011_ドントタッチミープリンス
風の初期魔法“交代の風<リプレイス>”は、二つの対象の位置を素早く入れ替える魔法だ。
渦が消えると、リサが中庭に、アンナマリーが外階段の角にいた。
「わっ」
次の瞬間、角を曲がろうとしたアンナマリーとステファンがドンッとぶつかる。
「きゃっ……じゃなくて……遅刻、遅刻……」
ぶつかった衝撃で、アンナマリーは演技をしながら床にゆっくり倒れる。
ステファンはやや姿勢を崩しただけで持ちこたえた。
「って、えっ? 本当に……ステファン……」
本当に向かいからステファンが現れてぶつかったことに、アンナマリーが驚きの声を上げる。
「ああ、驚いた。アンナマリーか、まだ時間は大丈夫だよ」
ステファンは純粋な笑みを浮かべた。
「っ、し……知っていますわ」
むきになって、ふんと彼から視線を逸らす。
中庭にいる三人はそんな様子をドキドキしながら見守った。
「しっかり者の貴女に、こんな一面があったなんて、とても――――」
「な、なんですの?」
ステファンが何を言うのか、アンナマリーは警戒しながらも尋ねる。
「とても……安心した。可愛らしいんだね」
感心したように、ステファンが王子の微笑みを見せる。
アンナマリーはそんな彼の表情に、さっと赤くなりつつツンと照れた。
――――よし! 上手くいった!
二人のいい雰囲気に、リサはガッツポーズをする。
ローズ、デイジーと視線を合わせると、二人も嬉しそうに頷いた。
「おっ、おかしなことを突然言わないでください……」
「そう? 僕は思ったままのことを率直に言っただけだよ。ほら、アンナマリー」
ステファンが手を差し伸べる。
しかし、立たせようとしてくれているのを、アンナマリーは気づかない。
――――早く手を取ってー。
「いつもより、親しげですわ。もう、何度も気安く呼ぶなんて」
「婚約者だから普通じゃないかな?」
照れながら、アンナマリーは自ら床に手をついて立ち上がろうとする。
しかし、それをステファンが制した。
「違うよ、手を出して。僕が起こすよ。貴女の手が汚れてしまう」
今度はわかるようにアンナマリーの目の前にステファンが手を差し出す。
「べ、別に一人で立てますわ……」
文句を言いながらも、アンナマリーがおずおずと差し出された手を取る。
とっても甘酸っぱい感じで、たまらない。
ローズとデイジーも興奮気味に二人の恋愛イベントをじっと見つめていた。
「……っ」
アンナマリーの手が触れた途端、ステファンがぎゅっと繋いで引き上げた。
――――やっぱり……。
その場面を見て、リサはあることを確信した。
今後の自分の行動に関係する重要なことを……。
「もっと僕に身体を預けてくれてもよかったのに」
ステファンが優しく笑う。
どうやら片手を引き上げられたアンナマリーは、ステファンの腕に頼ることなく、ほとんど自分の力で起き上がったらしい。
肩すかしをくらったような形なのに、優しい王子様は怒ったりしなかった。
――――うんうん、アンナマリーには包容力のあるステファンが合ってるよね。
ゲームの本来の流れだと、二人は不仲になっていく。
けれど、今のやりとりを見ていると、そんな心配はないように思えた。
「あっ、貴方が転んだら困りますから。ぶつかってしまって、ごめんなさい」
アンナマリーは彼の手を離すと、パンパンと制服の汚れを払う。
彼女の態度はまったく素直じゃないけれど、ツンデレとしてそこがいい。
「僕こそ、貴女が転んだら困るな。アンナマリー、怪我はない?」
「平気ですわ」
すると、ステファンがじーっとアンナマリーを観察する。
「で、では……授業がありますので」
「あっ、待って。なんだかいつもの貴女と違うね」
恥ずかしさのあまり、去ろうとするアンナマリーをステファンが呼び止める。
「貴方がわたくしの何を知っていると……」
「知っているよたとえば……」
ステファンが不意にアンナマリーの顔に手を伸ばす。
リサも含めて中庭の三人は、思わず「きゃっ」と声を上げそうになる。
「ほら、ここ……」
「えっ……」
もしかして、いきなり頬に手を置いてキス!?
などと考えていたけれど、ヒースクリフではないのでそこまで彼はナンパな人ではない。
ステファンはアンナマリーの乱れた髪を直しただけだった。
指でクルクルっと巻き毛にクセをつける。
直前でリサが工作しておいたところだ。
我ながら、グッジョブ!
「片方だけほどけてる。これはこれで可愛いけどね」
直した後で、ステファンがまたしげしげと見て、微笑む。
「よし、これで直ったよ。君の侍女みたいに上手くはいかないけど、いつものアンナマリーだ」
「あっ、あっ、あ……りがとうございます。も、もう、これ以上は……」
もう、照れすぎてわけがわからなくなっているのだろう。
アンナマリーが、消え入りそうな声でお礼を口にする。
「み、皆さん! 見ていないで、出てきてくださいな。も、もう限界ですわ」
「んっ?」
我慢できなくなったのか、アンナマリーが中庭に向かって声を上げる。
ステファンが何事かとこちらを見た。
これ以上隠れていると、アンナマリーに恨まれそうだ。
仕方なく、リサとローズとデイジーは、それぞれ隠れていた場所から姿を現した。
「いいところだったのに、邪魔じゃない?」
「そ、そういうのではありませんから!」
デイジーのひやかしを、アンナマリーが精一杯否定する。
だったら、今の甘々のイベントはなんだったというのだろうか。
こっちまで恥ずかしくなってしまいました。
「おはようございます、ステファンさま」
「い、今、通りかかったところですよ? おはようございます王子」
真面目に挨拶したローズに、リサも続く。
若干噛んでしまうのは、自分でも嘘が苦手すぎると思う。
「皆おはよう。仲よしで、いいことだね」
ステファンの純粋な笑みが眩しい。
「別に隠さなくていいよ。皆、アンナマリーと僕に遠慮してくれたのかな? ありがとう」
三人が彼の言葉に同意する。
「あれ、貴女も?」
アンナマリーの取り巻きに、見知らぬ者がいることに気づいて、ステファンが驚きの声を上げる。
つまるところ、リサのことだ。
「はい! お優しいアンナマリーに面倒を見てもらって、もう感謝しかないです」
やや早口で、アンナマリーを盛り立てる。
「ふふっ、面倒見のいいアンナマリーらしいね。僕の未来の妻をこれからもよろしく頼むよ」
「ええ! もちろんです」
すっかりアンナマリーの夫然とした言葉に、リサは力強く頷いた。
これって、一応ステファンと出会ったことにはなりそう。
出会いイベント的なものがなくなっても、きっと進行には問題ないかも。
ストーリーが変わりすぎてもリサとしては先が読めずに困る。
「じゃあ、また教室でね。本当に遅刻しちゃ駄目だよ」
「は、はい……」
目を細めると、ステファンが去っていく。
こくりとアンナマリーは頷いて、彼を見送った。
「大成功っ!」
「ステファンさまと、二人で沢山お話しましたね」
「やるじゃないの、リサー」
ステファンの姿が見えなくなるのを見計らって、リサが叫び、次にデイジー、ローズがわっと声をあげる。
「リサ……驚いたけど、その……ありがとう」
照れたような笑みで、アンナマリーからお礼を言われる。
彼女のはにかんだ表情は、リサにとって何よりの報酬だ。
それに今回のことは、自分にとって別の大きな成果でもあった。
「どういたしまして。私は二人の恋をどこまでも応援しますから!」
それが転生したリサにとって、目的の一つだ。
「もちろん、あたしもね」
「アンナマリーさま、応援しています」
「ありがとう。二人も、心強いわ」
リサに続いて、ローズとデイジーもアンナマリーに協力を誓う。
これぞ青春という感じで、前世で体験できなかった感覚だ。
もっともっと三人と仲よくなって、学園生活を満喫していきたい。
「けど、さっきのアンナマリーって、ほんと恋する乙女って感じだったわね。あのいつも凜としている、公爵令嬢って感じのアンナマリーが……ねぇ?」
「うんうん、いつもよりずっと可愛かった。ぎゅーってしたくなったぐらい」
デイジーの冷やかしに、リサも頷く。
「ちょ、ちょっと貴女方! もうやめなさい!」
アンナマリーが口をとがらせ、怒り始める。
「ギャップ、というのでしょうか。アンナマリーさまのそんなところが、ステファンさまの心に刺さったのかも知れませんね」
「そ、そんなこと……は……」
ローズの天然な考察結果に、アンナマリーが何も言えずに頬を赤くして俯く。
「ふふふ、やっぱり可愛いなぁ」
「リサ! それぐらいにしないと、怒りますよ!」
「ごめんなさーい」
その後も、わいわいと盛り上がりながら四人で教室に向かった。