
彼女はゆっくりとエビの頭をフォークで押さえると、ナイフを殻と身の間に入れて、取り分けていく。
なるほど……そうするんだ。
心の中で納得の相槌を打つと、さっそく実践してみる。
苦戦しながらも何とか殻と身を離すことに成功して、食べることができた。
その後は、サラダ、メインの肉料理ステーキと続く。
これらはなんなくクリアできたのだけれど……。
「今度は……」
シュークリームがデザートに出てきた。
またも難問だ。
手で食べてしまいたくなるけれど、粉砂糖がまぶしてあるのでそれが手についてしまう。どうにかしてナイフとフォークで食べるのだろう。
今度は迷うことなく、真っ先にローズを見習う。
彼女はやはり目が合って微笑んでから、ゆっくり食べ方を示してくれた。
まずはシュークリームの上の部分をナイフで切り取る。
次に切り取った蓋の部分を一口サイズに切り分けると、そこへフォークでクリームをつけて、口へと運ぶ。
蓋を食べ終わったら、残った土台を今度はナイフで切り分けてフォークで食べていく。
間違えないようにと緊張したけれど、なめらかで甘いクリームが口の中いっぱいに広がって、とても幸せな気分になった。
前世ではすぐ手に入って、当たり前のように食べていたスイーツだけれど、手の込んだものは、この世界では一握りの貴族でしか食べられない。
養護院では、たまたま見つけた木の実や花の蜜を吸うぐらいしか甘い物はとれなかった。
「ヴァルモット家の晩餐が、リサの口に合ったようでよかった」
「とっても美味しいです」
思わず顔がほころんでいたらしい。
微笑むヒースクリフにばっちりみられてしまっていた。
久々のスイーツにうっとりしている場合ではないと、気を引き締める。
リサが緊張していたのは、初めての晩餐会だけが理由ではない。
――――前世の記憶だと……。
この後、ヒースクリフに誰が好きか聞かれる。
どんな言葉で、どんな声で、どんな顔で、答えればいいのか。
何度も頭の中でリハーサル済みだけれど、実際に彼から聞かれたら、きっと頭の中は吹き飛んでしまうだろう。真っ白になってしまうに違いない。
ただ、自分の思いを、正直に答えればいい。難しいことではない。
わかっているのだけれど、胸の高鳴りはその時まで止まりそうになかった。
なかったのだけれど――――。
9/1より第二章の投稿を始めました!
KADOKAWA フロースコミックでコミカライズが
9/14より連載開始予定(漫画:御守リツヒロ先生)ですので、
そちらもぜひお楽しみください!
気に入っていただけましたら
↓の☆☆☆☆☆から評価をしていただければ励みになります。




