隊長は隊長でもアイドル親衛隊長
ぐはぁ!
焦る一之祐の背後から、当然のように地面へと叩きつけられた打突音と共にカエルを潰したような絶叫が響いた。
神速の世界。そこは加速されたがゆえに時がゆるやかに流れる世界。
一之祐は今まで、コンマ何秒の世界がこんなにまどろっこしいモノとは思いもしなかった。
――まだだ! モーブ! 頼む! まだ死ないでくれ!
やっとのことで一之祐のつま先が地の表面にたどり着くと、瞬時に親指の付け根に力を込めた。
刹那、翻る一之祐の体。
だが、振り返った一之祐の体はピタリと止まった。
――何⁉
前のめりに突っ込もうとするものの、次の一歩が出なかったのだ。
というのも、目の前に広がる光景は、一之祐が思い描いていた世界とは異なっていた。
てっきり死に際のモーブが地面に転がっているものと思っていた。
そして、そのモーブの体にまとわりつくキメれン組。
うっとおしいそいつらを薙ぎ払いモーブを救い出す。
反転した一之祐の心は、その行動に対して当然のように戦闘準備を整えていた。
だが、転がっているのはモーブではなく三つの体。
そう、モーブに襲い掛かろうとしていたキメれン組の面々であった。
しかも、地面に転がるキメれン組の頭を坊主頭の僧兵たちが叩き潰しているではないか。
ガイヤの大きな後頭部は、コウケンの膝によって激しく打ち付けられ、まるで車に轢き殺されたアマガエルのように深く深く地面にめりこんでいた。
そのピクつくガイヤの横では……
先ほどまでタコのように突き出ていたオレテガの唇が、コウセンの右ストレートによって、今や逆に真ん中がつぶれた肉まんのように大きくくぼませている。
もしかして……一之祐は先ほど洗剤を振りまいたマッシュへと振り返る。
そこでは、コウテンのかかとがマッシュの頭頂部に直撃していた!
その衝撃で潰れたガマガエルのように醜く歪んだマッシュの顔面から目と舌が飛び出しているではないか。
キメれン組の動きを封じたコウケン達は、そのまま一之祐に向かって大声を上げた。
「一之祐さま! はやくモーブ様を!」
「あとのことは俺たちに任せておけ!」
「大丈夫っす! たぶん……大丈夫っす!」
コウテンたちの言葉を聞く一之祐は、静かにうなずいた。
――ガンエンは、頼もしい弟子たちを持ったものだ……
空から落ちてくるモーブの体を一之祐はしっかりと受け止める。
そして、再びモーブを担ぎ直した一之祐は、目の前に用意されたラクダに飛び乗り、正門から外の砂漠へと駆け出して行った。
その様子を確認したコウケンの右手が、ガイヤの髪を掴み無理やり引きずり上げた。
「あなたたちの相手は私たちがいたしましょう」
そんな掴みあげられたガイヤの顔がぎこちなくクルリと回り始めた。
その回転とともにブチブチと音を立てて抜けていくガイヤの髪の毛。
しかし、コイツ……痛みを全く感じないのか……無反応のガイヤは、生気のない緑の目でコウケンをジーッと見つめていた。
ケケケケケケ!
とたん青白く乾いた唇から、全く感情のない笑い声が響いた。
⁉
その不気味な気配に次兄コウセンも、オレテガから飛びのき後方へと離れた。
――もしかして、こいつら……
つぶれたマッシュも緑色の目をぐるぐると動かしながら叫んでいる。
「コロすっしゅ! コロすっしゅ! ぶっコロすっシュ!」
その様子を見た末弟のコウテンなどビビりまくり。
「コウケン兄! こいつらちょっと……いや、かなりおかしいっすよ!」
少し時をさかのぼる。
アイナたちのコンサートが終わってしばらくした広場では、残されたかがり火だけが祭りの後を静かに照らしていた。
コンサートの余韻は徐々にさめていき広場に残る人影はまばらになっていく。
そんな中、コウケン達、三兄弟は、いまだに広場に残ったままだったのだ。
「アンコール! アンコール!」
大声で叫び続けているコウテン。
おそらく親衛隊長としての役割をしっかりと果たしているつもりなのだろう。
だが、ステージ前で叫んでいるのはコウテン一人。周りには誰もいない。
ハッキリ言って、むなしい。むなしすぎる……
そんなコウテンに長兄のコウケンは仕方なく声をかけた。
「コウテン、コンサートは終わりました。そろそろ部屋に戻りましょう」
誰かが止めないと、こいつは朝まで叫んでいることだろう。
「コウテン! いい加減にしろ! 明日もまた修行があるんだぞ! やめないとどつくぞ! コラ!」
次兄のコウセンも早く帰って休みたいのか、いら立ちを募らせていた。
そんな二人の言葉に、ようやく諦めがついたのかコウテンは叫ぶのをピタリとやめた。
どうやらやっと自分の行為の愚かさに気付いたようである。
それを見たコウケンとコウセンはホッとすると、ステージに背をくるりと向けて宿舎の建物へと歩み始めた。
「そうだった! こんなことをしている場合じゃなかった!」
そういうコウテンの身体も回転する。
だが、その体の回転は180度の手前、約90度でピタリと止まってしまった。
そして、なぜだかステージを横目にすたすたと歩いていくではないか。
それに気づいたコウケンが慌ててコウテンを追いかけた。
「コウテン! どこに行くのですか!」
しかし、我関せずのコウテンは、アイナたちがいるはずのテントの入り口前までくると直立不動の姿勢で陣取った。
「何をしてるんだ! コウテン!」
遅れて追いついたコウセンは、当然、怒鳴り声をあげた。
しかし、コウテンは二人に顔を向けることもなく、腕を背中に回しピシりとした姿勢でテントをにらみつけていた。
「親衛隊長たるもの、出演者の皆さんを出待ちして、最後まで見送るのが責務! これ宝塚の掟!」
「何が宝塚や! ここは駐屯地や!」
意味が分からないコウセンはついつい突っ込んでしまった。
そんな三兄弟の後ろでは、先ほどまでの静かな時間とは打って変わり、突然あわただしくなっていた。
というのも何人かの守備兵たちが建物から飛び出してきたかと思うと、一之祐のラクダを正門前に連れ出していたのだ。
それと同時、別の守備兵たちが城門の前に集まり開門の準備を始めているではないか。
そんな様子をそれとなく伺うコウケンは、何か一抹の不安を感じていた。
――どうも、これはただ事ではなさそうですね。
姿勢を正すコウテンが夜の空に吠えた。
「キヲツケェェェェエェェ!」
その言葉を合図にするかのように、目の前のテントの入り口に一つの手が伸びてきたかと思うと、その布をスッとまくり上げた。
「イチドウレイ!」
咄嗟に頭を下げるコウテン。
「お疲れ様でしたァァァァァァ!」
直角に折り曲げられたコウテン上半身。
だが、勢い余ったのか……
コウテンの顔面は、そのまま真下の地面に突っ込んでいた。
ふごっ!
突然、目の前が真っ暗になったコウテンは飛び起きようとした。
だが、動かない。
いや、動けない。
どうやら、コウテンの後頭部を誰かが力任せに抑えつけているようなのだ。
そのせいで、コウケンの上半身はピクリとも動かなかった。
「痛いっすぅぅぅぅぅぅぅ!」
もはや泣き叫ぶしかできないコウテン。
しかし、そんなコウケンの耳に怒鳴り声が響いた。
「動くな! コウテン!」
その声は、長兄のコウケンのもの。
普段は穏やかなコウケン兄が声を荒らげていた。
そう、コウケン左手がコウテンの頭を力任せに押さえつけていたのである。
その一刹那、空気を切り裂く音がコウケンの耳に届いた。
同時に禿げた、いや坊主頭の後頭部を突風がかすめすぎていく。
下げた頭の上を何かが通り過ぎた、いや切り裂いていったのだ。
とたん、コウケンの背中に冷汗がにじむ。
――あのまま体を起こしていれば……今ごろはどうなっていたのか……
瞬間、襲う死の恐怖。
万命拳を修行したコウケンにはすぐさま理解できた。
――死んでたかも……俺……
コウテンが挨拶をした瞬間、揺れるテントの入り口から三つの影が飛び出してきたのだ。
それは明らかに殺気を宿した影。
コウケンは、とっさにコウテンの頭を押さえつけ地に伏せた。
コウセンもまた、突然の出来事に身をかわすのがやっとであった。
地面に転がる三兄弟の上を、三対の緑光が空間を切り裂いた。
広場に悲鳴が上がる。
殺気を宿した三つの影が、広場に集まる守備兵たちに襲い掛かっていたのだ。
そして、その先には建物から駆け出してきた一之祐の姿。
――やはり何か起こっている!
コウケンは、体を起こしとすぐさま走り出した。
「追うぞ!」
それに続くコウテン。
「コウケン兄ぃぃぃ! 一体、何がおこってるんすかぁぁぁぁ!」
だが、いまひとつ状況が理解できていないようである。
お前、隊長だろ!
って、アイドルの親衛隊長だったか……




