Fラン大学の授業
で、なんでタカトたちは小門を探しているのかって?
そう、それには──深い、実に深〜い理由があったのだ……
……え?
「タカトのことだから、どうせ大した理由じゃないんでしょ」って?
ギクッ!!
た、確かにその線もある! あるけど!
でもまあ、そこは読んでみないと分からないじゃないですか!ね?
というわけで、ちょっとだけ話を巻き戻そう──
時はそう……
魔豚・ダンクロールの亡骸を、やっとのことで道具屋に持ち帰った、あの日まで遡る──
* * *
夕刻にはまだ少し早い、道具屋の前の空き地。
一本の大木の枝から、ずしりと重たそうなダンクロールの亡骸が吊るされていた。
すでに首は落とされ、血抜き済み。
それとともに、体内に満ちていた魔の生気も、ほとんど抜けきっていた。
そして今、
分厚い皮膚を一本の小剣が静かに切り裂いている──
そう、タカトたちは現在、ダンクロールの解体作業の真っ最中だった。
慣れた手つきで手際よくさばいているのは、もちろん権蔵。
皮、肉、骨──無駄なく、無駄なく。
まるでそれが料理であるかのように、静かに淡々と、豚を分けていく。
その隣で、タカトはせっせと骨から肉をそぎ落とし、切り身を塩水に漬けていく。
その手つきは驚くほど丁寧。
第一駐屯地でカマキガルの死骸を分別していたときとは、まさに別人のようである。
やはり──権蔵がそばにいると、タカトも真面目に働くらしい。
一方のビン子はというと、
近くの石に腰をかけ、はぎ取られた皮を広げて、そこから油をそいでいた。
誰もしゃべらない。
ただ、皮を引く音、肉を断つ音、ナイフを洗う水音だけが、そこにある。
そんな懸命な作業の甲斐あって、解体もひと通りのめどが立った。
腰をトントンと叩きながら、権蔵が立ち上がる。
「おい、タカト。森に入る前に渡した小剣を持ってこい」
塩水漬けの作業を終えたタカトは、手をふきながら立ち上がり、
近くの石に腰を掛け直した権蔵のもとへと向かう。
「でも、じいちゃん……あれ、折れちゃったけど」
「分かっとる。ええから、小剣を出せ」
「えー……もしかしてさ、返せとか言う気じゃないの? じいちゃん、それセコくない?」
「アホか。お前と一緒にするな」
権蔵は、おもむろにポケットから一本の牙を取り出し、タカトの目の前に突き出した。
「ダンクロールの牙じゃ。魔抜きをする前に抜き取っておいた」
その瞬間、タカトの上半身がギュンッと前に突き出る。
牙との距離は、ほぼゼロ。
思わずの急接近だった。
慌てた権蔵が、タカトの額を手でぐいっと押し返す。
「近い! 近いと言っとるじゃろが!」
だが、タカトは目を皿のようにして、牙から目を離さない。
どう見ても、その牙に心を奪われている様子だった。
そんなタカトを見つめながら、権蔵はふっと笑う。
そして、そっとその頭に手を置いた。
「初めてにしては……よう頑張ったの」
その声には、不器用ながらも、確かな優しさがにじんでいた。
「まぁ……お前の小剣を直すついでに、この牙を重ねて融合してやろうと思ってな」
それはきっと、権蔵なりのご褒美だ。
――素直に「ご褒美だ」と言ってやればいいのに。
と、ビン子は思ったが、口には出さない。
まぁ、これもビン子なりの優しさである。
タカトは驚いたように折れた小剣を差し出しながら、尋ねた。
「じいちゃん、この小剣って、確か融合加工の上に固有融合してあるんだろ? それにさらに融合を重ねることってできるのか!?」
すると権蔵は、どこか得意げな顔で鼻を鳴らす。
「基本さえ分かっていれば可能じゃ」
小剣を受け取った権蔵は、腰を上げて家の方へと歩き出す。
その背中を、タカトが金魚の糞のようにぴったりとくっついて追いかける。
「とはいえの、最近の融合加工は、魔血やら肉体融合やら……なんやらよう分からん。いまの流行りの技術がどうかまでは知らんがな」
ちらりと横目で、まとわりつくタカトを見やる権蔵。
うっとうしそうな表情を浮かべながらも、どこか楽しげだ。
「わしの知っとるのは、大昔の、カビが生えとるような古い技術じゃ。
……じゃがな、基本というのは、何にでも応用が利く。忘れるでないぞ、タカト」
そう言いながら、権蔵は後ろ手に回していた手をそっと上げ、タカトの頭をぽん、と押さえた。
その仕草は、師が弟子に向ける、ほんの少しの愛情と誇らしさのようでもあった。
「じいちゃん。融合加工の基本って、何なんだよ?」
権蔵はあきれたように目を細めると、深くため息をついた。
「……お前は、そんなことも知らんで融合加工しとったんか」
ぼやきながらも、初学の子どもに教えるように、権蔵はゆっくり語り始めた。
「この世にあるすべての物質には“気”が宿っておる。石のような無機物にも、生き物にも、人にも魔物にも、じゃ。そのすべての気を、万の気──“万気”という」
ここまでは、なんとなく聞いたことがあるような話だった。
タカトは「ふーん」と気の抜けた相槌を打ちながら、またしても鼻をほじっている。
だが、権蔵は気にする様子もなく、語りを続けた。
「生き物に宿る万気は、命の源となり“命気”となる。そして、命気から発せられるのが“生気”じゃ。
生気が満ちておれば体は元気になり、減れば弱る。戦う者はその生気を“闘気”に高め、さらに騎士クラスになれば、“覇気”にまで昇華させる」
タカトは「そんなこと、知っとんねん!」と言いたげに、鼻をほじりながら生返事を返す。
その様子に、権蔵は鋭い目で睨みつけた。
タカトの指がぴくりと震え、鼻から抜いたそれが──少量の血にまみれて糸を引いている。
「……汚な」
と、横で見ていたビン子はタカトからそっと距離を取った。
そんなビン子に向かってタカトは指先でピンと弾こうとするが、鼻くそはぴたっと指に貼りついて離れない。
「ちょっと!! やめてよ、タカト!」
タカトは、その反応が面白かったようで、指をピンピンとはじく!
だが、粘った鼻くそはしぶとく指に居座ったまま。
飛んでいったのは──タカトの集中力のほうだった。
だが、権蔵はお構いなしに話を続ける。
「融合加工ではな、融合すべき物体──この場合はお前の小剣の“万気”に、魔豚の牙の万気を重ねるんじゃ」
それはまるでFラン大学の授業のよう。
「互いの万気が重なり、うまく混ざり合えば、それは“新たな万気”へと進化するんじゃ。」
スマホをいじる者。爆睡する者。おしゃべりに夢中な者。はたまた芋炊きに興じる者もいる。そんな学生たちに構わず、淡々と黒板に向かって話し続ける様子は、まさにそれと瓜二つだった。
「その万気の中心を正しく見極めれば、融合加工はいくらでも重ねられる。
しかも“開血解放”には、一滴の血さえあれば充分じゃ」
「へぇー」とタカトは言いながら、まだ指にひっついた鼻くそと格闘している。
そして、唐突にこう聞いた。
「じいちゃん、万気って……見えるのか?」
権蔵は、しばらく黙ってから答えた。
「ワシにも万気そのものは見えん。……経験で中心の“ずれ”を感じ取っておるだけじゃ。
何度もやって、何度も失敗して、そうしていくうちに……手が、体が、分かってくるようになる。繰り返しじゃよ、タカト……」
やっと鼻くそが指から離れ、うれしそうな表情を見せるタカトの頭の上に、権蔵はそっと手を置き、家の中に入ろうとした。
だが、タカトがその背中を慌てて呼び止める。
気づくと、タカトの手にはいつの間にか、ダンクロールの鼻が握られていた。
「じいちゃん、この鼻、くれないか?」
「何に使うんじゃ?」
いやらしく目と口を緩めるタカトに、あきれた様子の権蔵は、勝手にしろと言わんばかりにそっけなく手を振った。
 




