聖書
いまだにビン子のケツの前で、カリ頭を垂れたままのハナゲの触手。
──こいつ、女にうつつを抜かしやがって!
タカトもオオボラも、たぶん同じことを思っていた。
というのも、この二人──どうにも女に縁がなかったのだ。
え? ビン子は? コウエンは?
まあ確かに女ではある。だが……問題はそこじゃない。
怒らせたらメスゴリラ化するような女たちは、どうしても“性”の対象には見られなかったのだ。
いやマジで、あれはちょっと違う……。
なのにこの触手ときたら──
女と見れば、種族も問わず即ロックオン。
まさに見境なしのドスケベ変態野郎である。
──腹立つわ。
とはいえ、無防備に近づけば今度は自分たちが狙われる気がした。
下手を打てば、あのカリ頭がこちらに向く……そんな予感が、二人を動けなくさせていた。
――さてさて……どうするか……
オオボラが真剣な面持ちで考え込んでいると、隣でタカトがパッと顔を上げた。
「……あっ! 思い出した! オオボラ、ビン子のカバンの中に“聖書”が入ってる! それを取ってくれ!」
「……聖書?」
もちろん、この聖人世界にキリスト教なんてものは存在しない。
強いて言えば、“異世界におけるありがたい本”といったところか。
本来はイエスの教えに基づく悪魔祓いの儀式用の書──らしいが……目の前にいる珍毛や万毛は、あくまで“魔物”であって、悪魔じゃない。
そんな連中に聖書が効くって……それ、マジかよ。
――いやいやいや。
オオボラは、いかにも納得いかねえという顔をしていた。
だが、ほかに手がないのも事実である。
仕方なく、そっとタカトのそばに近づき、背中のビン子のカバンに手を突っ込んだ。
……が、すぐに手が止まる。
中身は……カオスの詰め合わせ。
まるでカバンの中は、ガラクタの宝石箱や~!(グルメリポーター・彦摩呂風www)
「なんだこれwww」
手探りで引っ張り出したのは──
アイドルの切り抜き写真が貼られた、一枚のうちわだった。
裏面には、なぜか蝦夷アワビの写真がでかでかと貼られている。
──これは一体、どういう意味だ……?
頭を抱えかけたオオボラだったが、
「もしかして、柄の部分を持ってグリグリ回すと──無修正画像になるとかか!?」
ギクリッとするタカト。
──なんでわかった⁉
だがオオボラに知られたら……コウエンやガンエンにチクられる可能性がある。
特に、ガンエンなどは……
『タカトや……お前、こんなんでカリ頭を慰めておるのか……』
などと、目頭を覆いかねない。
──それだけは、絶対に避けなければならない!
焦ったタカトは、あわてて叫んだ。
「違ぇよそれ! それは“スカートまくりま扇”だっつの! 聖書! 本! 本のほう取れ!!」
──そうか……本、か。
再びカバンの奥へと手を伸ばすオオボラ。
なまめかしいポーズをとるバニーガールのフィギュアをかき分けた先、ようやく一冊の本が指先に引っかかった。
「これ……だな?」
引っ張り出したその本は──
どう見ても、聖書には見えなかった。
表紙に刻まれたタイトルは……
『アイナと縄跳び』
そう、タカトが以前なくしたと嘆いていた、伝説のグラビア写真集のひとつ。
この国一のトップアイドル「アイナちゃん」が、ブルマ姿で縄跳びをしているという──一見すると健全で微笑ましい内容。
その健全さゆえ、一時は全国の学校図書館にも並べられたほどだ。
……だが、
ページをめくるごとに、“縄跳び”は暴走していく。
アイナちゃんのドジと共に、縄は絡まり、引っかかり、ほどけ、巻きつき……
やがてその縄は、何かに目覚めたかのように、どんどんいやらしく、彼女の体へと食い込んでいく。
そして──
最終ページには、亀甲縛りにされたアイナちゃんの悩殺スマイル!
……もはや説明は不要だろう。
これは“聖書”ではない。
だが、マニアの間ではこう呼ばれている。
神が地上に遺した、“性の書”──
すなわち、“性書”。
そして、めでたく教育委員会によって
「不健全図書」の烙印を押された、栄光の問題作である。
……まぁ、今はそんなこと、どうでもいい。
というのも、どうやら、少々騒ぎすぎたらしい。
さっきまでビン子に頭を垂れていたカリ頭が──今、こちらを向いている。
目は無いはずなのに、まるで何かが自分の奥底まで見透かすような、ぞっとする視線を感じた。
背筋を冷たいものが一気に走り抜け、体の芯から凍りつく思いだった。
──ヤバい!
二人同時に、息を詰めた。心臓が鼓膜の裏で鳴っている。
ドクン! ドクン!
――動くな、オオボラ……!
タカトは視線だけで、そっと合図を送る。口は、動かせない。今、一音でも発したら……その瞬間、奴ははぜる。
オオボラも察していた。
――わかってる……ここで動いたら、終わる……
音を殺し、気配を絞り、まるで空気の一部になろうとする。
だが、それでも伝わってくる。カリ頭からの“何か”が。
──“視られている”……明らかに。
オオボラはそろりそろりと、一歩、また一歩と距離を取る。
しかし、もはや距離の問題ではなかった。
奴との間合いは手を伸ばせば届く範囲。
いや──もはや空気ごと、奴の射程だ。
オオボラのこめかみを、汗が伝う。
熱い。痛い。肌の上を焼きつけるような恐怖の滴。
やがて、その汗が──
ポタリ。
地面に落ちた。
その瞬間だった。
カリ頭が、ピクリ、と反応する。
確かにオオボラの動きを“捉えた”──そんな直感が、脊髄を撃ち抜いた。
カリ頭が、ゆっくりと向きを変える。
頭の先端から、ねっとりとした液体がボタボタと垂れている。
それはただの生理現象なのか、警戒のサインなのか、あるいは──喜びなのか。
じり……じり……と前進する。
無音で、だが確実に、オオボラへ向かっている。
オオボラの全身が凍りつく。
皮膚は粟立ち、背骨がきしみ、内臓が締め上げられる。
──終わったか……
その思考さえ、頭の表面をなぞるようにしか浮かばない。
だが──
飛びかかってこない。
なぜだ?
殺気はある。視線もある。射程も十分。
それでも、奴は“まだ”動かない。
……それが逆に、たまらなく怖かった。




