ほしの本棚
上空から力尽きたように、ミズイの体がふわりと落ちてきた。
タカトは慌ててスライムを地面に下ろし、倒れ込む彼女を両腕で受け止める。
絹のような滑らかさ。
抱きとめた瞬間、ミズイの体は羽毛のように軽く、だが確かに女の重みを伝えてきた。
ふわりと広がるピンクの髪が遅れて落ちてきて、タカトの腕にかかる。
老婆のローブに包まれているはずなのに、なぜだ……?
その布越しに伝わる豊満な曲線は、むしろ一層あらわになっていた。
思わず喉が鳴る。男なら誰しも、脳裏にベッドインの二文字がよぎるだろう。
だが――。
ミズイの顔は苦痛に歪んでいた。
脂汗に濡れた頬。きつく噛みしめた唇。
そして、うっすらと開いた瞼の奥に宿るものは……かつての黄金の光ではない。
赤黒い濁流。
どす黒くよどんだその瞳に触れた瞬間、タカトの背中に……いや、股間の奥にゾクリと冷たいものが走った。
――ッ!?
(ち、違うぞ!? 決してエロい妄想じゃないからな! byタカト)
それは性欲の震えではない。
もっと根源的な、名も知らぬ何かが股間の奥から這い出してくるような……。
震えるミズイの手が、そっとタカトの頬に添えられる。
「約束じゃ……お前の生気をいただくぞ……」
かすかな声。消え入りそうな囁き。
タカトは小さくうなずいた。
ミズイは力なく微笑むと、最後の力を振り絞りタカトの顔へと身を寄せる。
ピンク色の唇が近づく。
温かい吐息。甘い匂い。唇が重なるまでの、わずかな距離。
――まさか、これが俺のファーストキス!?
胸が高鳴る。先ほどまで股間を這い上がってきた“何か”を押しのけ、性春の衝動が喉元まで駆け上がってくる。
だが――。
唇が重なろうとした、その時!
……むくり。
何かの“頭”が、タカトの股間でなく前方に起き上がった。
ちょ、ちょっと待て! 誤解するなよ!?
勃起じゃねぇ!
タカトは反射的に顔を上げ、目を疑った。
そこにそそり立っていたのは――亀頭ではなく蛇頭!
「な、なんだ、ありゃ……!?」
それは、首を掻き切られたはずのクロダイショウ。
切断された首が、あり得ないことに再び繋がり、ヌルリと鎌首をもたげているではないか。
タカトの声に、ミズイもようやく異変に気づく。
彼女はタカトの腕の中で顔を横に向け、苦しげに吐息を漏らした。
「……まさか……確実に殺したはず……」
未来鑑定の後、大空洞で感じ取った気配は、自分とタカトとスライムのみだった。
確かに、死神の鎌は手ごたえを伴っていた。
それなのに――。
クロダイショウたちの屍が、次々と、ぞろぞろと起き上がってくるのだ。
唇をかみしめたミズイは、タカトの胸を押して身を起こす。
大地を踏みしめた足が小刻みに震えていた。
誰が見ても既に限界だ――そう見えるほど。
当然、タカトもそんなミズイに声をかける。
「無理するなよ……というか、先にキスした方がいいんじゃ……」
人生初のファーストキスを目前にしてお預けを食らったのだ。
クロダイショウの群れなど、正直どうでもいい。
そう思うのは……ある意味、仕方のないことかもしれない。
だが、ミズイはタカトの顔を片手で押し退ける。
まるで「近寄るな、このスケベ面」と言わんばかりに。
「お前の生気はこやつらを片付けてからじゃ――約束じゃからな!」
そう吐き捨て、彼女は仁王立ちする。
大空洞を満たす湿気がざわりと揺れ、クロダイショウたちの鱗が地面を擦る音が迫ってくる。
暗闇の奥から、次第に数を増す気配。
じりじりと、獲物を追い詰めるかのように、蛇たちは包囲を狭めていく。
ミズイは再び目を閉じ、襲ってくる個体を精密に捕捉しようとする。
だが、眉間に皺が寄る。どうにも感覚がつかめない。
まるで目の前が霧に包まれたかのように、クロダイショウ達の存在が流れてこないのだ。
ミズイは小さく首を傾げ、ゆっくりと頭を左右に動かして周囲を探る。
――何かが違う……
その動作を、タカトはかすかに感じ取った。
「……どうした? ミズイ?」
とぎれとぎれに絞り出すミズイの声が告げる。
「奴らには……命気が、全く感じられん」
命気とは、生の輝きそのもの。生あるものが放つ根源の気だ。
その命気から発せられるのが、生気である。
だが、ミズイの感覚にはそれがない。
そのため、襲ってくる対象を正確に捕捉できずにいた。
――ということは、つまり……
タカトの目が見開かれる。
瞬時に状況を理解したタカトは、眉間に皺を寄せ、まるでケンシロウのように人差し指を突き出す。
その指先は、迫りくるクロダイショウを正確に指し示していた。
「お前は……すでに死んでいる……!」
だが!
――死んでいる……なのに、動いている!?
目の前のクロダイショウたちは、確かに命気を持たない。
――もしかして、ゾンビ化しているということか?
ゾンビ化したクロダイショウたちを前に、タカトの頭の中で『ほしの本棚』がガタゴト猛スピードで動き出す!
仮面ライダーダブルのフィリップのように――棚が左右に揺れ、ページがパタパタ、棚自体がグルグル回転!
――条件追加!
棚が一段飛んで戻り、別のページが跳ね、検索結果はカオス!
「ゾンビを倒すにはどうすれば……?」
ニンニク!? 十字架!? 銀色の弾丸!?
――いや、それドラキュラ用だろ!
ヘッポコすぎて資料は抜け落ち、ページはぐちゃぐちゃ。
どうやら、タカトの脳内『ほしの本棚』の精度はゼロに等しいwww
――ダメだこりゃwww
やはり頼りになるのは脳内スパコン、腐岳のみ!
腐岳による高速演算の結果、タカトはひとつの結論にたどり着く。
ぽく……
ぽく……
ぽく……
チーン! 古!
『古今東西、ゲームでも小説でも、ゾンビの弱点は――頭をぶっ飛ばすこと!』
幸いにも、こいつらは“頭”が戻っている。ならば話は早い。
「ならば! 頭をぶちのめすまでよ!」




