その6 ~あゆみの話~
あゆみの生活は、だんだんと変わっていった。遊びのさそいを何度も断るあゆみは、だんだんとクラスでうくようになっていた。父親はあゆみをどならなくなった。そのかわり、まるであゆみが、いつ噴火するかわからない火山のように、接するようになった。
そしてあゆみは、笑わなくなった。いつもぼんやりと、窓の外を見ているようになった。そして、時間になればママに気持ちをあげる。ただそれだけしかしなくなっていた。
「別にいいんだ、これで。ママがいて、お父さんもわたしにお酒買わせなくなったし、お友達なんていなくてもいい。運動会も、金メダルなんてほしくなかったもん。だから、いいんだ」
あれだけ好きだったかけっこも、あゆみはもう一番じゃなくなっていた。学校に行くだけでふらふらになっていたからだ。いつもきれいに束ねて、赤いリボンをつけていた髪も、ぼさぼさになったままだった。
けれども不思議なことに、あゆみがふらふらになればなるほど、あゆみの巫女としての力は強くなっていった。今まではママしか見えなかったが、この世界にはほかにもゆうれいがいることを、あゆみは知ったのだった。
「ほかの人もみんな、あのゆうれいたちに気持ちをあげてるのかな?」
ある日ぽつりと、あゆみはママにたずねた。ママは首をふって、えんりょがちにこたえる。
「ママにはわからないわ。だって、ママにも見えないんだもん。ほかのゆうれいさんたちは。あゆみちゃんの力がとても強いから、だからきっと見えるんだと思うわ」
あゆみはさびしそうにうつむくだけだった。注意深く見ていれば、ゆうれいたちはみんな、だんだんとうすくなって、消えそうになっていくのがわかった。同じゆうれいを一ヶ月以上見ることはなかった。現れては消えていく。でもそれは、あゆみにとって、願い事を願わない流れ星のようなものだった。自分とは関係ない。そう思うことで、あゆみは自分を守ろうとしていた。外で見るゆうれいの中に、自分の母親の姿を見つけるまでは。
五月なのに、雨のおかげでとても寒い日だった。そうじ当番でのこっていたあゆみは、帰りが遅くなっていた。あたりは暗くなっている。こういう日は、いつもよりゆうれいのからだがチカチカするため、あゆみはなるべくまわりを見ないようにしているのだった。でも……。
「……ママ?」
「あゆみ、ちゃん」
暗い路地にくっきりと、ママのすがたがうかんでいた。どうしてそこに、ママがいたのか、あゆみはまったくわからなかった。ママの足もとに、たおれている女の人を見るまでは。
「……まさか……すったの?」
ママはなにもいわなかった。むぎわらぼうしの、むせるようなにおいがする。ママがあゆみの気持ちをすったときに感じる、あのにおいだ。あゆみはママをにらみつけた。
「すったんだよね、この人の気持ちを。だからこの人、気絶してるんだよね」
「あゆみちゃん、これは」
「言い訳なんてしないで! どうしてよ、どうしてこんなことするの! ママ、おかしいよ! 気持ちをすいたいなら、わたしからすえばいいじゃない、それなのにこんな、こんな悪霊みたいなことをして……!」
それ以上あゆみはなにもいえなかった。ママがふるえながら、泣いていたからだ。
「ママ」
「……そうよね、わたしは、悪霊になっていたんだわ。本当はあなたのことを、見守りたくてこの世界に残ったのに、あなたにつらい気持ちばかり与えて……。これじゃあ本当に悪霊だわ、ううん、わたしは、ママ失格ね」
車がいきおいよく通りすぎた。あゆみにバシャッと泥水がかかる。いつもはすぐにあゆみにかけよるママが、今日はあゆみに近づかなかった。
「……ごめんなさい、本当は、ゆうれいになんてなったらいけなかったんだわ。でも、あなたには、恐ろしいほどに巫女としての力があった。おさないあなたには、重すぎるほど。だからわたしが、支えにならないといけないって思ったの。でも、けっきょくわたしは、なにもできなかったのかもしれない。あなたを傷つけるだけで……」
ママのからだが、だんだんとすきとおり、あわだっていった。あゆみは近づけなかった。近づかないと、ママが消えてしまう。そうわかっていたはずなのに。
「……さようなら、ごめんなさい。ひどいママを許してね。でも、わたしはあなたを……」
雨がママのあわをたたいていく。あわが音もなくはじけて、空気に消えていった。そして、気がつけばママのすがたも、空気にとけて消えていた。雨の音だけが、止まずにのこった。
ママが消えてから、あゆみの心の重しも一緒に消えた。けれどもあゆみに笑顔はもどらなかった。代わりにあゆみの、巫女の力は強くなった。今まではゆうれいを見るだけだったのに、今ではゆうれいにさわることも、とらえることも、傷つけることさえできた。ママがいた間は、そんなこと考えもしなかったのに、あゆみはいつしか、ゆうれいを退治するようになっていた。
あゆみの帰りは、だんだんとおそくなっていったが、父親はなにもいわなかった。神社の手入れはされなくなって、草ものび放題になっていた。それで、おばけ神社とうわさされるようになっても、あゆみはまったく気にしなかった。もう二度とあんな思いをほかの人にさせたくない。その気持ちだけが、今のあゆみを支えていた。
夏休みに入ってからも、あゆみはずっとゆうれいを探して、遅くまで町を出歩いた。補導員のおばさんに注意されることがたびたびあったが、術を使えばすぐに逃げ出すことができた。あゆみの力は、すでに生きている人間にさえもきくようになっていた。
ゆうれいにもうわさが広まるのだろうか、それともあゆみがみんな退治してしまったのだろうか、ほとんどゆうれいを見かけることはなくなっていた。
「きっとどこかに、かくれているんだ。探さないと、そうしないとほかにも……」
うわごとのようにくりかえし、あゆみはゆうれいを探しまわった。
「……あっ、香子ちゃん……」
涼しげな水色のゆかたを着た香子が、ほかのクラスメートと楽しげにおしゃべりしている。クラスでういているあゆみにも、香子は今までと変わりなく話しかけてくれた。胸の中に、ほんわりとあたたかいものが広がる。
「香子ちゃ」
あゆみはハッと息を飲んだ。そこだけ夜空のように、星がきらめいている。ゆうれいだ。それも、今にも消えそうな。
「危ないっ!」
あゆみは全神経を集中させ、ゆうれいに向かって術をはなった。星がはじけて、闇に消える。術の反動で、香子がのけぞるようにたおれた。あゆみははじかれたように、香子のそばにかけよる。
「香子ちゃん、けがはない?」
「な、なに、今の……?」
なにが起こったのか、まったくわからなかったのだろう、香子はぼうぜんとしている。
「危なかった、ゆうれいが、香子ちゃんを……」
あゆみはハッと口をつぐんだ。香子がおびえた目で、あゆみを見あげている。クラスメートたちもそばによってきて、つきさすような視線をあゆみに投げつけた。
「どういうこと? ゆうれいって、あんた、ふざけてるの? 香子、けがしてるじゃない!」
いわれてはじめてあゆみは気づいた。ひじをすりむいて、血が出ている。真っ青になるあゆみを、香子がうるんだひとみで見つめた。
「ち、ちがうの、わたし、わたしは……」
とつぜん、香子がぐらっとくずれおちた。きんもくせいの、むわっとした香りが広がる。あゆみはあわ立つ夜空に、手のひらを向けた。ゆうれいは散って、空気へと還っていった。
「……なにしたのよ、今、香子になにしたのよ!」
クラスメートのどなり声が、ずいぶんと遠くから聞こえてくる。霧のように消えていく星のきらめきを、あゆみは見るともなしに目で追っていた。
「この……おばけ巫女!」
そういわれた瞬間、あゆみの中でなにかがはじけた。目の前が真っ白になって、気がつけばクラスメートにつかみかかっていた。
「なにすんのよ!」
「わたしは、香子ちゃんを助けたのに、どうしてわたしが、そんなこといわれなくちゃいけないの! あやまってよ、あやまれ!」
「もうやめて!」
香子の叫び声に、あゆみはビクッと身をかたくした。
「もう帰って……。あゆみがこんなひどいことするなんて、知らなかった。あっち行ってよ! あゆみの顔なんて、もう見たくない!」
「そんな……」
ほかのクラスメートたちの手をにぎって、香子はふりむかずに去っていった。あゆみは一言も声をかけることができなかった。ただただ、にじんでいく香子のうしろすがたを、見つめることしかできなかった。
次の日から、あゆみはママが昔使っていためがねをつけるようになっていた。もともとはただのめがねだったが、あゆみが複雑な術を夜通しかけて、ゆうれいを見ることができないようにしためがねだ。なにも見えないふりをしようと、そう決めたからだ。そして、ゆうれいを退治することもやめた。ゆうれいにかかわったら、自分の大事な人が次々失われる。それに気がついたからだった。




