死にたがり(2)
猫耳のオッサンを睨みつけるタカトはエメラルダを守るように立ちはだかった。
その後ろに隠れるかのようにビン子もオッサンを威嚇する。
だが、そんな二人を見るネコミミオッサンは嬉しそうであった。
というのも、今日は悲鳴を上げるおもちゃが3つもあるのだ。
しかも、この小僧の目、少々の事では壊れないかもしれない。
すぐに意識を失って興ざめすると思っていたが、これはちょっとは楽しめるかも。
「今日は、若いの3匹か。これは楽しめそうだな!」
ネコミミオッサンが、スキップしながらタカトの前へと身を移すと、タカトとビン子をかわるがわるに指さしはじめた。
「男からにしようかな……女からにしようかな……」
そのだらしなく緩む目じりからすると、おそらく、どいうプレイをしようかと思いなやんでいるようである。
そんなオッサンに提案するかのように、若い男の声がした。
「それでは豚からではいかがでしょう?」
いつの間にかネコミミオッサンの真横に一人の男が立っているではないか。
そのあまりの事に、猫耳のオッサンの目が丸くなっていた。
これから三人の悲鳴を聞けるかと思ってウキウキしすぎていたのだろうか?
その真横に立つ男の存在に、今の今まで気づかなかったのである。
暗殺者の俺がか? まさか……
猫耳のオッサンは、そんな心中を悟られまいと、必死に落ち着くそぶりをみせた。
「どちらさんで?」
「わたしは、ただの道案内でして!」
たしかにこの男が身に着けているの黒衣装、自分たちがガンエンたちのいる大空洞に行った時のものである。
そういわれれば、初めての小門内の道に迷わぬようにと、オオボラが道案内をつけてくれたっけ。
そうそう、確かにこの男だったよ! 道案内の男!
だから、周りの暗殺者の子分どももスルーしたのね! 納得! 納得!
「って、なんで! なんでここ道案内がおるんやねん!」
「いやぁ、だって、まだお代をあげていなかったものでして!」
そいう言い終わると男は、右こぶしをオッサンの顔面に叩き込んだ。
ぶほぉ!
突然の攻撃に、身をよける暇もなかった猫耳のオッサンは顔を大きく潰しながら、はじけ飛んだ。
一方、その前に立っていたタカトとビン子も突然の事にきょとんと眼を丸くすばかり。
「あっ! 間違えた! あげるんじゃなくて、貰わないといけないんだった!」
頭をかく男は、身に着けていた黒衣装をさっと脱ぎ捨てた。
「あっ!」
タカトとビン子は、その男を見て驚きの声を上げた。
というのもそこには、元第六の神民兵であるヨークが立っていたのであった。
ヨークはメルアが殺されて以来、何もすることもなく街の飲み屋でただただ飲んだくれていたのだ。
エメラルダが逮捕された時も、騎士の刻印をそぎ落とされた時も相変わらず飲んだくれていた。
ヨークにとって、もうすでに第六がどうなろうが、自分が神民でなくなろうが、どうでもよかったのだ。
――メルアが死んだ……
その寂しさと悲しさだけが、その時のヨークを包みこんでいたのである。
メルアの死の知らせをヨークはホテルニューヨークの暗い土間で受けとった。
息をきらすお登勢から殺したのは第一の神民兵ジャックだったということを聞いたのである。
――ジャックの野郎!
当然それを聞いた瞬間、心に怒りの炎が宿ったヨークはすぐさま宿を飛び出そうとした。
だが、そんなヨークの腕をお登勢が力強く握り引き留めたのだ。
「やめときな……」
「放せ! お登勢! 放さないとテメェからぶち殺すぞ!」
「ヨークの旦那……メルアは奴隷なんだよ……しかも、半魔の奴隷女……」
「それがどうしたというんだ!」
「私らの命なんて……ゴミみたいなもんなんだよ……」
「メルアはゴミじゃない!」
「いいかい! 神民さまにとってゴミなんか潰そうが斬り殺そうが自由、どうやったって罪なんかに問われないんだよ!」
「そんなことあるか! メルアだって生きてたんだぞ!」
「そう思うのはヨークの旦那、あんただけだよ……私らみたいな小汚い野良猫に愛情を注いでくれるのは……」
「放せ! 俺はあいつをぶち殺さないと気が済まないんだ!」
「そんなことしたら、確実にヨークの旦那が処刑されちまうよ! なんたって相手はあのアルダインの神民なんだから」
「構いやしない! だから放してくれ!」
「ヨークの旦那! いい加減にしないかい! あんたが死ぬことをメルアが望んでいるとでも思っているのかい! だいたい、あのジャックのクソッタレをぶちのめしたところで、もうメルアは帰ってこないんだよ!」
それを聞くや否や、ヨークの体が崩れ落ちた。
お登勢の手につかまれていたはずのヨークの腕も力なく落ちていく。
――だったら……俺は……俺は……どうすればいいんだよ……
わぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!
床に頭をこすりつけるヨークは人目もはばからずに大声で泣き始めた。
そんなヨークを見るお登勢は、周りにいる女郎たちに目配せをしてそっとその場所を離れるのだ。
そして、背中越しにヨークに感謝するのだ。
――そうして泣いてくれるだけでメルアは十分に果報者だったさ……
そんな暗い土間にヨークの鳴き声だけが響いていた。
小汚いバーに座るヨークの手が酒の注がれたコップを握りしめぶるぶると震えていた。
――あれだけジャックには気をつけろと言っておいたのに……
その酒を一気に胃の中へと流し込む。
これで何杯目だろうか……
すでに酒で焼けた喉はなんの感覚も覚えなくなっていた。
強い酒をひたすら飲んだところで悲しさが消えるわけではない。
飲んだ勢いでそのあたりにいる酔っ払いと喧嘩をしたところで、うさが晴れるわけでもなかった。
そんなことはヨークにも分かっていた。
痛いほど理解できていた。
だが、心にあいた穴は日を追うごとにどんどんと大きくなっていくのだ。
すでに、そんなヨークの心は酒を飲んでも飲んでもまったく酔えなくなっていたのである。
そして、ついにヨークは決心する。
――そうだ、俺も行こう……メルアのもとへ、俺も行こう……
誰もいない森の中。
一人、ヨークは酒が残る震える手で木の枝にロープを巻きつけるのだ。
だが、先ほどから輪にしたロープの先を結ぼうとしているのだが、どうにも酔った手が言うことを聞いてくれないらしい。
しかし、何度かチャレンジした末に不格好ながらもなんとか結び目ができあがっていた。
そして、ヨークはどこからか台を持ってくるとその上に立ち上がり天を見上げたのだ。
「メルア……今、いくよ……」
言葉と共に台から落ちるヨークの体。
その体がロープの輪っかをぴんと引っ張った。
首に食い込むロープの肌がヨークの息をグイグイと締め上げていく。
――これで行ける……メルアの元に……
そう思った瞬間のことである。
……アンタ……ダメだよ……
一瞬、そんな声が聞こえてきそうな風が木々の間を吹き抜けたかと思うと、ヨークの体は木の下の地面に伏せていたのであった。
――なんで……
確かにロープはヨークの首を絞めていた。
だが、ヨークが作った縛り目が雑だったせいなのだろうか、運よくロープがほどけて首を絞めるのをやめたのだった。
そんな切れたロープが木の枝を通ってまっすぐに2本垂れて揺れていた。
それはまるで連れ添う男女が風に吹かれて楽しく揺れているかのようにも見えた。
だが、そんなロープの下からは地面に顔を押し付けるヨークの嗚咽が漏れていた。
「メルア……メルア……メルア……」




