020_キアランと弟
キアランが生まれたのは、とある街の外れにある粗末な家だった。
父親は飲んだくれで、その日に稼いだ金を全て酒に換えてしまうようなろくでなしだ。
母がいつ家からいなくなったのかは憶えていない。
どうせ、ろくでなしの父に愛想を尽かして、出て行ったんだろう。
残されたのはキアランと、病弱で幼い弟のニコロ、そして父の三人。
それでも当然のように父は、毎日酒を飲んでいた。
その日の食事にも困るありさまだ。
せめて弟だけは腹を空かせないようにと、キアランは必死に働いた。
伝言や荷運び、馬の世話や掃除、雑草取り……やれることはなんでもやった。
それでも子供のキアランが手に入れられるのはわずかなお金で、生活は苦しいまま。
※※※
学園に入る一年前、キアランが十四歳の頃――――。
その日も、いくつもの仕事を終え、残り物の食べ物を買って家に帰ってきたところだった。
「ただいま」
「遅い!」
家に帰ってくるなり、父の怒声が聞こえてきた。
どうやらすでにかなり酔いが回っているようだ。
こういう時は、なるべく顔を合わせないほうがいい。
下手すれば、稼いできた金や買ってきた食べ物を奪われてしまう。
「…………」
キアランは無言で、弟と自分の寝床に向かう。
寝床といっても、ベッドはとうに売り払われてしまったから、柔らかい枝の上に藁を敷いて、布をかぶせた、手作りのベッドだ。
「待て!」
目も合わせずに通り過ぎようとしたのに、父の声が引き留める。
しかたなく、キアランは足を止めた。
「何?」
「つまみがないぞ」
すでにそんなに飲んでるのに、いまさらつまみとかいらないだろうに。
文句が浮かんでくるも、言葉にはしない。
すればケンカになり、殴られるのは子供のキアランだ。
「あるわけないだろ、んなもの」
つまみを買うぐらいなら、自分と弟の食べ物を買う。
もう長い間、満足するほど食べた記憶がなかった。
ぼろぼろのテーブルの上には、空になった酒瓶がいくつも転がっている。
自分達は飢えているのに、父は一体何をしているのだろう。
あの酒瓶一つで、どれだけ食べ物が買えるかわかっているのだろうか。
いや、わかっているはずだ。
キアランの心にふつふつと怒りがこみ上げてきた。
まるで、中から火がついたかのように、身体が熱くなってくる。
「どうせ食い物を買ってきたんだろ、出せ。金でもいい」
いつものろくでなしの父とのやりとりなのに、今日のキアランは我慢ならなかった。
怒りの炎は一層強くなり、キッと睨みつける。
「なんだ、親にその目は! 兄弟揃って!」
父の言葉が引っかかる。
――――兄弟揃って……だって!?
「おい! 話はまだ終わってねーぞ!」
嫌な予感がして、キアランは父の制止を無視して寝床へ走った。
「ニコロ!」
藁の手作りベッドの上には、弱々しく息をする弟が横たわっていた。
どこか傷むのか、身体を痙攣させている。
元々ニコロは病弱ですぐに体調を崩すことがあったのだけれど、今の症状は病気とは違う。
「大丈夫か? ごめんな、兄ちゃんが守ってやれなくて」
「……ううん」
ゆっくり首を横に振る。
抱き上げて確かめると、月明かりに照らされた弟の顔にはくっきりと痣ができていた。
問い詰めるまでもない。
誰がやったかなんて明白だった。
「親父――――!」
家中に、いや隙間だらけで外にまで響く声をキアランは上げていた。
「隣の家に行って、同情を誘って何か食い物を恵んでもらってこいって言ったら、さっきのお前と同じような目で俺を睨みやがった。だから、教育してやっただけだ」
父は何かに怯えるように、弟にした酷いことを早口でしゃべった。
ただそこに、反省の気持ちは欠片もない。
怒りで身体が震え、さらに熱くなる。
「兄ちゃん……やめ、て……」
いつも父の機嫌を伺って、感情の動きに聡いニコロがキアランを止めようとする。
けれど、もう手遅れだった。
――――よくも弟を……。
聞こえないし、消えない。
怒りの炎がキアランの全身を焼き焦がしていく。
「ニコロを殴ったな……」
「な、なんだ? 親を殴ろうっていうのか?」
キアランのただならぬ気配に、父は後ずさる。
――――いつまで、こんなことが続くんだ。どうしてこんなに不幸なんだ。
逆にキアランは立ち上がると、父に一歩ずつ近づいてく。
「殴ったな……」
「や、やめろ……キアラン……何をするつもりだ……」
父は怯えていたけれど、キアランは止まらなかった。
逃げる父を追い詰めていく。
――――憎い、父が。憎い、この生活が!
心の叫びが、胸を痛いほどに震わせる。
同時に身体が怒りで満ちていく。
「お前なんて、父親じゃない! いなくなれ!」
「ひ、ひぃ……やめろ、やめろ」
追い詰められた父は足を滑らせ、転んで尻餅をつく。
――――そうだ、いっそのこと燃えてしまえ、何もかも灰になれ。
そうすれば、苦しむことなんてなくなる。
父を見下ろしたキアランは、拳を振り上げた。
身体を覆っていた炎がその手に集まっていく。
「やめろ――――!」
「燃えろ――――!」
父と同時に、キアランはそう叫んでいた。
その瞬間、ボッと周囲に火がつく。
「ぎゃぁぁぁ!」
「な、んだ?」
そこでキアランは正気に戻った。
家が燃えている。
そして……父が燃えている。
火の回りが早いのは、明らかに父で、すでに火だるまになっていた。
「どうなってるんだ、これ……」
キアランはふと、自分も火に包まれていることにも気づいた。
しかし、熱さや痛さは感じない。
それどころか、微かに記憶している母に抱かれていた時のような、心地よさと安らぎに似た感覚を覚えていた。
あれほど怒りに満ちていた心も、平穏を取り戻している。
「た、助けてくれ……熱い……あぁぁ……」
「…………」
キアランは父が苦しみながら燃えていくのを呆然と見ていた。
人の身体が焦げる嫌な匂いが鼻をつく。
――――これは俺が望んだことだ。
親を殺すなんて間違っている。
わかっていても、止める気にはならなかった。
「誰かいるのか!」
その時、家の外から聞いたことのない男の声がした。
すぐに扉が蹴破られ、姿を見せる。
見たことのない綺麗な青いローブを着ていて、頭までフードを被っていた。
「これはひどい……火属性の覚醒にしても、これほどとは……」
入り口で一度は惨劇に足を止める。そして、短く妙に頭へ響く言葉を発した。
「水膜<バリア>」
男の輪郭が青く光る。
キアランと燃え続けている父を見ると、続けざまに言葉を発した。
「水操作<ウォーター>、命の雫<ヒール>」
父を燃やしていた炎が消え、火傷の跡が薄くなる。
続けて入ってきた別の男が、意識を失った父を外へと運び出した。
「おい、少年! 他にこの家に人はいないか?」
「あっ……弟……ニコロ……」
弟のいる寝床のほうを見る。
巻き込んでしまったことに気づき、キアランはガクガクと震えた。
「あそこにいるのか、まずい。火の回りが速い……このままだと……」
弟はすでに手遅れなのだと、男が言っているようだった。
自分は、とんでもないことをしてしまった。
父を殺すだけでなく、弟も殺してしまったなんて。
ニコロは母の面影さえも憶えていない。
病弱で、物心ついた頃には父の罵声を浴びてばかりで、何一つ幸せなことなんてなかっただろう。
その弟を……巻き込むなんて……。
「おい、しっかりしろ! 弟を今から助けるには少年の助けが必要だ……っ……」
「俺……の……助け?」
男が肩を揺らしてくる。
キアランの身体は燃えたままだったので、男は苦痛の声をあげたけれど、やめようとしなかった。
「覚醒時は一時的に魔力が強くなっている。今なら中位の魔法も使えるはずだ」
「覚醒? 魔法?」
聞き慣れない言葉だった。
けれど、弟を救えるならば、なんでもする。
この命を焼き尽くしても構わない。
「天井に向かって、爆発を起こすんだ。今の君ならやれる」
頷くと、すぐに天井に向かって手を伸ばした。
また、身体を満たしていた炎が右手に集まっていく。
「吹き飛ばせ――――!」
内からわき起こってきた言葉を叫ぶ。
すると、何もない天井の一点がバーンという轟音を立てて爆発した。
ボロボロの家の天井から壁まで、爆風で燃えていた物が全て綺麗に吹き飛んでいく。
「よくやった。あとは任せろ」
男がポンと肩を叩く。
後のことを、キアランは全く記憶していない。
直後に気絶してしまったのだ。




