その頃、ミズイは
その頃、小門の外──
美魔女へと姿を戻したミズイは、大きな岩に腰を下ろしていた。
老婆のときにまとっていたローブは、艶やかな肢体にはあまりに窮屈だった。
張りのある胸が布地を押し上げ、くびれた腰と豊かなヒップに引っ張られた裾は乱れ、太腿が大胆にあらわになっている。
だが、当の本人はそんな姿に頓着する様子もなく、膝を立てて腕を軽く乗せたまま、ぼんやりと空を仰いでいた。
青く澄んだ空に、白い雲がゆっくりと流れていく。
どこかで鳥がさえずり、柔らかな風が木々の梢を撫でて通り過ぎていった。
時間の流れが少しだけ緩んだような、静かな午後。
風に乗って、ミズイのピンク色の髪がふわりと舞う。
彼女はそれを指先ですくい上げ、ゆっくりとかきあげた。
その仕草には、年齢の影すら感じさせない、しなやかな色気が宿っている。
そして、ぽつりと──それは独り言というには少しばかり声が乗っていた。
「……あ。あいつらに、珍毛のこと伝えるの、忘れてたわwwww」
まるで本当にどうでもいいといった顔つきで。
けれど、思い出してしまったものは仕方がない。
そう、小門を少し進んだ先には、男に対して強烈な敵意を持つ魔物──「珍毛」が巣食っていたのだ。
それをタカトたちに伝えるのを、ミズイはうっかり忘れていた。
ミズイ自身は何度も小門を通っている。
老婆の姿であっても「女」は「女」。珍毛には無害とみなされ、襲われることはなかった。
だが、タカトもオオボラも、れっきとした「男」である。
もし、あの好戦的な珍毛に見つかってしまえば──
……背筋に、ほんのわずかな悪寒が走った。
けれど、次の瞬間には肩をすくめ、くすっと笑っていた。
――まあ、あのタカトなら大丈夫じゃろ。
あのダンクロール(♀)を倒せたくらいなんじゃから。
あの魔物──ダンクロールは、ミズイがかつて、ベッツたち不良どもへの復讐のために魔人世界から鶏蜘蛛(♀)を連れてきたとき、小門を通って聖人世界へついてきた個体だろう。
──まったく、余計なもんまでついてきおって……
と、今さらながら自分の詰めの甘さを思い出して、ミズイは小さく舌打ちした。
あれも雌だったから、小門のセキュリティ──男だけを弾く珍毛のスクリーニングには引っかからなかったのだろう。
だが、それに気づいたときには、もう後の祭り。老婆の姿のミズイでは討伐できようもなかった。
それほどまでに大きな個体、強かったのだ。
とはいえ、最初は「まあええわ」と思っていた。どうせ勝手にどこかへ行ってくれるじゃろう、と。
人間たちがどうなろうと、ミズイには関係ない。自分が長く生き延びるための邪魔さえしなければ、それでよかった。
──なのに、よりによって小門のすぐ近くに居座りおって……。
このあたりはベロベロチューリップやレディカーネーションなんかの魔草花が群生していた。しかも、森の小動物も多い。つまり、餌には困らない場所だったのだ。
それでも、ダンクロールは、神であるミズイに対しても容赦なく牙をむいた。
老婆の姿であるミズイは、もはや彼女にとってただの餌でしかなかった。
──おかげで長いこと、小門に近づくこともできなかった。あれはほんまに厄介なヤツじゃった……。
しかし、タカトがあれを倒してくれたおかげで、再びこの場所に立てるようになったのだ。
──あの子の持つ生気は底が知れん……いや、あの子の中に巣くう別の何かのせいなのか。
というか……なぜミズイは、それほどまでにこの小門に執着しているのだろうか?
あるいは、この門に、彼女だけが知る因縁でもあるのだろうか?
──あれは、もう、何十年も前のことだったじゃろうか……。
岩の上で風に吹かれながら、ミズイはふと目を細める。
まるで、霧が晴れるように。
遠い、遠い昔の記憶が、少しずつよみがえってくる。
鑑定の神であるミズイは、かつてこの場所とは違う、しかしどこか似た雰囲気を持つ森の奥深くに身を潜めていた。
人目を避け、静かにひっそりと暮らしていたのだ。
神とは、生気を失えばやがて荒神と化す存在。
だが、自分のことしか考えない人間たちにとって、そんなことはどうでもよかった。
見つかれば、神の恩恵を求めて群がり、やがては追い立てられる。
けれど──
神の恩恵とは、そう簡単に与えられるものではない。
というのも、恩恵の授与は神の生気を著しく消耗させる。
つまり、神は自らの命を削って、人に恵みを与えているのだ。
ゆえに、神が与える恩恵には、重い覚悟と代償が伴う。
それでも、求める者は後を絶たず、与える側ばかりが消耗していく。
だが──
たとえ何も与えずとも、神の命は削られていく。
生きている限り、生気は静かに、確実に減ってゆくのだ。
──それが、「生きる」ということ。
そんな生気の枯渇を防ぐため、ミズイたちは森の動物たちから、ほんのわずかずつ生気を分けてもらいながら、慎ましく暮らしていた。
けれど、寂しさはなかった。
なぜなら、当時ミズイには、マリアナとアリューシャという二人の女神がいたからだ。
三人は寄り添うように、この森の中で仲良く暮らしていた。
物質的には満たされなかったかもしれない。
それでも彼女たちは、三人で力を合わせ、日々を懸命に生きていた。
笑い合い、喧嘩をしては、すぐに仲直り──
手を取り合い、支え合いながら、静かに、確かに──生きていた。
──それで、よかった。
それだけで、本当に……よかったのに……。
――だけど……
ミズイが街へ、命の石を買いに出かけていた、ほんのわずかなあいだのことだった。
一番年下のアリューシャが──忽然と姿を消したのだ。
理由も、手がかりも、何も残されていなかった。
そして、その直後。
二番目のマリアナも、妹を探しに行くと、何も告げぬまま森を出て……そのまま帰ってはこなかった。
ミズイは、二人を懸命に探した。
神の力たる〈鑑定〉のスキルを使っても、二人の存在は空虚のまま。
──ならば、この眼で探すしかない……
森の中を駆けまわり、大声で名前を呼んだ。
「アリューシャ! マリアナぁ!」
その声は、風にちぎれて、森に吸い込まれていった。
乱れたピンクの髪には、枝や葉が絡まり、泥と汗で頬は濡れていた。
生気を吸収することすら忘れ、ただ無我夢中で探し続けた。
──あの時、目を離さなければ……




