どうして……
権蔵はタカトたちが戻ってきたことを全く知らなかったのである。
小門の大空洞にたどり着いてすぐに、リンがミーアのもとに行くと言い出した。
それを聞くガンエンはニコニコしながら顎ひげをなでていた。
まぁ、どのみち小屋には権蔵がミーアの世話をしに戻っていたのだ。
なら、今からタカトたちが家に帰るのであれば、わざわざ権蔵に知らせを送る必要も無かろうと……
ガンエンの目は意地悪そうな笑みを浮かべていた。
それまでの権蔵は、タカトとビン子がエメラルダと共に魔の国に入ったというところまでは分かっていた。
だが、それから先の消息が全く不明。
生きているのか死んでいるのかもわからない。
そんなさざなむ心では、とても小門整備の仕事など手につくはずもなかった。
「ガンエン! ワシは、タカトたちがほったらかしておるあの女魔人の世話でもしてくるわい!」
権蔵はガンエンにそう言い残すと、そそくさと家に帰っていったのである。
タカトたちがいない今、確かにミーアを世話するものは誰もいなかった。
ましてミーアは魔人である。
そんなミーアが、ホイホイと家の外に買い物に行くわけにもいかない。
まぁ、そんな金は鼻っから権蔵の家にはないのであるが。
そこで、小門の中に蓄えられた食料を少しミーアのために持っていくのである。
だが、権蔵の本心は別にあった。
女魔人であるミーアは、魔の融合国のミーキアンの神民魔人である。
魔の国の事はここにいる誰よりも知っているはずなのだ。
なら……
だが、ミーアは魔の国に戻れないからこそ権蔵の家に隠れているのである。
そんなことは分かっている……
しかし……もしかしたら……
権蔵は、ワラにもすがる思いでミーアに相談に来ていたのだ。
リンがミーアに抱き着いていた。
「リン……お前……どうして……」
「ミーキアン様の命令で、お姉さまのもとに参りました!」
という事は、タカトたちはミーキアンに会ったという事なのだろう。
ミーアは意地悪そうな笑みを浮かべながらタカトに目を向けた。
「タカト! ミーキアン様はどうだった?」
権蔵に怒鳴られていたタカトであったが、とっさにミーアの方に目を向けた。
「どうだったじゃねぇぇえよ! この嘘つき魔人が!」
そのタカトの目は怒りの色に染まっている。
だが、ミーアの目はますます、笑みに染まっている。
この予想通りのタカトの反応……
ミーアは、必死になって笑いをこらえながら、言葉を絞り出した。
「お……お前……本当にミーキアン様に言ったのか?」
「お前の言う通り『おっぱい揉ませてください』って言ったらマジで食い殺されそうになっただろうが!」
ついに耐えられなくなったミーアは、腹を抱えて笑い転げる。
「バカだ! お前! 本当に馬鹿だなぁ!」
ビン子があきれた様子でため息一つ。
「バカですから……」
だが、リンには、目の前の光景が少々信じられない様子。
というのも、ココは聖人世界である。
魔人世界と違って、ミーアという魔人はこの世界では異物である。
いや異物どころか、人を食う害悪なのだ。
当然、忌み嫌われ恐れられる存在。
そう簡単に、人が近寄れる存在ではない。
それなのにどうだ、リンの目の前で繰り広げられ光景は、まるで学校の休憩時間の会話。
陽光差し込む机を囲みくだらない会話に花を咲かせる友人たち。
実にくだらない。
くだらないのだが、また、お互いを阻む壁もない。
……どうして……
リンは、ぼそっと呟いた。
「タカトさん……どうして、ミーア姉さまを怖がらないのですか? ミーア姉さまはこれでも神民魔人ですよ……」
その目は、何か嫉妬のようなモノが浮かんでいる。
「魔人国で見ましたよね……魔人たちが人を食う姿を……」
リンはまるでミーアを怖がれと言わんばかりに、魔人国での人食いの出来事を思い出させようとしていた。
タカトは一瞬固まる。
脳裏に浮かぶ、露店の光景。
逆さにつるされる人の肉。
タカトの表情が、一気に曇った。
その変化を瞬時に感じ取ったミーア。
ミーアもまた、真顔に戻っていた。
水を差したかのように静まり返る部屋の中にミーアの声が小さく響く。
「確かに……魔人である私は、お前たちを食うかもしれないのだぞ、怖くはないのか」
タカトはしばらく黙っていた。
暗い部屋の中には、森の中でさえずる鳥の声だけでなく、風で揺れる木々の音までもがはっきりと聞こえた。
権蔵とビン子もただただうつむくのみ。
その重い雰囲気に耐えられないのか、ミーアもまたうつむき口角を震わせていた。
「確かに……食われるのはいやだなぁ……」
だが、やっとのことでタカトが口を開いた。
「でも、お前、ここに来てから人間殺してないだろう……」
ハッと顔を上げるミーアの表情には驚きが浮かんでいた。
ガメルによって開けられた第六の騎士の門。
その門を通って、ミーアは宿舎の牢獄に監禁されたエメラルダを救い出した。
武器を持たぬミーア。
聖人世界のため神民スキルである魔獣回帰も使えない。
ただただ己が拳でどつくだけ。
殴られた奴のアゴは砕けたかもしれないが、おそらく死ぬことはないだろう。
そして、なによりも、その人間たちを食らっていない。
ここに来てからミーアが食しているのは、タカトたちが日ごろ食べる芋や干し肉ばかりなのである。
「オオボラたちと戦った時も、けがはさせているが誰一人殺してなかったしな……」
ミーアの肩に手を置くタカト。
その手にそっと頬を近づけるミーア。
「それがミーキアンさまたちの願いだから……」
その頬は少々赤く染まっていた。
――やっぱりお姉さまは、この男を繁殖の相手に選ばれたのですね……
それを見るリンは苦虫を潰す。
――汚らしい!
そんな時、ハヤテの耳がピクリと動いた。




