ゴールのその先どうするの?
春のうららかな日だった。
私は馬車に揺られながら、婚約式の為、王宮へ向かう。
お相手は王子様。既に何度か会っている。
美しい王子様には、不思議な噂があった。
王子様は生まれてすぐ悪い妖精に拐われたが、幼少期に無事見つかり今に至ると。
『チェンジリング』、取り替え子と呼ばれる妖精あるある昔話だ。美しい人の子と、醜い妖精の子が入れ替わるという。
でもそれなら、本物の王子様の代わりが何年か王宮にいた事になる。そうでなくとも王子様が行方不明なら騒ぎになると思うのに、そこらへんはあやふや。事件が起きた話はない。
要は、ただの噂話に過ぎない。
そんな風な噂が流れるほど王子様が美しいからかなと思った。
王様と王子様が不仲なのは有名だ。王様が王子様を厭うのだ。そんな王子様を公爵である父が陰日向になり支えてきた。と、くるからには私達の婚約は当然であった。
奥ゆかしい王子様は、会うたび何か話したそうにする。でもいくら促しても、悲しいような笑顔を作りそのまま黙する。
本当は…本当は王子様は私と結婚したいわけじゃないんだ。
本当はずっとそれを言いたかったんだ。
察しの悪い私でも漸く気付いた。
脇に置いた風鈴草の小さな花束が揺れる。
特に意味はなかった。あるいは大好きな花を贈れば喜んでくれるかなと。笑って欲しかった。
王子様の気持ちに気付いた今となっては本当に意味のない花となったけど。
ぼんやり物思いに耽りながら窓に目をやる。
ふと、森の中の何かと目が合う。
それは引き付けられるような緑の瞳――――
「…あっ」
一瞬の事で風景はすぐに変わる。あるいは何かの見間違いかもしれない。
それなのに、不思議と胸がドキドキする。
窓に乗りだし後ろを振り向くが、もう確認はできなかった。
なんでこんなにドキドキするの?
意味不明のときめきに私は恐れおののき、そして…期待した。
期待?何を?
わからない。
途中の給水場でもチラチラ後ろを窺っては従者に不思議がられる。
でも説明しようがない。本当のところ自分でもよくわからない。私は誤魔化すように周囲に微笑んでみせた。
でもそれは何か予感めいていて。
給水場で一休みし、再び王宮へと馬車が動き出す。
と、その時、急に人が飛び出した。
「!!」
馭者が叫ぶ。馬が悲鳴と共に後ろ足で立ち上がる。馬車は大いに傾き、私も倒れ込んだ。
間一髪だった。
咄嗟に馭者が脇に避けたおかげで、なんとか牽かずに済んだ…ようだ。
私は体勢を立て直すと急いで馬車を降りる。被害がないか現場を確かめないと。
そこには、同い年か少し上の黒髪の少年が倒れていた。
彼の余りの美しさに束の間私は言葉を失う。
それは…その為に作られたかのように美しい彫像のよう。
端正な顔に一点左目元の泣きボクロが艶めいて。
…気絶してる?少年は動かない。少し馬に掛かってしまっただろうか。
心配して近付き体に触れようとする手を、しかし狙っていたかのようにグイと掴まれた。
目を開けたその瞳は緑色。
惹き付けられるようにしばし見つめ合う。そうしてだいぶ経ってから不躾だったと気付く。
私は慌てて目を反らす。
とにかくまず無事を確かめねば。
「だ…大丈夫ですか?何処か痛みは…」
少年は躊躇なく私を見つめ答える。
「…何処か痛いと言ったら、貴方は何かしてくれますか?」
予想外の反応に私は目を見開いた。彼は真っ直ぐ私を見つめる。
「…何をして欲しいの?」
純粋に興味が沸いて尋ねた。
彼は即答する。
「結婚しないで欲しい」
えええっ?!
私は勿論、周りも大いに驚きどよめく。
「誰かのものにならないで。それだけで良いから」
今から婚約しようとする私に?
「それって、私が修道院にでも入れという事?」
彼は少し驚き、そして笑んだ。
それは柔らかい微笑み。
端正な顔立ちだからだろうか。一目見て幸せな気持ちになる。
心が驚くほど舞い上がる。
何故だか彼の笑顔が堪らなく嬉しくて、切ない気持ちになった。
「…君がそう言ったあの時、とても嬉しかった」
あの時?
彼の笑顔は何かを懐かしむ表情に変わる。
「無意識に僕以外は選ばないと言ってくれたようで…本当に」
懐かしそうな顔は悲しそうなそれに変わり、笑顔が消える。
それがとても悲しかった。
…笑って欲しいな。
ふと私は思い付く。
そうだ!
私は握られた手を振りほどき馬車へ戻る。そして中から小さな花束を取り出すと再び彼の元に戻った。
束の間傷付いたような顔をした少年は、花束を手に戻ってきた私を見て驚きの表情へと変わった。
「これをあげる」
私は少し年上の少年に花束を差し出した。
彼は、予想に反して固まったように動かない。
男の子に花なんて変?でもとても悲しそうだったから。
もう一度笑って欲しかった。
「風鈴草という花よ。私の大好きな花。これをあげるから元気出して」
突き出す私に彼は固まり続ける。
もしかして怒った?ふいに私は不安になる。突き出した手が所在なくなり少しずつ下がっていく。
彼は少し俯き呟いた。
「…僕のいた所では、婚約の儀に女から男へ花束を贈るんだ」
…え?えええ?
今度は私が固まる。じゃあこれは、私から貴方へプロポーズしてるという事に…。
年上の少年は恐る恐る手を差し伸べると、花ごと私を引き寄せた。
「………っ!」
途端に温かくなる体温が私の頬を染める。
とんでもない展開なのに何故かとても嬉しい。
明らかに彼の言動はおかしいのに。
嬉しい。貴方に会えて、大好きな風鈴草を渡せて、抱き締められて本当に嬉しい。
とても切なく、幸せな気持ち。
花ごと抱き寄せる貴方に、私もそっと花ごと抱き返す。
周りが上へ下への大騒ぎになっているがどうでも良かった。
ああでもこのままだと花が傷んでしまう。
「ねえ」
花を庇うようにして私は見上げた。彼も少しだけ腕をほどく。
「風鈴草の花言葉、知ってる?」
「…花言葉…?」
場違いな問いかけに、貴方は戸惑う顔をする。私は続ける。
「不変、そして感謝。それから誠実、共感、思いを告げる、沢山あるの。まるでこの小さな花1つ1つがそれぞれ違うように…」
話し始めたものの終着点をどうするか考えてなかった。何を言いたいんだろう私。
「…私がプロポーズして、貴方がもし受けてくれたとして、それからどうなるの?」
貴方は目を丸くした。
「『二人はいつまでも幸せに暮らしました』の後よ。ねえ貴方は何がしたい?きっとその先を思い描けないと、幸せな結末でも、不幸な結末でも、そこで終わってしまうんだわ」
この話の終着点はどこなんだろう?
「とりあえず、今から先はどうするの?私は…」
考え込む。貴方も目を伏せ少し考える仕草をした。
「…一緒に王宮へ乗り込む。そして全てを暴露し僕の権利を得て、正式に君を妻とする」
今度は私が目を丸くする番だった。
暴露?権利?…つつ妻っ?!
「本当はここで君を拐って駆け落ちしようと思ってた。ここで出会うのは初めてだけど、きっと好きになってくれるだろうと確信して。でもこれではまた破滅かもしれない」
ここでは初めてって?前に何処かで会ってるの?
「ここでの僕の出自は前と同じだった。王は先王の子を厭い、実在しない息子を見繕った」
いきなりとんでもない告解に、頭を殴られたような気がした。
実在しない息子?見繕うって。
まるで貴方が一時、偽の王子様だったような。
「前世の僕は全てがどうでも良かった。仕組まれた偽の王子と不遇の王子。殺される目的の婚約。人は簡単に不幸になる。ならどうとでも、と。それなのに、君は嬉しそうに花束を抱えて僕の前に現れた。あの時から僕は…」
貴方が遠い目をする。なんだろう、不思議で少し悲しい話。
「王子の居場所は前世で把握していた。だから今世はチェンジリングの伝説を利用して幼い内に入れ替わった」
「…え?」
あの噂は本当だったの?つまり幼少期に王子様と貴方が?
人の子と妖精の子のように入れ替わり…。
「この世界は前と少し違う。お父上が何かなさったのだろう。ならばお父上に直談判が一番確実だ」
前?この世界?話についていけなくなる。
貴方は自嘲するように顔を歪めた。
「もし君が…今も…このおかしな話をする僕を受け入れてくれるならだけど」
貴方が私を見つめる。
それは熱の籠った、だけど迷うような。
正直今の話は全然よくわからない。
だけど。
私はもう一度考え込んだ。
「私は……一緒にいたい」
貴方の息を飲む音が聞こえる。
「そして…そうしたら、貴方と遊んでみたい」
「遊んでみたい?」
貴方は怪訝な表情を浮かべる。私は続ける。
「そう、ゲームとか。一緒に花を育てるとか」
「…どっちも既にやってる」
「そうなの?じゃあ一緒に冒険とか」
「近いことは」
そうなんだ!覚えがないけどなんだか凄い!
「じゃあじゃあしてない事でしたい事って?」
途端に貴方は顔を赤くした。
「?」
「結婚…もした。でも…夫婦…には一度もなってない…というか」
謎かけ?結婚したけど夫婦ではない。
「よくわからないけど、それならそれをしましょう」
「!!」
「せっかくだから徹底的にしましょう。何か必要なものはある?わからないけど楽しみっ」
「…徹底的って…道具とか…そこまでハードなのは君がもたないかと」
「いやいや、やるからには全力で。お父様にも聞いてみましょう。さあ」
顔を赤くしたり青くしたりする貴方が楽しくて、後半悪ノリした気はする。でもなんだかとても楽しい。
「行こう」
手を差し伸べる私に彼はハッとして、それからクスクス笑い始めた。
「また君にやられた。…仕返しはするからね」
一瞬悪い顔をすると差し伸べた私の手を握る。束の間背筋がゾッとしたが、なんだか幸せな気持ちで一杯だからいいや。
従者達が顔を白黒させる中、私達を乗せた馬車は王宮へと向かった。ワクワク気分を一杯乗せて。
***
なんやかんやで私達は結婚した。
まさか父が即諾するとは思わなかった。
道中いかに父を説き伏せるか彼と相談してたのに、事情を話すより先に一目でOK出されて大いに肩透かしを食らった。
父からOKが出た以上、王様や王子様を説き伏せるなどお茶の子だった。
むしろ王子様に心から祝福された。王子様の本物の笑顔を初めて見た。奥ゆかしく優しい笑顔だった。
と、言うわけで結婚そのものは何の抵抗もなく即実行できた。しかし擦り合わせの協議が難航した。主に彼一人の抵抗により。
それは王子様との婚約の破談について。
今になって私に結婚に関して重大な瑕疵があったとし、王子様と破談となった、詳細は伏せるが、というよくある感じに。そして彼は瑕疵ある私を押し付けられ結婚、体裁を取る為に爵位の末席を与えられると。
彼は私が貶められる形を嫌がった。しかし私含めその他がそれでいこうという事で彼の意見を捻り潰した。
それどころか父が彼に発破をかけた。いわく破談になる位の事をしろと。何故か王子様も是非ともお子をとか尻馬に乗った。自棄になった王様からも、夏の離宮を1ヶ月間貸し出すから結果を出せと彼に詰め寄った。
何か、何かがおかしい気がするが、要は猛烈に祝福されて王宮を後にした。
行きと帰りがここまで違うとは。でも、何故かさっきから苦虫を潰したような彼の顔を見る帰り道がとてつもなく楽しい。
「なんか徹底的にできそう」
「?!」
彼の望む通りになりそうで、気楽に声を掛けたらずり落ちるように彼が反応した。
「姫は…何を徹底的かわかってる?」
「それはやっぱりイチャイチャ」
「イチャイチャと…何をするか知ってる?」
「それはやっぱり雄しべと雌しべが…」
言い掛けた口を押さえられる。
「わかった…わかっから」
貴方はあり得ないほど真っ赤になっていた。
「ここですっとぼけたら動物を持ち出して説明するつもりだろう。一周回って君が『天然』だと思い知った。かえって好きになって僕がもたない…もうやめてくれ」
余計好きになって、もたないだなんて!
なんだか凄い告白された気分。
私もようやっと気恥ずかしくなって、一旦黙った。
植物の雄しべと雌しべが動物だとどうなるかよくわからないけど、貴方が白旗上げたのはわかった。かなり満足。
…満足だけど。
「…貴方の話だと、私と何回も会ってるみたい」
「…そうだね。何回も会った。今より幼い君、大人の君、老境の君と会った」
「誰とが一番楽しかった?」
貴方は驚いた顔をした。
「……わからない…」
理不尽極まりない貴方の話に突っ込んだだけなのに、予想外に深く貴方は悩む。
「一番小悪魔なのは幼い君だった。拒絶されたかと思えば何処までも追いかけてきて、告白も熱烈で。一番清廉だったのは老境の君。いつも優しく悲しげな顔をしていて、笑っていて欲しかった。大人の君は一番甘えん坊でワガママで無鉄砲で。最後の君は最初の君で…」
「本当に全部私なの?」
「…うん。もしかしたら僕の妄想かもしれない」
真っ向からの疑問を貴方はあっさり受け入れた。
馬車が揺れる。よろめいた私を貴方が受け止める。
なんだか抱き締められた格好になる。
この馬車は屋敷には戻らず、そのまま離宮へ行く事となってる。
―――先に新婚生活始めてしまえ。その間に式の用意するから―――
父の張り切りと王様の自棄っぱち具合は怖いようだった。
貴方にあげた風鈴草の花束は、さほど水を必要としない花の習性か瑞々しさを保っている。
束の間無言となった。
行きで出会った貴方は普通に庶民な格好だったのに、帰りは王子様から頂いた衣装で、どこぞの貴公子然としているからかもしれない。
ほのかな花の香りと、若草の匂い。その間にもう1つの香り。
貴方の、香り。
なんとなく気恥ずかしくなった私は、新婚生活とは具体的にどうなるか相談しようと―――
「…水が欲しい」
掠れるように貴方の声が上から聞こえた。
「…水?」
少し手を解き貴方を覗く。
貴方は少し困ったように笑った。
「喉が渇いて…もらえるかな?」
給水場は先程通った。コップに水を注ごうとする私に貴方は注文を付ける。
「揺れるから溢れないように欲しいんだ」
「?」
「言うとおりにしてくれたら嬉しい。君が少し水を口に含んで」
飲みたいのは私じゃなくて貴方なのに?
訳がわからないまま指示された通りにして貴方の方を向く。
「うん。少し上を向いて口を開けて」
さらにわからない。が、これでは喋れない。
困惑したまま上を向く。溢れないように恐る恐るつぐんだ口を開こうとする私に貴方の顔が近づいた。
そのまま口を唇ごと…噛まれる。
どころか噛まれ吸われ侵入され―――かなりディープな…これはキスだ。
あれこれ戦いようやく離された時には、私はゼエゼエ肩で息する茹でタコになっていた。
「………っ!合意ないのはダメッ絶っっ対っ!!」
「仕返しすると言ったよ?」
「~~~~っ!!」
言葉で苛めたら行動でお返しって絶対おかしい!
「これから徹底的に楽しむなら、この位で根を上げてはもたないよ?」
これは確信犯だ!私がおののくってわかっててやってる!
もうっ!もうもう!
「…そっそこまで言うなら、絶対私を楽しませてよね!わー私生まれてきて良かったぁって思える位にね!」
それが具体的にはどんなだかさっぱりわからないけどね!
今度は彼が驚く番だった。言い返されるとは思わなかったらしい。
せっかくのエッチな雰囲気が冷めていく。
ふいに彼が笑った。
「君はもう…本当に」
たちまち緊張が解かれる。私は貴方の笑顔に弱い。
「本当に…君は思いがけない物言いをする。そしてそれは心地いい」
「それは…私もかも」
貴方は顔を上げる。私も見つめる。
再び顔がそっと近付いて。
青紫の小さな花束が何故か揺れた。
***
植物の雄しべと雌しべが人だとどうなるか、それは懇切丁寧に教えてもらった。むしろ容赦なかった。
昼も夜もなく徹底的に教えて頂いた結果、彼の予言通り早々に私はダウンした。『もたなかった』のだ。
その辺りで実地訓練は落ち着いた。
彼は、自分で挑んでおいて酷く私を心配した。優しい人ではある。押せ押せでもあるけど。
離宮に彼と暮らして1ヶ月になる頃、王宮から使者が来て、なんならそこを新居にやるとの王様のお達しをもらった。
なんだかトントン拍子過ぎて拍子抜けする。そう彼に言ったら彼はクスクス笑った。
彼の笑うツボが今一つわからない。わかったら1日笑わせちゃうのにな。
それを言ったらまた笑った。
彼は良く笑う。そうすると私はとても幸せな気分になる。
たま~に怒られるけどそれもご愛嬌だろう。
そうしてここで季節が巡った。
また春が来て、離宮に私の蒔いた風鈴草の花が咲き始めた。
彼は王子様の側近となった。
王子様の彼への信頼は絶大で、ちょくちょく王宮へ入り浸る事になる。
という事はこっちへ戻ってこなくなる。
さみしい。その上、私の知らないところで二人が仲良いのもなんだかムカムカする。
私より王子様が良いのだろうか。
心配なら私も王宮へ行けば良いのだろうだけど、最近調子が悪くてままならない。ならいっそ王子様がこちらへお越しになればいいんだ。
それを彼に言ったら嫌な顔をされた。
「どうして?王子様に会いたい?」
「会いたい。そもそも王子様と仲良くしてたの私だし」
元々は婚約しようとまでしてたわけだし。
「やっぱり王子様が美しいから?」
「?、確かにビックリするほど美しい方ね」
だけどソッチじゃなくて私が言いたいのは。
「やっぱり王子様が良い?」
「?、王子様は良い方だけど」
ソッチじゃなくて私が言いたいのは。
「じゃあやっぱり会わせない」
「どうしてそうなるの?!」
じゃあじゃあ貴方ばっかり王宮へ行って、私がさみしくなるじゃない!
「君が僕を好きなら王子様でなくてもいいはずだ」
「全然違う!」
え?という顔をする貴方に私は続ける。
「王子様の方に来て欲しいの!貴方じゃないの!貴方は行かなくて王子様が来てくれれば私は」
貴方とずっといられるじゃないか。
「絶対嫌だっ!」
「なんですって!?」
鋭い視線を投げ掛けられる。怒ってる証拠だ。でも私だって引かない!
「なんで阻止するの!なんで貴方ばっかり王子様といるの!」
「君が王子様の方を好きでも絶対渡さない」
「確かに王子様は好きだけ…ん?」
王子様の方を好きって??
「確かに彼は美しく優しく奥ゆかしい。でも渡さない」
「渡さないって」
王子様を私に渡さないって事?
「好きなんだろう?本当は薄々気付いてた。出会った時にくれた花束も本当は王子様宛てだったんだろう?でも渡さない。絶対会わせない」
「…えーと」
何かがお互い決定的に違うような…。
「…誰に、誰を、渡さないの?」
「…え?」
「私に、王子様を、渡さない?」
「…それだと僕が王子様に特別な感情を持ってるように聞こえるけど」
「…違うのね?」
…静かだ。今までの言い争いが嘘のように静かな空間だ。
「…王子様は良い方だし、貴方もやりがいあるんだろうとは、わかってるの。でもいないとさみしいの」
「…誰がいないとさみしい?」
「貴方」
再びの静かな空間。あ、なんか小鳥のさえずりが聞こえる。
「…王子様がこちらへいらっしゃれば、貴方もここにいるから、離れないで済むなって」
「誰と」
「貴方」
小鳥のさえずりって心をキレイにするなあ。あ、飛んでっちゃった。
「…貴方宛ての花束が欲しかったの?」
「…う」
そうなんだ。そういえば女から男へ花を贈る慣習があるって。バレンタインみたいなものだろうか。
「もうすぐ風鈴草が咲き揃うから待っててね。来年には他にも花をあげなきゃだから、貴方だけに贈るのは今年だけになりそうだけど」
弾かれたように貴方が顔を上げる。
ちょっと怖いけど、そろそろカミングしよう。
「調子悪いの落ち着いてきたの。多分秋頃、赤ちゃんが」
まず貴方は固まった。派手な反応を期待した私としては、動きが止まったままの貴方を眺め続けるのは肩透かしというか、不安になるというか。
それからゆっくりと表情が変わる。
目を見開いて驚いた表情。
そのまま再び固まるから不安になって声を掛けた。
「もしかして…嫌だった?」
すぐに返事がない。
暫くして漸く貴方の口がぎこちなく動き始める。
「…いや…考えも…しなかった…」
いやいやいやいや、沢山雄しべと雌しべの授業しましたよね?
何その想定外って顔。物凄くムカムカしてくる。
「…あのね」
怒りをぶつけようとして気付く。貴方は酷く複雑な顔をしていた。嬉しいような悲しいような。
「…あったんだ」
「あった…?」
「…『二人はいつまでも幸せに暮らしました』のその後…本当に…あったんだ」
ああ。
ちょうど1年前に私が話した。
自分でもよくわからない大事な話。
貴方は泣きそうな顔になる。何故か私も泣きそうな気持ちになる。
それは悲しいとは違う気持ち。
そっと貴方が私を抱き締める。
「……ありがとう…君を愛している」
見上げた貴方は今まで見た事のない表情を浮かべて。
それは嬉しいとも少し違って。
「…私も」
ありがとう。大好き。
愛している。
大切な気持ち。大切な思い。
私はそっと貴方の胸に顔を埋める。
幸せのその先も歩いていこう。
シャランという音はもう聞こえない。
私達を包む暖かい春風に、風鈴草の花は笑うようにただ揺れていた。