タカトの眠気
オオボラの背を追い、洞穴を進むタカト。
背中では、相変わらずビン子がすやすやと眠っている。
──おい、こいつ、いい加減にしろよ……
イライラとした感情が、じわじわと胸に湧いてくる。
それもそのはずだった。タカトは、自分の視界が徐々にぼやけていくのを感じていたのだ。
目は開いているはずなのに、景色の輪郭が、どこか曖昧になっていく。
──なんか……目の奥が痛ぇ……
足を動かしているはずなのに、意識が身体に追いつかない。
まるで眠気の底に引きずりこまれるように、ふらりふらりと重心が揺れる。
「……うおっと」
ビン子を落としかけ、慌てて背を正す。
上を向いて目を見開き、何とか眠気を追い払おうとするが、それでもまぶたは勝手に降りてくる。
──いつから、こんなに眠かったんだ……?
思い返せば、すでに洞窟に入る前から、眠気は忍び寄っていた。
本当は、木の上で少しだけでも横になりたかったのだ。
だが、それを冗談めかして口にしてみても、オオボラは鼻で笑っただけだった。
いや、冗談に聞こえたのかもしれない。……だが、あれは本気だった。
──でも、朝は普通に元気だったよな。
別に寝不足ってわけでもなかったし。
なのに、どうしてこんなに、体が重い……?
そう考えたとき、脳裏によぎったのは──あの瞬間だった。
ミズイが、あのシワッシワの唇(※この時点ではまだババア)を、俺の首筋にぐいっと寄せてきた、あのとき。
──グワッと、何かを持っていかれるような感覚。
……あれからだ。おかしくなったのは。
タカト自身は、まだ気づいていない。
だが──あれは間違いなく、生気を吸われた証だ。
生気。それは、命を動かす源──燃えるような、生きる力そのもの。
あの時、ミズイはババアから美魔女へと若返った。
それは、タカトの生気が彼女に移った証拠でもある。
しかも、相手は神。
神が喰らう生気の量は、人間が扱える範囲をとうに超えている。
もし相手がタカトでなければ──
そう、これが普通の人間なら、その瞬間に干からびて、ミイラになっていたかもしれない。
だが、タカトは、かろうじて生き延びていた。
けれど、奪われた生気の痕はまだ癒えず、今も静かに身体を蝕ばみ続けている。
眠気はその最もわかりやすい兆候だった。
それは、生きる力が、ゆっくりと尽きていくという──静かな警告。
そんな時だった。
前を歩くオオボラの動きが、ぴたりと止まる。
そして腕を伸ばし、タカトの胸を押さえて静かに制止した。
……だが、睡魔に侵されたタカトの反応は一拍遅れる。
制止された意味すら、すぐには理解できなかった。
「どうした、オオボラ……」
あくびを噛み殺しながら、ぼんやりと問いかける。
その声に応じて、オオボラが低くつぶやいた。
「……タカト、動くな」
松明の明かりが、ゆっくりと左右へ振られる。
湿った岩肌に、ぼんやりと浮かび上がるものがあった。
──何かが、うごめいている。
モフモフした塊のようなものが、壁一面に……数十匹。いや、それ以上か……
──というか……もふもふ……?
次の瞬間、そのうちの一体がタカトの頭上から落下してきた。
オオボラが即座に反応し、反射的に鉈を振るう。
一閃──落下したそれが岩肌に叩きつけられ、ずるりと滑り落ちた。
「……こいつは!」
その姿を見て、タカトの目が見開かれる。
そう、タカトは知っていた。こう見えても、魔物の知識にはちょっとうるさい。
「これは……『万毛』だな……」
体はヤスデのように細長く、脚の代わりに無数の毛。
もふもふしているようで、実際はおぞましい。
毒こそないが──問題は、その体臭。
腐ったヨーグルトを煮詰めたような悪臭を、常に撒き散らしている。
噛まれても致命傷にはならないが、万が一人魔症を発症すれば命取りだ。
「オオボラ、こいつは平気! 制圧指標1だ。俺でも勝てるwww」
……しかし、タカトはすぐに嫌な予感を覚えた。
『万毛』はムカデと同じで、雌雄で行動する。
一匹見たら、もう一匹──いや、もっとヤバい奴がいる。
「オオボラ、気をつけろ……」
「ん?」
「こいつらが群れてるってことは──近くに『珍毛』がいる!」
「なにっ、『珍毛』だと!?」
そう、『万毛』はメス。
そして、『珍毛』はオスだ。
「しかも、この数の『万毛』を連れてるってことは──かなりデカい個体のはずだ」
『珍毛』は一夫多妻制。
多数の『万毛』を従えて移動する。つまり、王のような存在。
さらに厄介なのは──やつが一本の“触手”を持っていることだ。
その触手は、鞭のようにしなり、最大速度は音速を超える。
しかも、表面には毒。少しでも触れれば、ただでは済まない。
そしてここは、狭くて逃げ場のない洞窟の中。
そんな化け物に襲われたら──冗談抜きで詰む。
「よけろ!」
オオボラの怒声と同時に、タカトの頭が強引に押さえつけられる。
次の瞬間──
背後の岩肌が爆ぜるように砕け散った!
ヒュンッ、ヒュンッ……
暗闇の奥から、風を切る鋭い音がこだまする。
「オオボラ……奥にいる。『珍毛』(制圧指標23)だ……」
「なあ……タカト、その名前、どうにかならないのか」
松明を振りかざしつつ、オオボラがぼそりとツッコむ。
こんな状況でネーミングに文句をつけるあたり、余裕なのか、それとも緊張の裏返しか。
「そんなの俺に言うなよ。名付けたの俺じゃねぇし」
タカトの反論は、至極まっとうである。
だって──名前をつけたのは、何を隠そう……
作者だwwww




