024_その手は魔法の杖の一振り【第一章完】
日が沈むと、辺りはあっという間に暗くなり、リサは魔法学園の寮へと急いだ。
門限はあるし、外泊も厳禁。
もちろん、男子とは別棟の女子寮である。
紳士淑女を預かるのだから当然のことであったが、門限に遅れる場合も外泊の際も、届け出が必須だ。
――――門限ぎりぎり……でも、これで明日はお茶会かも。
“マジラバ”は前世と同じ一週間は七日で、日曜日だけが学園の休みと自由時間である。
攻略対象の全員と出会いイベントするという目的は達せられたわけで、期待ができそうだ。
「すみません、遅くなりまし……」
「遅い! 遅いですわっ」
リサが謝罪を口にしながら、女子寮のエントランスに門限五分前に滑り込むと、カウンターの使用人ではなく、背後のソファスペースから声がかかった。
――――この声って。
「ええっ! アンナマリー!? 今日はサボってごめんなさい」
振り返ると、腕組みをしたアンナマリーと、その背後にローズとデイジーがいる。
怒られてしまいそうなことに、心当たりは沢山あった。
まずは、攻略対象と会うためとはいえ、授業をサボったこと。
そして、淑女あるまじき時間の帰り。
「その様子では、読んでないようね」
アンナマリーの形のいい眉がツンと片方だけ上がった。
何やら、まだ謝ることが出てきそうだ……。
「貴女の部屋にも、招待状を届けたのに、受け取ってもいませんでしたね」
「うっ……ごめん、なさい……一日留守でした」
デイジーが唇を尖らせて、告げ口のように悪戯っぽく瞳を輝かせた。
「アンナマリーったら、今朝から直接誘おうとして、授業中もそわそわしていたんだから」
「余計なことを言わないで」
さえぎった口調のアンナマリーは、モジモジしている。
そんなアンナマリーを改めて見ると、何やら今夜は神々しい。
襟ぐりの開いたラベンダー色のドレスに、深紅のレースが斜めに入ったイブニングドレスという姿だ。
手には赤いフリンジのついた扇子を持っている。
よく見ると、化粧もしているようで、形のいい唇が艶やかに輝いていた。
「……あれ、アンナマリー。今夜はなんだかいつもよりも綺麗」
「っ! お、お世辞はいりませんわ、といいますか、今気づいたんですの?」
「なんだか、いい匂いもするし」
香水だろうか……花の香りに誘われるように、リサはアンナマリーへ近づいた。
「もうっ、嗅がないでください」
頬を染めたアンナマリーは、怒っていたことなどすっかり忘れたみたいだ。
彼女ばかりに気を取られていたけれど、ローズもデイジーも盛装をしている。
ローズは桃色に白いフリルがたっぷりとついた妖精みたいなドレスで、デイジーは黄緑色と緑色が縞模様になったドレス。
デイジーの耳たぶでは、雫の形のイヤリングがちりりと揺れている。
「もしかして、何かイベ……じゃなかった、パーティでもありましたか?」
イベントと言いかけて、慌てて訂正する。自分だけが聞かされていない学園の行事があったのだろうか。
三人は、舞踏会から抜けてきたような姿だ。
「コホン……これからあるんです。お帰りが間に合ってよかったわ」
アンナマリーが咳払いをした。
「そうそう、お誘い」
デイジーも、どこかほっとした顔で、アンナマリーの横でニッと笑っている。
よくわからないでいると、ローズが微笑んできた。
「明日はお休みですし、アンナマリーさんのヴァルモット公爵邸で、皆さんでお泊まりしましょうって」
なるほど……パジャマパーティ。
――――って、えええっ!? お泊まり会!
そんな女子会みたいなイベントが突発で起こるものなの?
女友達ってなんて嬉しいサプライズをくれるの!?
じーんと感動しているリサの前へ、封蝋がついた手紙が差し出される。
「廊下とか、魔物スポットとかでのお礼よ。夕食も用意してあるから、行くわよ」
アンナマリーの手から渡される招待状を、リサはそっと受け取った。
部屋にも置いてくれたのなら、アンナマリーは二通も用意してくれたのかな。
その気遣いを思うと、こそばゆい気持ちになる。
「なんですの、その顔! わ、わたくしは、貴女に借りを作りっぱなしでは、落ち着かないんですの。もちろん、お兄様も参加するから、席はリサの隣よ」
「えっ………………」
――――今、お兄様って……!!
「えええっ!? ヒースクリフも、まっ……まさか……」
これは、ゲームのイベントだ。
――――ただのお茶会イベントが、晩餐会&パジャマパーティにランクアップですか!? こ、心の準備が!
心臓がたちまち早鐘を打つ。最速でも明日だと思っていたお茶会イベントが、お泊まり付きの晩餐会となって今夜だなんて。
動けないでいると、リサの腕をアンナマリーがすっと掴んで引いた。
「貴女の外泊届は出したし、馬車を待たせてあるの。早くいらっしゃい」
根回し済みなのか、門限はエントランスでやりあっている間に過ぎたのに、誰もリサを咎めない。
晩餐会。空腹だったけど、急に胸がいっぱいになって食べられそうになくなる。
だって、ヒースクリフの隣の席なんて……。
リサは、今日何度か走った制服へと目をやった。
キラキラの三人を前に、ちょっと汚れていたり汗をかいているかもしれない。
「あの、私……ヒースクリフに会うなら、支度とか……その」
何はなくてもお風呂に入りたい。
別に変な意味じゃなくて!
「そんなものなんでもヴァルモット家にあるものを使えばいいわ」
アンナマリーのじとっとした視線が、リサを射貫いた。
さすがヴァルモット家。なんでもあるし、気前もいい。
アンナマリーの重みを感じるのとは反対の手に、衣擦れの音とともにデイジーが飛びついてきた。
「食事マナーは、あたしがこっそり教えてあげる。間違っててもご愛敬ね」
デイジーが教えてくれることに若干の不安があるも、楽しい会になることは間違いなさそうだ。
もみくちゃにされかかっているリサの前を、ふわっとローズのドレスが横切る。
なんと、深窓令嬢がエントランスの扉を開けてくれた。
天使の笑みが、リサを振り返る。
「皆さんで、リサさんに協力することにしましたの」
ああ……これは、アンナマリーからのステファン王子と仲よくなれたお礼だ。
彼女に協力したから、次は皆がリサへ協力してくれるというたぐいの。
ちょっと押しは強いけど、嬉しくないわけがない――――。
「ありがとう」
特大のサプライズをありがとう、女友達って最高だ。
※※※
寮から出ると、示し合わせたように、四頭立ての馬車が待っていた。
ヴァルモット公爵家の紋章が入った車体に、従僕の手によりステップがかけられている。
アンナマリーが乗り込み、リサ、デイジー、ローズの順で、アンナマリーとリサが、デイジーとローズが隣同士に座り、広い座席は乙女達でぎゅうぎゅうとなった。
その密着具合が、なんだかワクワクして楽しい。ローズですら、はしゃいだ様子である。
クッションがふわふわで、座り心地のいい馬車は、すぐに出発となった。
ヴァルモット公爵家は馬車で十五分ぐらいと、とても近い。
笑い合っていたら、いつの間にか馬車が止まり、車窓のカーテンをそっと開けるとヴァルモット公爵家の前庭へと着いていた。
「…………」
リサは、ごくりと喉が鳴りそうになり、息を止める。
ヴァルモット公爵邸は、入学式後に来た昼間の姿と違い、夜の姿を見せていた。
門からの道には、煌々と明かりが灯され、大きな屋敷が浮かび上がっている。
そして、エントランス前の道の左右に整列した、幾人もの使用人は、隙一つない完璧なお仕着せ姿で客人を迎える形となっていた。
これが、ヴァルモット公爵家の威厳ある姿なのだろう。
「あっ……」
リサは微かに声を漏らして、その道を見た。
漆黒をまとったような姿で、歩いてくる人影がある。
それは、遠目にも誰だかわかった。
――――ヒースクリフ。
うるさいぐらいに心臓がバクバクと鳴り始めた。
そんなリサのことを知ってか知らずか、アンナマリーがリサの手を引き座席から立ち上がらせる。
「一番の招待は貴女なのだから、先に降りてくださいね」
馬車のドアが従僕の手により外側から開き、ステップが車体へ取りつけられた。
リサの視界、車窓越しではなく、開け放たれた馬車のドアの先からは、ヒースクリフが優雅な足取りで近づいてくる。
彼もまた盛装で、制服姿なのはリサだけである。
ヒースクリフは漆黒の上着に、鎖がついたベスト、手袋、まるで闇の貴公子のようだ。
そして、彼のエスコートは完璧だった。
馬車から降りようとするリサの手を流れるように取り、重力などないみたいにふわりと下ろす。
「ようこそ、ヴァルモット公爵家の晩餐へ、リサ」
――――ああ、好きだ。
その妖艶な微笑が、見透かしたような瞳が。
もう馬車から降りてしまったのに、名残惜しむように手が離れない。
ヒースクリフの手袋に搦め捕られたみたいな、リサの指先が熱い。
「…………」
彼の手は、まるで魔法の杖の一振りだ――――。
リサは歓喜に胸を震わせ、それを隠して静かに息を呑んだ。
――――その手は、私を至福の時へと誘<いざな>うのだ。
ヴァルモット公爵家の晩餐会が、始まる。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
現在第二章を準備中ですので、続きは少々お待ちください。




