ヒロミちゃん
だが、タカトはお構いなし。廊下の先を見つめながら言葉を続けた。
「この転院希望患者って、あの人のことだろ?」
タカトの指さす先には、ガラスで仕切られた待合室。
大きな窓の向こうに、一人の女性の姿があった。
車いすに座るその女性は、まるでストリートファイターの春麗のような二つのお団子頭。
そして、うっすらと涙を浮かべた目で、静かに下を向いていた。
「ああ、あの患者。ヒロミだよ。さっさと連れて行っておくれ」
婦長は殺虫スプレーを構えたまま、吐き捨てるように言った。
「あのヒロミさんって人、神民なんだろ。なんでまた、ツョッカー病院なんかに転院したいんだ? こっちのほうが医療は充実してるのに」
確かに、その通りだ。
ルリ子さんの手厚い看護があるとはいえ、それが“男性にしか”効果がないことは周知の事実。
……もしかしてヒロミさんって、レズ……いや百合カモメ属性でもあるのか?
いや、この婦長から漂う嫌悪と毒気を思えば、まだ「ウ〇ンコ野郎」を連発するルリ子さんのほうがマシに思えてくる。
婦長が苛立ちをあらわにしながら、スプレーの先をさらに近づけてくる。
「あの娘はね、どうしようもない娘なんだよ! 第六の駐屯地をガメルが襲撃したときに両足をやられて、もう立つこともできやしない!」
そう、ヒロミは魔装騎兵の一人だった。
魔人騎士ガメルが送り込んだ軍勢と戦い、“スピニング・バニーキック”で数多の魔物を蹴り倒した。
だが、そこに立ちはだかったのは大型魔物――「タコ邪二郎」!
八本の触手によって、彼女の両脚は無残にも引きちぎられたのである。
「なら、義足でもつければいいじゃないか」
道具職人であるタカトは、自分ならそうすると言わんばかりに言った。
「それができれば、まだ使い物になったさ。でもね――今のヒロミは身重なんだよ。義足なんて、とてもつけられやしない」
婦長の言葉に、タカトはもう一度ヒロミの腹部へと視線を移した。
確かに、お腹は大きくふくらんでいる。
「しかもね、その腹の中の子供……魔人の子供だってさ。まあ、それ以前から男漁りがひどいって病院でも有名だったけど、さすがにこれは驚いたよwww」
「えっ……⁉」
さすがに、タカトも言葉を失った。
魔人の子――つまり“半魔”。
メルアのように、魔の血をわずかに引く存在。
当然、この聖人世界では差別と迫害の対象だ。
そして、その母親も“魔と通じた女”として忌み嫌われる。
そんなことは、融合国では周知の事実。
だからこそ、魔人と通じる人間は聖人世界ではなく、魔人世界で生きるのだ。
――なのに、どうしてヒロミさんはここにいるんだ?
「おそらく、第六の駐屯地での戦闘の際に受胎させられたんだろうね。男遊びばっかしてるから、魔人に付け入るスキを与えるんだよ」
「でも、なら普通……」
そう言いかけて、タカトは言葉を飲み込んだ。
堕ろすか、堕ろさないか。
それは、誰かが軽々しく口にしていいことではない。
命を守ることも、断つことも、どちらも正解ではないのだ。
沈黙するタカトに、婦長は肩をすくめながら言った。
「堕ろせなかったんだよ。ここに運ばれてきた時にはもう瀕死だった。神民である以上、命を優先するのが病院の方針さ。ヒロミが意識を取り戻した時には、もう手遅れ。魔物の子は成長が早いから、あっという間にお腹も大きくなったよwww」
「だから、ツョッカー病院へ転院希望なのか?」
「さあ、どうだろうね。主である第六の騎士エメラルダ様は“心配いらない”と仰ってるけど……。魔装騎兵として戦えず、半魔の子を宿してるとなれば、第六の部隊にとっちゃお荷物さ。たぶん、自分が許せないんだろうね。まあ、今までの男遊びのツケが回ってきただけだよ。清々するわ」
待合室の中。
車いすに腰かけたヒロミは、静かに涙を流していた。
その前には、屈強な男が腕を組んで立っている。
無理に作ったような笑顔を浮かべながら、彼はヒロミに声をかけた。
「ヒロミ……その足じゃ前線には出られん。もう魔装騎兵はやめろ」
その男は、第六の魔装騎兵のヨッちゃんこと――義男である。
義男? ヨシオ? ……どこかで聞いたような名前だ。
たのきんトリオ? いや違う……そうか、チ〇コキラーのヨシ子が死んだと思っている息子の名じゃないか。
ちなみにこの義男、ヒロミやヨークたちが所属する魔装騎兵部隊の部隊長である。
どうやら今日は、ヒロミに除隊を勧めに来たらしい。
沈黙を破り、ヒロミが口を開く。
「オニヒトデ隊長……どうしてそんなこと言うんですか。私たち、チームじゃないですか」
「お前も分かっているとは思うが……その腹の中の子、それは魔人の子だぞ。どうするつもりだ」
ヒロミは目を伏せ、唇を噛みしめた。
「おいおい……まさか産むつもりじゃないだろうな。
半魔は人魔症を媒介しないとはいえ、所詮は魔の血を引く者だ。
扱いがどうなるか――お前自身が一番わかってるはずだ」
義男は肩でため息をついた。
「確かに、エメラルダ様は“気にするな”とおっしゃっていた。だが、隊の中には必ず気にする奴がいる。
タヌキの俊彦なんか、絶対にネチネチ言うに決まってるだろ」
タヌキの俊彦――タヌキの魔装騎兵。
今は、父を亡くした子カンガルーの魔装騎兵・大柴マニアを養子に迎え、内地で静かに暮らしている。
彼の口癖は「あれだけ言っただろうが」。
何でもかんでも難癖をつけるその性格は、隊内でも有名だった。
そんな男がヒロミの腹の子を受け入れるはずもない。
だが、ヒロミは涙に濡れた瞳で義男を見上げ、震える声を上げた。
「俊彦は……そんなこと言わない!」
その言葉には、確信にも似た強さがあった。
まるで、俊彦の本心を誰よりも知っているかのように。




