表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

20/50

020_キアランと弟

 キアランが生まれたのは、とある街の外れにある粗末な家だった。


 父親は飲んだくれで、その日に稼いだ金を全て酒に換えてしまうようなろくでなしだ。

 母がいつ家からいなくなったのかは憶えていない。

 どうせ、ろくでなしの父に愛想を尽かして、出て行ったんだろう。


 残されたのはキアランと、病弱で幼い弟のニコロ、そして父の三人。

 それでも当然のように父は、毎日酒を飲んでいた。

 その日の食事にも困るありさまだ。


 せめて弟だけは腹を空かせないようにと、キアランは必死に働いた。

 伝言や荷運び、馬の世話や掃除、雑草取り……やれることはなんでもやった。

 それでも子供のキアランが手に入れられるのはわずかなお金で、生活は苦しいまま。




※※※



 学園に入る一年前、キアランが十四歳の頃――――。

 その日も、いくつもの仕事を終え、残り物の食べ物を買って家に帰ってきたところだった。


「ただいま」

「遅い!」


 家に帰ってくるなり、父の怒声が聞こえてきた。

 どうやらすでにかなり酔いが回っているようだ。


 こういう時は、なるべく顔を合わせないほうがいい。

 下手すれば、稼いできた金や買ってきた食べ物を奪われてしまう。


「…………」


 キアランは無言で、弟と自分の寝床に向かう。

 寝床といっても、ベッドはとうに売り払われてしまったから、柔らかい枝の上に藁を敷いて、布をかぶせた、手作りのベッドだ。


「待て!」


 目も合わせずに通り過ぎようとしたのに、父の声が引き留める。

 しかたなく、キアランは足を止めた。


「何?」

「つまみがないぞ」


 すでにそんなに飲んでるのに、いまさらつまみとかいらないだろうに。

 文句が浮かんでくるも、言葉にはしない。

 すればケンカになり、殴られるのは子供のキアランだ。


「あるわけないだろ、んなもの」


 つまみを買うぐらいなら、自分と弟の食べ物を買う。

 もう長い間、満足するほど食べた記憶がなかった。


 ぼろぼろのテーブルの上には、空になった酒瓶がいくつも転がっている。

 自分達は飢えているのに、父は一体何をしているのだろう。

 あの酒瓶一つで、どれだけ食べ物が買えるかわかっているのだろうか。


 いや、わかっているはずだ。


 キアランの心にふつふつと怒りがこみ上げてきた。

 まるで、中から火がついたかのように、身体が熱くなってくる。


「どうせ食い物を買ってきたんだろ、出せ。金でもいい」


 いつものろくでなしの父とのやりとりなのに、今日のキアランは我慢ならなかった。

 怒りの炎は一層強くなり、キッと睨みつける。


「なんだ、親にその目は! 兄弟揃って!」


 父の言葉が引っかかる。


 ――――兄弟揃って……だって!?


「おい! 話はまだ終わってねーぞ!」


 嫌な予感がして、キアランは父の制止を無視して寝床へ走った。


「ニコロ!」


 藁の手作りベッドの上には、弱々しく息をする弟が横たわっていた。


 どこか傷むのか、身体を痙攣させている。

 元々ニコロは病弱ですぐに体調を崩すことがあったのだけれど、今の症状は病気とは違う。


「大丈夫か? ごめんな、兄ちゃんが守ってやれなくて」

「……ううん」


 ゆっくり首を横に振る。

 抱き上げて確かめると、月明かりに照らされた弟の顔にはくっきりと痣ができていた。


 問い詰めるまでもない。

 誰がやったかなんて明白だった。


「親父――――!」


 家中に、いや隙間だらけで外にまで響く声をキアランは上げていた。


「隣の家に行って、同情を誘って何か食い物を恵んでもらってこいって言ったら、さっきのお前と同じような目で俺を睨みやがった。だから、教育してやっただけだ」


 父は何かに怯えるように、弟にした酷いことを早口でしゃべった。

 ただそこに、反省の気持ちは欠片もない。

 怒りで身体が震え、さらに熱くなる。


「兄ちゃん……やめ、て……」


 いつも父の機嫌を伺って、感情の動きに聡いニコロがキアランを止めようとする。

 けれど、もう手遅れだった。


 ――――よくも弟を……。


 聞こえないし、消えない。

 怒りの炎がキアランの全身を焼き焦がしていく。


「ニコロを殴ったな……」

「な、なんだ? 親を殴ろうっていうのか?」


 キアランのただならぬ気配に、父は後ずさる。


 ――――いつまで、こんなことが続くんだ。どうしてこんなに不幸なんだ。


 逆にキアランは立ち上がると、父に一歩ずつ近づいてく。


「殴ったな……」

「や、やめろ……キアラン……何をするつもりだ……」


 父は怯えていたけれど、キアランは止まらなかった。

 逃げる父を追い詰めていく。


 ――――憎い、父が。憎い、この生活が!


 心の叫びが、胸を痛いほどに震わせる。

 同時に身体が怒りで満ちていく。


「お前なんて、父親じゃない! いなくなれ!」

「ひ、ひぃ……やめろ、やめろ」


 追い詰められた父は足を滑らせ、転んで尻餅をつく。


 ――――そうだ、いっそのこと燃えてしまえ、何もかも灰になれ。


 そうすれば、苦しむことなんてなくなる。


 父を見下ろしたキアランは、拳を振り上げた。

 身体を覆っていた炎がその手に集まっていく。


「やめろ――――!」

「燃えろ――――!」


 父と同時に、キアランはそう叫んでいた。

 その瞬間、ボッと周囲に火がつく。


「ぎゃぁぁぁ!」

「な、んだ?」


 そこでキアランは正気に戻った。


 家が燃えている。

 そして……父が燃えている。

 火の回りが早いのは、明らかに父で、すでに火だるまになっていた。


「どうなってるんだ、これ……」


 キアランはふと、自分も火に包まれていることにも気づいた。


 しかし、熱さや痛さは感じない。

 それどころか、微かに記憶している母に抱かれていた時のような、心地よさと安らぎに似た感覚を覚えていた。

 あれほど怒りに満ちていた心も、平穏を取り戻している。


「た、助けてくれ……熱い……あぁぁ……」

「…………」


 キアランは父が苦しみながら燃えていくのを呆然と見ていた。

 人の身体が焦げる嫌な匂いが鼻をつく。


 ――――これは俺が望んだことだ。


 親を殺すなんて間違っている。

 わかっていても、止める気にはならなかった。


「誰かいるのか!」


 その時、家の外から聞いたことのない男の声がした。

 すぐに扉が蹴破られ、姿を見せる。


 見たことのない綺麗な青いローブを着ていて、頭までフードを被っていた。


「これはひどい……火属性の覚醒にしても、これほどとは……」


 入り口で一度は惨劇に足を止める。そして、短く妙に頭へ響く言葉を発した。


「水膜<バリア>」


 男の輪郭が青く光る。

 キアランと燃え続けている父を見ると、続けざまに言葉を発した。


「水操作<ウォーター>、命の雫<ヒール>」


 父を燃やしていた炎が消え、火傷の跡が薄くなる。

 続けて入ってきた別の男が、意識を失った父を外へと運び出した。


「おい、少年! 他にこの家に人はいないか?」

「あっ……弟……ニコロ……」


 弟のいる寝床のほうを見る。

 巻き込んでしまったことに気づき、キアランはガクガクと震えた。


「あそこにいるのか、まずい。火の回りが速い……このままだと……」


 弟はすでに手遅れなのだと、男が言っているようだった。


 自分は、とんでもないことをしてしまった。

 父を殺すだけでなく、弟も殺してしまったなんて。


 ニコロは母の面影さえも憶えていない。

 病弱で、物心ついた頃には父の罵声を浴びてばかりで、何一つ幸せなことなんてなかっただろう。


 その弟を……巻き込むなんて……。


「おい、しっかりしろ! 弟を今から助けるには少年の助けが必要だ……っ……」

「俺……の……助け?」


 男が肩を揺らしてくる。

 キアランの身体は燃えたままだったので、男は苦痛の声をあげたけれど、やめようとしなかった。


「覚醒時は一時的に魔力が強くなっている。今なら中位の魔法も使えるはずだ」

「覚醒? 魔法?」


 聞き慣れない言葉だった。

 けれど、弟を救えるならば、なんでもする。


 この命を焼き尽くしても構わない。


「天井に向かって、爆発を起こすんだ。今の君ならやれる」


 頷くと、すぐに天井に向かって手を伸ばした。

 また、身体を満たしていた炎が右手に集まっていく。


「吹き飛ばせ――――!」


 内からわき起こってきた言葉を叫ぶ。


 すると、何もない天井の一点がバーンという轟音を立てて爆発した。

 ボロボロの家の天井から壁まで、爆風で燃えていた物が全て綺麗に吹き飛んでいく。


「よくやった。あとは任せろ」


 男がポンと肩を叩く。


 後のことを、キアランは全く記憶していない。

 直後に気絶してしまったのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ