一回どつかにゃ、俺の気が済まん!
その数日後の事……
青空が透き通る森の中を、タカトは肩を怒らせながら歩いていた。
そんなタカトを、ビン子が後ろから何とかなだめすかしている。
「ねぇ、タカト、やめとこうよ」
だが、当のタカトはまったく聞く耳を持たない。
そんなタカトの足は、万命寺へと向かっていた。
「大体、オオボラのやつが途中でいなくなったのが悪いんだよ!」
どうやらタカトのやつ、小門でオオボラに置いてけぼりにされたことを根に持っているらしい。
「きっと何かがあったのよ」
まあ、確かにビン子も思うところはある。
だが、オオボラの責任感の強さを思えば、自分たちを置いてけぼりにするようなことはきっとないはずなのだ。
「いや、あったとしてもだな、一言ぐらいあるだろ」
そんなことタカトも百も承知だ。
かつて、オオボラと融合国を見渡せる岩の上で語り合ったのだ。
その時のオオボラは、融合国の未来、いや、貧しき人たちのことを憂いていた。
――そんな奴が自分たちを見捨てるとは思えない、というか、思いたくない。
「きっと、なにか急用ができたのよ」
「だがな! あの時、あのまま寝ていたら俺、死ぬところだったんだぞ!」
だが、そうは言っても、クロダイショウに囲まれたのは事実だ。
しかも実際に、蛇やムカデに噛まれて死にかけたのだ。
「あの魔物たち、かなりの大群だったから近づけなかったのかもしれないよ……」
「いやいや、近づけなかったとしても、別の方法はあるだろ!」
「そうかもしれないけど……」
「とにかく、あいつをどつかんと気が済まん!」
――というか、アイツの真意を確かめないと、なんかモヤモヤするんだよ!
そう思うタカトの足は早まった。
だが、タカトの技量で本当にオオボラを殴れるかどうかは分からない。
しかし、その怒りをオオボラにぶつけないことには、タカトはどうにも納得がいかなかった。
まぁ、おそらく最後はガンエンに言いつけて、ガンエンにどついてもらおうとでも考えているのだろう。
万命寺の前では、コウエンが炊き出しをしていた。
大鍋の前には、いつものようにスラムの住人たちが長い列を作っている。
だが、その作業をしているのはコウエンひとり。
オオボラの姿はどこにも見えなかった。
そのせいか、コウエンはひどく忙しそうに、あっちへ行ったり、こっちへ行ったりと動き回っている。
そんな中、タカトたちの姿を見つけるやいなや、彼女は猫の手でも借りたい勢いで声を張り上げた。
「ちょっと! 暇ならこっち来て手伝って!」
それを聞いたビン子は、反射的に「はいっ!」と返事して走り出した。
一方、その隣では――タカトが、「はいっ!」と音もなく後ずさっていた。
だが、残念ながらそうは問屋が卸さない。
次の瞬間、ビン子の手がタカトの耳をつかんでいた。
「あんたも働きなさいよ、タカト!」
「い、痛い痛い痛いっ!」
タカトは悲鳴を上げながらも逃げられず……
ビン子に引きずられるようにして、しぶしぶコウエンのもとへと連行されていったのだった。
あきらめたタカトは、ぶつぶつと独り言を言いながら、しぶしぶ手伝い始めた。
……が、手伝うとは名ばかり。
スープはこぼす、運べば落とす、挙げ句の果てに石につまずいて転びかける。まるで災害の擬人化だ。
一方のビン子はというと、黙々と手際よく作業をこなしていた。まるで小さな働きアリ。
けれども、そのアリの額には今にも青筋が浮かび上がりそうだった。
「タカト、ちょっと! そこ違うってば!」
「わーってるよ!」
いや……絶対コイツ、わかってないwww。
ついにはビン子の手が止まり、深くため息をついた。
その目は完全に“使えない男”を見る目である。
タカトはというと、そんな視線に全く気づかず、ドヤ顔でノラ猫を一匹運んでいた。
……って、マジで猫の手を探してきたんかいwww。
炊き出しが終わると、コウエンはいつものように水場へ鍋を運んでいった。
決まりきった動作――だが今日は、その一つ一つが妙に重くのしかかる。
オオボラの姿が見えないまま、すべての仕事を一人でこなさねばならない苛立ちが、彼女の肩をじわりと冷たく刺していた。
「なあ、コウエン。オオボラ、知らないか?」
タカトの問いに、コウエンはそっけなく答えた。
「知らないわよ!」
気丈に振る舞おうとする声。だがその奥には、ぽっかりと空いた穴のような寂しさが隠れていた。
それを、コウエンはぎゅっと胸の奥に押し込み、誰にも気づかれぬようにしている。
ビン子はその背中を見つめながら、不安げに目を伏せた。
問いただすこともできず、ただ沈黙のまま鍋を洗う音だけが耳に残る。
一方で、タカトは相変わらず空気を読まない。
「オオボラのくそボケ!」
声だけはやたら元気で、まるで静寂をかき乱す無邪気な嵐だ。
その瞬間、コウエンの苛立ちは完全にタカトへと向かった。
「うるさい!」
疲れと孤独をこらえて働き続けた末に、耳に飛び込む軽々しい怒号。
眉間に皺が寄るのも当然だった。
だがタカトときたら――蛙の面に小便とはこのことだ。
怒られてもまるで気にせず、むしろ勢いを増して吠える。
「オオボラ! 出て来い! 出てこんかったらどつくぞ!」
……いや、出てこない相手をどうやってどつくつもりなんだ?
案の定、その声は虚しく万命寺の空に散った。
コウエンは大きく息を吐き、再び鍋を洗い始める。
怒りも、寂しさも、流れる水音の中で泡のように弾けては消え――
それでも彼女の手は、冷たい水を掬いながら止まることなく動き続けていた。
タカトは鼻息を荒くしながら万命寺の門をくぐった。
そして、そのまま境内へ突っ込み、開口一番――
「おい、ジジイ! オオボラを知らないか!」
境内の中央では、ガンエンが一人で万命拳の型を打っていた。
むき出しの上半身は相変わらずジジイのものとは思えぬほど引き締まる。
日差しを浴びて光るその筋肉は、もはや僧というより格闘家。
ガンエンは動きを止めると、首からかけた手拭いでハゲ頭を拭いながら近づいてきた。
「おお、タカトや。オオボラに何か用か?」
待ってましたとばかりに、タカトは小門での出来事をまくしたてた。
もちろん、自分に都合のいい部分だけを盛大にピックアップ。
しかも話を三割どころか、八割増しでデコレーション!
挙げ句の果てに、オオボラのことをボロクソにケナしまくった。
(ハゲだけに毛なし!……って、オオボラは万命寺の僧じゃないからハゲてなかったわwww)
話を聞いたガンエンは、思わず目を丸くする。
「オオボラは、そこまで悪人ではないはずなんじゃがな……」
普通の人間なら、この時点で「ちょっと言いすぎたかも」と反省するところだが、
タカトに限ってはそんなブレーキは存在しない。
むしろ――ここぞとばかりに更なる追撃を開始した。
勢いそのまま、盛りに盛って、もはや真実がどこにあるのか自分でもわかっていない様子。
「あのバカのせいで、俺は本当に死にそうだったんだよ。どう思う?」
「しかし、タカトや。お前は死んでないしの……」
顎をさすりながら、ガンエンがふわりと笑った。
その笑顔がまた腹立たしい。さすがは万命寺の住職――タカトと違って徳が違う。
というか、そもそもタカトの話の半分……いや、八割が見事に盛られた虚飾のパフェであることなど、とっくにお見通しのようだった。
「とにかく、オオボラはどこ行ったんだよ! 一回どつかにゃ、俺の気が済まん!」
「そうは言うても、ここ数日、オオボラは姿を見せておらんしの」
「ジジイ! 隠してんじゃないだろうな!」
「お前に隠してどうする。大体、お前じゃオオボラに勝てんじゃろが」
くっ……図星。
タカトは口を開きかけて、ぐっと歯を食いしばった。反論の余地もない。
「今の話じゃと、そうじゃな……小門に行った後から姿を見せておらんことになるのぉ」
ガンエンはちらりと背後へ目をやった。
柱の影には、いつの間にかコウエンが身を潜めている。耳をそばだて、タカトたちの会話を聞いていた。
おそらく、コウエンもまたオオボラの行方を知らぬのだろう。
そう言いながらも、実のところ――ガンエンもコウエンも、オオボラのことが気がかりで仕方なかった。
どこで何をしているのか、まるで掴めない。
だが、あの男が生きていることだけは、タカトの話で分かった。
ならば、便りがないのは良い知らせ。
男というものは、心配されるよりも、信じられる方が性に合う。
――まぁ、オオボラのことじゃ。今ごろ、自分がやるべきことを見つけておるのじゃろうて。
だが、納得ができないタカトは、まるで耳に入らぬかのようにまた叫んだ。
「オオボラのくそボケ! 出て来い! 出てこんかったらどつくぞ!」
だから、いない相手をどうやってどつくつもりだ、このどアホが。
そんなタカトに、ガンエンはやれやれとばかりに声をかける。
「タカトや、せっかく来たんじゃから、万命拳の稽古でもしていかんか」
その一言で、タカトの身体が一瞬ピクリと硬直し、叫びが止まった。
だが、気を取り直したようにまた大声を上げ始める……ものの、足取りは素知らぬ顔で静かに門へと向かい始めた。
だが、そんな“素知らぬ顔”が通用するほどガンエンはお人好しではない。
「寺で騒いだ礼をせんとな」とでも言いたげに、ガンエンのごつい手がタカトの首根っこをがっちりつかんだ。
「さあ! 修行じゃ! 修行!」
「いやぁぁぁぁ! 痛いのはいやぁぁぁぁ!」
タカトは手をばたつかせ、大量の涙をほ飛ばせる。
目はというと必死にビン子を探し、助けを求めていた。
「たすけてぇーーーー! ビン子ちゅぁーーーーーーん!」
だがビン子は、引きずられていくタカトをただ呆然と見送るしかなかった。
というか、手伝いもできん奴は!いっぺん死んで来い!




