新宿ホーム
いつもなら雑然と人の流れが途切れない新宿駅。
血球のように、せわしなく人々が行き来する場所。
酒と排泄物、そして人の体臭がわずかに混じる、そんな街。
だが今、駅のホームには人影がない。
耳をつんざくのは、幾重にも重なる爆発音と、EBEの咆哮だけ──。
そして今、鼻をつくのは、肉の焦げた異臭と、硝煙の刺激臭だった。
五年前、東京のど真ん中に突如出現した巨大な門。
スカイタワーに匹敵する高さのその門には、重厚な扉と八つの鍵穴が刻まれていた。
そして今、最後の八つ目の鍵が回り、門がゆっくりと開かれつつある……。
高斗は、静かにフットペダルを踏み込んだ。
低く唸る駆動音とともに、青く輝くディスプレイの両側に、駅のホームが滑り込んでくる。
「アイナの話では……その門から現れるのが、アダム……EBEの親玉だと……」
(……ん? アイナちゃん?)
タカトの知るアイナは、聖人世界のトップアイドル。
タカト自身も、アイナ親衛隊の“補欠の補欠”を名乗る熱狂的なファンである。
だが、思い出す。──以前、“つながった”ときのことを。
(……たしか、あの時も、アイナちゃんに──)
それは、この記憶よりも、もっと昔のことだった。
高斗が“ガイア”(※顔が一堂礼っぽいデカ顔)を追ってビルの屋上へと駆け上がったとき──
そこで彼が再会したのは、まぎれもなく“あの”アイナだった。
だが、アイナの口から飛び出したのは──
「臭いんだよ!」
再会の喜びなど、微塵もない声。
そして、さらに容赦のない追撃が続く。
「触るな! お前からはアダムの匂いがするんだよ!」
そのまま高斗は、ビルの屋上から蹴り落とされたのだった。
(ていうか……あの高さから落ちて、生きてたのかよ、コイツ)
──そう、あの時。
地上では“赤虎”が膝をついていた。
人型装甲騎兵“白虎”のレッドカスタム──指揮官・敏子の機体である。
だがその“赤虎”は、ゲルゲの放った高出力サンレーザーをまともに浴び、胸部から上、装甲ごと吹き飛ばされていた。
砕けた外装、焦げた内部機構、炭化した支持フレーム。
パイロットブロックの装甲が削がれ、コクピットがむき出しになる。
火花が、断続的に散っていた。
管制ユニットは焦げ、パネルは亀裂を走り、主電源インジケーターは完全に消灯。
安全ベルトに吊られた敏子の体は、前のめりにうなだれ、ヘッドギアの隙間から、ぽたぽたと血を滴らせていた。
──その時だった。
空から、一つの影が降ってきた。
真っ逆さまに、こちらへ向かって。
敏子の目が、わずかに動く。
それが誰なのかを視認した瞬間──
「高斗……!」
彼女は咄嗟に操縦桿を握り、上体をコクピット前方へと乗り出した。
血に濡れた指先が、割れたコンソールに伸び──
バン!
拳がコンソールを叩いた。
「動いて! 赤虎……お願い、高斗を、救って!」
その瞬間だった。
完全に沈黙していた機体の内部で、何かがひっかかるように、かすかな反応を見せた。
・
・
・
bi……
beep……
……OS起動:非常モードでのブートシーケンスを開始します……
ノイズに覆われたモニターが、乱れた走査線の奥でゆっくりと像を結び始める。
焦げた配線の隙間から、バックアップ電源が駆動を開始し、切断寸前だった関節にわずかな通電が走る。
……OS:セーフモード動作確認中……
……血液認証:パイロットID “A-223 敏子” ……認証成功。
……機体損傷率:70%以上。戦闘続行不能。緊急手動モードへ移行します……
停止していた“赤虎”の胸部深くで、微かな命のような光が脈打った。
『再起動完了』
その瞬間、敏子はフットペダルを思いきり踏み込んだ!
「いっけぇぇぇぇぇぇ! 赤虎ぉぉぉぉぉぉおお!」
爆音とともに、“赤虎”がパーツを撒き散らしながら加速する!
それはまるで──
融合加工における“開血解放”のようにも、能力の異常解放のようにも見えた。
──だが、そんなことを悠長に思い出している暇はない。
高斗の前方ディスプレイに映る、その映像がおかしい。
非常事態だ。一般市民がいないのは当然として、自衛隊の補給班も警戒部隊も……誰一人、いない。
――妙だ……ここは第一線だぞ。最低限の警備すら見えないなんて。
瞬時にモードを切り替える。赤外線、サーモ、暗視、望遠。
しかし、どのチャンネルにも、人影は映らない。まるで、都市の心臓が静かに止まったかのようだ。
だが。
“それ”は、静止した風景の中に紛れていた。
左端――ディスプレイの片隅で、何かが“ガクン”と揺れた。
落ちた広告看板が、風にあおられてカラン……と鳴る。
──いや、看板じゃない。
そのすぐ横に立っていた白虎の機体だ。
――……動いた? いや、錯覚か……。
否。
もう一度、今度は明確に──その人型装甲騎兵が“膝を抜いた”。
膝関節が異様にねじれた角度で沈む。反応遅延か、操縦ミスか、それとも──。
ゆっくりと、ガタついた足回りで立ち上がる白虎。パイロットが操作しているにしては、挙動が不自然すぎる。脚のロール軸が逆方向にスライドし、サーボの制御が明らかに“遅れて”追随していた。
――なんだ……この動き……制御系が死んでるのか?
だが、それにしては動く。
関節がギリギリと軋む音を拾う。肩のアクチュエータが変なタイミングで跳ねる。
右腕が、機械的でない“ねじれ方”で持ち上がり──まるで、筋肉のない死体が無理に動かされているような──
「ッ、撃つ気か……!」
高斗は即座に操縦桿を引き、ペダルを蹴り込んだ。玄武が左へ跳ぶ。
直後、白虎の腕が動いた。
銃のようなものを、しかしこちらを“見ることもなく”、ただの慣性のように──向けてきた。
ガガガガガガッ!
銃火が走る。火線。鋼の雨。
センサーが悲鳴を上げる。視界の端がチカつく。高斗の玄武は側面をすり抜けるように回避しつつ、敵機の動きをモニタリングする。
――おかしい、絶対おかしい。人間の動きじゃない。反応速度が合ってない……目的が感じられねえ。
だが、それでも動いている。いや、動かされている。
その異様な動きが、周囲の他の白虎にも波及する。
今度は2機、3機、4機──次々に、同じような“妙な動き”を見せ始める。
同じ機体。だが、動きだけが異常だった。
脚部がぎこちなくねじれ、肩の制御がわずかに遅れる。挙動に、“ズレ”がある。
――まるで、操縦を“誰か”が模倣しているみたいだ……
ならば、あの中にいるべき仲間は、どこへ消えた?
嫌な予感が、頭の奥をかすめる。
――ならば、確かめるのみ!




