オオボラの誘惑
「そこまで!」
ガンエンが手を挙げ、鋭く声を響かせた。試合終了の合図だ。
そのまま、広場の端──壁に突っ込んだまま倒れているタカトのもとへと歩み寄る。
仰向けで壁にもたれかかるタカトは、ピクリとも動かない。
白目をむき、口を半開きにして、気を失っているようだった。
……完全に、魂が旅立っている。
タカトの顔のそばに、ガンエンの影が落ちる。
そのまま、のそりと顔を覗き込んだ。
「一回目の『至恭至順』は──なかなかよかったぞ」
ちゃんと褒めるあたり、師匠としての鑑である。
だが、感謝の言葉は返ってこない。
というか──
タカトの口から、ふわふわと白い魂が抜けていた。
ガンエンは、それをさも当然のようにギュッとつかむと、
「はい戻レイ」
そのまま、タカトの口の中へと突っ込んだ。
ゴキッ!
……いま、タカトの顎からSMちっくな音がしたような気がするけど。
きっと気のせいだろう。
ていうか──ガンエンさん、霊が見えるんですか?
いやまあ、こう見えても万命寺の住職ですし。
毎朝、ちゃんとお経は唱えているのだ。
(録音テープの再生だけど。──byコウエン)
しかし──タカトは蘇生しない。
このままでは、マジで霊があの世へ旅立ってしまうかもしれない。
そうなると──
「こらぁッ! ガンエン! うちのタカトに何してくれとんじゃあああッ!」
……と、権蔵が怒鳴り込んでくるのだ。
想像しただけで──めんどくさい。
いや、超めんどくさい。
モンペの相手を、永遠、12時間コース……
これだけ時間があれば、ドラクエのレベル上げだって、かなり進められる。
下手すりゃ、パーティメンバー全員が賢者になっててもおかしくない。
――仕方ない。
ここは万命寺の秘術を使ってでも、蘇生を試みるしかあるまい。
おもむろに、ガンエンは手を組んだ。
それはまるで、真言宗における密印のよう──厳かで、神秘的。
そして、ぶつぶつと真言を唱えはじめたかと思えば──
カッと目を見開いて叫んだ!
「タカトやッ! あんなところに巨乳美女が!」
……って、万命寺の秘術ってそれかいッ!
しかし──
「えっ! どこどこどこ!?」
その瞬間、タカトの体がビクンとはね起きた!
さっきまで白目むいて倒れてた男とは思えないほどの、キレッキレの動きで周囲を見回す!
まさに──死すら吹っ飛ぶエロ心。
どうやら、万命寺の秘術はタカトには効果てきめんだったらしい。
その様子を見ていたビン子は、顔を手で覆ってポツリとつぶやいた。
──ダメだこりゃ……。
オオボラが歩み寄ってきて、タカトに手を差し伸べる。
タカトはぶつぶつ文句を言いながらも、その手をとって立ち上がった。
そんな二人に、コウエンが手拭いを差し出した。
顔を拭き終え、スッキリとした表情の二人は──
「ああ! 顎がいてぇ! オオボラ! 覚えてろよ! 今度は俺がお前の顎をどついちゃる!」
……って、どつかれたのは腹。
ていうか、アゴをやったのは、ガンエンさんの仕業でしょうが。
だが、オオボラはタカトよりも一枚上手。
無駄な反論はしない──大人の対応である。
「あぁ、楽しみに待っているよ」
「お前、今の聞いて“無理だな”って思っただろ!」
「バレたか。タカト、お前じゃ──一生無理だよ」
二人は笑いながら拳を軽くぶつけ合った。
そんな開放感あふれる光景を、コウエンとビン子は楽しそうに見つめていた。
一件落着──
……と思ったのだが。
「ていうか……お前、なんか臭くない?」
オオボラが鼻をつまんだ。
……やっぱり、そうか。
さっきまであった腹の違和感が、どこかスッキリしている。
まるで栓が抜けたかのような、妙な開放感。
まさか……!
そっとズボン越しにお尻を触れてみた──
ヌルッ。
「………………ッ!!」
タカトは凍りついた。
それとなく、ビン子へ声をかける。
「ビン子ちゃん……ちょっとお願いがあるんですけど……」
振り向いたビン子が、不思議そうに首をかしげる。
「なに?」
「あのですね……怒らずに聞いていただけると嬉しいのですが……」
タカトは、救いを求めるように──ちょっと、ほんのちょっとだけ湿った手のひらを、ビン子へ差し出す。
「この道着、返す前にですね……あの……洗濯したいのですが……手伝っていただけませんでしょうか……」
その瞬間──
風向きが変わった。
それまで風上にいたビン子が、風下へ──
ぷぅ~~ん……
笑顔だったビン子の顔が、
にっこり → 無表情 → 苦悶
とスライド式に変化していく。
香ばしい香りが、フルスロットルで鼻を直撃したのだ。
ビン子は、すべてを悟った。
目の前に突き出された、ほんのり湿ったタカトの手──
激しい練習で汗ばんだのだと思っていた。
だからこそ、「よく頑張ったね」と、温かく受け取ろうとしていたのに。
だが!違う!
断じて違う!
今や、この手を取ることは絶対にできない!
ていうか、クソの漏れた道着の洗濯なんて──!
「いやああ!! 自分ひとりでやりなさぁぁぁい!!」
ビン子は顔を真っ赤にして、後ろに全力で三〇歩下がった。
修行……じゃなくて、道着の洗濯が終わり、寺からオオボラと一緒に帰るタカトとビン子。
ちょうど、先日ダンクロールを打ち取ったあたりにさしかかった。
タカトとしては、オオボラに負けたのがよほど悔しかったのか──
「俺があの豚肉をとったんだぜ」と、妙に威張ってみせる。
だが、オオボラは「ふーん」とだけ。
──暖簾に腕押し、豆腐にかすがい。まさに張り合いがない。
つまらん……
仕方なく、話題を切り替える。
「じいちゃんの話だと、この近くの森に“小門”があるかもしれないんだとよ」
タカトとしては、ただの世間話のつもりだった。
──が、オオボラの足がピタリと止まる。
そのまま森の奥を、鋭い目で睨みつけているではないか。
「なぁ、タカト。その“小門”とやら……行ってみないか?」
──豚肉じゃなくて、小門に食いついたか……
少々がっかりしながらも、タカトは初めて見る真剣な表情に目を丸くした。
「なんで? 小門にはなにがあるんだよ」
オオボラは、森から目を離さず答える。
「あぁ、“キーストーン”ってお宝が眠ってるはずなんだ」
「キーストーン?」
聞いたこともない。
というか、宝物と言ったらアイナちゃんの写真集だろう!
──そういえば、豚の着ぐるみで投げキッスしてる写真集があったな……
タイトルは確か「キス♡豚」……神写真集だった……(うっとり)
オオボラはそんなタカトの妄想などお構いなしに、淡々と語る。
「キーストーンは門の鍵で、その門の中に“神”を閉じ込め、支配できるらしいんだ」
「神をね……」
まるで興味なさげに答えながらも、タカトはちらりと後ろのビン子を見る。
──神ならここにいるわい。
閉じ込められるもんなら、このビン子を閉じ込めてほしいもんだ……!
こいつさえいなければ……
こいつが変なものさえ調理しなければ……
今日の朝、わざわざ芋を食う必要もなかったのだ。
すなわち、芋さえ食っていなければウ〇コを漏らさずに済んだ。
ということは──全てビン子が悪い!
だが──神を閉じ込める、とは。
いくらなんでも、それは少々やりすぎじゃないか?
実際、ビン子を閉じ込めると言われて、「はいそうですか」とは言えない。
それは、ビン子に限らず、他の神でも同じこと。
他人を閉じ込め束縛していいはずがないのだ。
……って、おいタカト!
お前、さっきビン子を閉じ込めろって言ってただろうが!
──あれはな……もののはずみ! ただの勢いってやつだ!
オオボラは、何か思いついたようにニヤリと薄気味悪く笑った。
「そのキーストーンの場所を知らせれば──大金貨500枚(日本円で5千万円)はくだらないぞ」
それを聞いた瞬間──タカトの目に、円マークが浮かんだ。
(まぁ、融合国の通貨が“円”なのかどうかは知らんけど!)
――大金貨500枚だと⁉
それだけあれば、オオボラと山分けしても250枚!
仮にビン子を頭数に入れて三人で分けたとしても、一人あたり166枚!
そして──ビン子の分は俺のモノ!
横取りすれば、なんと合計332枚!
さらに端数の2枚を加えれば──
ななななんと俺の取り分、334枚!
オオボラより多いではないかッ!
これだけあれば……俺、もしかして神民学校に行けるんじゃね?
神民学校に行けたら、魔装騎兵になることだって夢じゃない!
そうなれば、あの獅子の魔人にだって勝てるはず!
──そして何より!
万命寺で、痛い修行をしなくて済むッ‼
(↑ここが一番の本音)
「俺、探しに行くよ!」
ということで、タカトは二つ返事で了解した。
だが──こういう時に水を差してくるのが、いるんだな、必ず。
「危ないよ、タカト! じいちゃん、いつも『門には入るな』って言ってたでしょ」
ビン子が不安げな目でタカトの袖をつかんだ。
だがタカトは、その手をひょいと払って大笑い。
「大丈夫だって! 小門には神民魔人も魔人騎士も入れねぇんだから、むしろ安全安全!」
そう、小門を通れるのは、一般国民以下の身分のモノに限られているのだ。
「でも……魔物はいるんでしょう」
ビン子は、まだ不安の色を隠せない。
……まぁ、確かに。ビン子の言うことは一理ある。
なんせ、魔人界で言うところの“一般国民レベル”の魔物なら、小門をくぐって入って来られるわけで……
──って、危ないやん! それ、フツーに危険やん!
タカトとオオボラは、顔を見合わせた。
ピーピ・ピピピ・ピーピーピー──
どうやら目と目で思念を飛ばしあっているらしい。
なにせ、ビン子が権蔵にチクろうもんなら──
この男たちの浪漫と冒険は、水泡に帰すのだ。
──ならば、どうする……
ビン子を黙らせるには……どうすればいい?
買収か?
いや、それはダメだ。ビン子の大金貨は俺様のものだい!
どうやらタカトは、買収工作に強く反対の構えらしい。
となれば、あとは──
オオボラが、先ほどまでの怖い顔から一転。
にこやかな笑顔で、ビン子に向かってウィンクをひとつ。
「安心しろ。魔物が出たら俺が何とかしてやるよ。俺の強さ、知ってるだろ? “対応戦力等級”25だぜ?」
“対応戦力等級”──
それは守備兵や魔装騎兵が、どれだけの敵を制圧可能かを示す基準だ。
魔物の強さは“制圧指標”という数値で表され、それとの兼ね合いで、任務の可否や配属が決まる。
たとえば、魔物カマキガルの制圧指標は21。
つまり、オオボラなら1匹くらい──余裕で倒せるってわけだ。
ちなみに、タカトの“対応戦力等級”は1である……
「だからな、大人たちには──絶対、ナイショだぞ?」
オオボラが、ビン子に念を押す。
続いて、タカトも威勢よく──
「そうそう、俺もいるしな!」
……ビン子が、じと目で言い放つ。
「タカトが一番心配なんですけど……」
だが、その忠告はスルーされた。
こうして──
タカトとオオボラによる“小門探索”は、着々と動き出し……
物語は、冒頭の“あの朝”へとつながっていくのだった。