肌を触ったのは……(1)
「これを飲んでおいてください」
リンはタカトへと小さなコルク栓がついた小瓶を差し出した。
その小瓶は中指ほどの大きさ、そして薄らと透き通る角ばったガラス瓶であった。
タカトはリンの手のひらを覗き込む。
「これは何だ?」
リンの細く白い掌の上で、小瓶が中に入る液体を揺らしていた。
だが、その液体の動きは少し緩慢としていて、少々粘度が高そうだ。
タカトのそんな問いに、リンは僅かに首を傾げてニコッと微笑む。
「植物の魔物であるヒマモロフの種から抽出した油ですよ」
卑しいまでの優しすぎるその音調、どことなく何か含みがるように思えた。
というのも、にっこりと微笑む目の奥底には、なにかうすら寒い冷たさを感じさせるのだ。
そのリンの言葉を聞いた瞬間、エメラルダの顔色がさっと変わった。
目の前で子供が道路に飛び出すのを制止するかのように、反射的に怒鳴った。
「タカト君! それを飲んじゃダメ!」
えっ!
ピタリとタカトの手が止まる。
そして、その言葉の真意を確認するかのように背後に立つエメラルダへと振り返った。
「それには強い中毒性があるの! それをのんだら、そのヒマモロフの油を取り続けないと精神が不安定になるのよ!」
なんじゃそれ!
驚くタカトは、リンの方へと振り向き戻る。
そこには先ほどまで笑っていたはずのリンの顔が、静かに真顔になっていた。
まるで、能面のように、一切の感情を表さず、静かにタカトを見据えていた。
なんやコイツ! 俺の事を殺す気か!
タカトは、急いで、リンの手を押し返す。
リンは、さも残念と言わんばかりに静かにため息をついた。
「そうですか……ただ、人魔症にかかりたいのであれば止めはいたしませんが」
「どういう事……」
「確かに、ヒマモロフの油には強い中毒性がございます。ただ、人魔症を抑制するという効果もあるのですよ」
「何ですと……」
確かに、聖人世界の医療の国で生産されている人魔抑制剤もヒマモロフの種を基に開発されていると聞く。
依存性を有する成分さえ除去すれば、薬としての効用は高かった。
だが、その成分を抜くのが難しいのである。
この技術を持っているのは、現在医療の国だけなのだ。
そのため、人魔抑制剤の供給を一手に担い、各国に影響を与えているのである。
医療の国以外では、当然その強い依存性によりヒマモロフの種の取引は禁止されているため、市場では出回ることがなかった。
だが、強い依存性の成分を目当てに裏で取引されることは、どこの国でもざらにあった。
リンは続ける。
「この魔の融合国、いや、魔人世界では、聖人世界のように人魔検査などと言うものは行われません。というか、必要がないので、そのような道具はございません。ですので、今のタカトさんが人魔症にかかているかどうかを判断することはできないのです」
「俺って、人魔症にかかっているの?」
リンはあきれるような表情を浮かべ、自分の顔を見て見ろと催促するかのように、自分のほっぺたをツンツンとつつく。
それに気づくタカト。
俺の顔に何かついているのか?
タカトは何気に顔をこすった。
両手一杯ににべたりとつく魔血の赤。
あははははっはは……これ……どないしよう……
リンは続ける。
「ただ、魔人世界では、このヒマモロフの種の油を使って奴隷たちの人魔症の発症を押さえてきました」
タカトはすがる思いで、リンに尋ねる。
「なら、これを飲めば人魔症にかからないの?」
リンは首を振る。
「必ずとは言い切れませんが、初期であればかなりの確率で予防してくれます。そして、一度程度の使用ぐらいでは中毒症状はおきません。ただ興奮作用、催淫作用が強く出た後はしばらく脱力感には見舞われますが」
「絶対じゃないんだよね……もしも……もしもだよ、これ飲んでも人魔症にかかったらどうするの」
ニコッと微笑むリン
「その場合には、ミーキアン様にでも接吻でもしていただいたらいいじゃないですか?」
「キス!?」
「まぁ、実際にはキスではなくて、首にカプっですけどね」
「どういうこと?」
「人魔症が発症した奴隷は、その所有者である魔人に、魔の生気を吸い出してもらうんです。それによって、その寿命を長持ちさせるわけです。だから、もしタカトさんも人魔症を発症したら、一緒にミーキアンさまの奴隷になりましょう」
いや……それは断る。
だが、人魔症になるのも嫌だ。
タカトはリンからヒマモロフの油を奪うと、一気に飲み干した。
ほぇぇぇぇぇぇ




