風鈴草はめぐり巡る
暗い。
ここは何処だろう。
王子様な彼と会う時間軸なはずだけど。
首が苦しい。息が苦しい。
手も足も酷く重い。
ふいに荒々しく視界の拘束が解かれる。
「…め、姫…っ!」
ぼんやりとしたした光の中、遠くから懐かしい声が聞こえる。
(王子様…)
「…………っ」
むぐむぐとした音しか出せない。
口が何か拘束されていて声にならない。
光が形を成してくる。
目の前にテーブルがある。そのテーブルの向こう側に、見知った人影があった。
艶めく黒髪、緑の瞳。そして左目元の泣きボクロ。端正な造形がさらに研ぎ澄まされている。彼は何故か緊迫した表情を浮かべていた。
ああ、王子様だ。
「……っ」
声にならない。私は…猿轡を噛まされている?さっきまで目隠しもされていた?首も、荒縄が掛かっているようで息苦しい。手足それぞれに重い枷がある。だが片手だけ、枷の不具合か辛うじて少し動かせる。抜け出せはしないけど。
テーブルの上の小袋はズタズタにされていて、黒い粒がそこかしこに散っている。
荒々しいチェックは受けたようだが、風鈴草の種自体は無事なようだ。
これなら、大好きな貴方に大好きな花の種をギリ贈れそう。
(これを…この風鈴草の種を)
「……………」
指差そうとして、止めた。
頭が漸く回りだした。
ここは、この時は、一番最初の、一番最後だ。
父は既に謀反を起こした後。
私は逆賊の娘として処刑直前。
王子様とほぼ意志疎通もできないこの面会のすぐ後、私は殺される。
ここで風鈴草の種を渡すと転生が起きてしまう。
だから、渡せない。
「……、………」
(貴方が、好きです)
漏れるのは不明瞭な音ばかり。
やっばり伝えられない。
ならもう微笑えもう。
そう思って改めて彼に顔を向けた。
王子様は私に強い視線を送っていた。
意外だった。絶望しているかと思った。
私と目が合うと、スッと視線を落とす。その視線の先に気付き、さらに驚く。
彼は、風鈴草の栞を手元に用意していたのだ。
知らなかった。この時も既に作って持ってたなんて。
わざと持ってきた?
その理由――――…
彼はもう一度私を見つめる。
私は。
私は。
もう一度、動かせる手で、なんとかテーブルを指した。
王子様は散乱する黒い粒を掬い、確かめるように私を見る。
「これは…」
私は、頷く。
もしかして物凄く間違ってるかもしれない。でも。
王子様は1つ息を吐くと周囲の監視者に先程の栞を差し出す。
「…姫に…これを渡してくれるだろうか」
訝しむ長らしき者に王子様は悲しげに目を臥せ、続ける。
「彼女の手に…それで僕は…諦められる…」
小さな栞を渡された長は、細工の無いか目を凝らし裏や表を撫で回す。だが栞はただの「押し花の栞」でしかない。
納得したのか、私の首に掛けられた縄がグイと後ろへ引っ張られる。
苦しくて起き上がった形になる私に王子様は一瞬険しい顔をする。
「ほらよ」
私の手の内に栞が押し込まれる。
と、王子様は急に立ち上がった。
「互いに身の内の物を交換した。これより私は姫を妻と宣誓する。姫、是なら頷いて」
急な展開に周囲がどよめく。
私は間髪入れず首を前にグッと振った。
喉に荒縄が食い込む。痛い。王子様は続ける。
「是なり。今より私達は古来の儀により夫婦となった。お前達がその証人。さあ王子たる我が妻の枷を疾く解け。解かねば反逆罪となるが良いか!」
周囲は混乱を来した。
予想外の展開に、王子様を無理に押さえ込むべきか、彼の言う通り掌返した行動をすべきかにわかに判断が付かず場は騒然とする。
その隙を突いて彼は私に駆け寄り猿轡と首の縄を解いた。枷をその根元ごと破壊すると、枷ごと私を抱き上げ見定めた窓に突進する。
あの窓には鉄格子が!
「…………っ」
彼に注意喚起したいのに、首を絞められていたせいか声が出せない。
状況を掴めた者から漸く彼を追おうとする頃、彼は既に窓枠に手を掛けていた。
「父に伝えよ。王は息子を失ったと。果たして先王の忘れ形見にその地位を譲位されたし」
言うが早いか体ごと窓を突き破った!
鉄格子のはずの窓は彼の一撃で破壊される。
お、王子様って…怪力?
場違いに暢気な驚きを持った私ごと、彼は窓からダイブした。
と、思う程のダイブではなく窓のすぐ下に長縄が括り付られており、地上まで緩やかなカーブを描いていた。
王子様は躊躇なく剣の柄を縄へ掛けると片手で私を抱いたまま下まで滑り降りた。その爽快さに私は場違いにもときめいてしまった。
流れるように辿り着いた先は、これまた何故か馬が2頭用意されている。
彼は手早く縄を断ち切ると、私を馬に乗せようと――――
「そのままでは姫様もお辛いでしょう」
嗜める声と共に金具の砕ける音がして、手足が軽くなる。
振り向くとそこに勇ましい姿の女官がいた。
「あ…っ」
また殺される!
身構える私に王子様が答える。
「姫、手引きしてくれたのは彼女だ」
王子様の言葉に驚き再び女官を見る。
「…姫の意思確認できないまま謀り事をした。すまない」
「まずは逃げるが先です」
スピーディーな状況変化についていけないまま、馬に乗せられた私は王子様と女官と、これまたスピーディーに王宮を脱出したのだった。
***
幸せになるのは難しい。
まして誰かと幸せになるのは。
暗かった視界が明るいオレンジ色になる。
ああ瞼に日射しが掛かったんだ。
眩しい光の中、私は目を覚ました。
ここは…農家の家屋にしてはこじんまりして使われてない感がある。
夏仕様になっているからハンター小屋だろうか。
肩が寒い気がしてそっと手をやると、地肌な肩に触れた。
ん?地肌な肩?
恐る恐る下を見る。
下も…地肌だ。
正確に言えば裸に毛布が掛かってる的な…。
片側に不自由な重みを感じて視線を向けると、王子様が私の腕を掴んでこんこんと眠っていた。
王子様もわりとそれなりに半裸な格好になっている。俗に言う着衣の乱れ的な…。
これはつまり。
いわゆる事後的な…。
人は。
人と言うか女と言うか。
とにかく私は、こんなに絹を切り裂く声を上げられると思わなかった。
いや、本物の絹を切り裂く音はもっとこう、上品だった気がする。
自分の声のはずなのに耳がキーンとする。そもそも超音波過ぎて自ら発した音と認識できなかった。
いわゆる衝撃波だ。出した方もダメージ食らうとは思わなかった。
王子様が視界から消えた。
と、ベッドの下から耳を押さえ要領を得ないといったような体の王子様が顔を出した。まあ私が衝撃波と共に突き落としたからな訳だが。
何がどうなって。
いや、なんか夫婦宣誓したんだっけ。
じゃ、夫婦なのか。
じゃあ夫婦の営み的な事が起きてもおかしくないのか。私が覚えてないだけで。
いや。いやいやいやいや。
「な・ななななんで私裸なんですかっ」
「…物凄く誤解されてる気がするけれど…僕は何も」
いや。いやいやいやいや。
「ふ・ふふふふふふふ服は」
これじゃ嬉しそうに笑ってるみたいじゃないか。
「君の了承を得ずに脱がせてすまない。服は枷ごと女官が持って行った。今頃国境を越えているだろう」
…それはつまり囮的な?
「着替えはここに…すまない。脱がせたのは女官だ…本当に何もしてない」
そうか。逃走経路撹乱の為に。
「…見てただけだから」
「見てたんかい!!」
王子様が目を見開く。
私はあっと口を押さえる。
しまった!この口調は双子な貴方の時の私の喋り方だ。
王子様な貴方には憧れを持って丁寧語でいたのに。
顔が熱い。いや寒い。
助けられて裸見られてタメ口やってしまって。
もうもう何をどうしていいか。
ふいに彼は笑った
何か応対が変だったのか、彼はひとしきりクスクスと笑った。
「君はもう…本当に」
たちまち緊張が解かれる。私は貴方の笑顔に弱い。
「本当に…君は思いがけない物言いをする。そしてそれは心地いい」
心地良いの?幻滅でないの?
てか、私達…。
「君の部屋付きの女官は、元々は現王が僕に付けた者だ。何より僕の命を優先する。だから抱き込んだ。僕は…」
王子様は束の間迷うような顔をしたが、私を見つめ直した。
「君が、好きだ」
あれ?
まるで初めて告白されたみたい。
まさか。
まさか貴方は。貴方は本当に最初の貴方なの?
「助ける為とはいえ無理に夫婦となった。すまない…君の気持ちを知りたい」
あの時、最後の面会で本当は、貴方は起死回生のプロポーズをしようとしてたの?あの時と同じように?
「否なら、僕は去る。…大丈夫、君の落ち着く先も確保している。でも…」
それなのに私は既に絶望していて、古の婚儀は叶わず風鈴草の種だけ贈ってしまったの?貴方の栞の存在さえ知らず。
「出来れば…是と」
それで貴方は、転生した幼い私にプロポーズしたの?私の地位を確保する為に?
それなのに私は。
それで貴方は。
それなのに、それで。
それなのに。
何も知らない貴方は乞うように私を見つめる。私は押し黙る。
私は。私は。
もう決めたじゃないか。幸せになるって。
そうして私が消失して、全てから私がいなくなり、風鈴草の心を踏みにじってでも貴方さえ望んでくれるなら共に幸せに…。
「…………花が…」
「花?」
「風鈴草の花が…婚約の儀の時、貴方に贈った…」
「ああ、栞の…」
「……………」
続かない。
私も好きだと伝える所なのに。
そうして二人は結ばれる。
「姫…?」
なのに今、目から溢れるこれは何だろう。
これが涙なら私は何を泣いてるの?
二人はいつまでも幸せに暮らしました、でいいじゃない。私が目指したものだ。
私、私は。
『大丈夫。僕も、君も、花もね』
突然、上から鐘が鳴り響いた。
私はぎょっとした。
思わず見合わす王子様も明らかに驚いてる。
ここは屋内のはずなのに、何故か見上げた先は天空。
その天空の彼方から、鐘の音と共に何かが舞い降りてくる。
思わず抱き合う私達の前に降りてきたのは…王子様な貴方。
え?あれ?王子様が2人?
貴方はまだまだ舞い降りる。王様な貴方、少年な貴方、カジュアルな出で立ちの貴方は双子の片割れか。
と、思う間に貴方達は地に着いた途端シャランと小さな花になる。
風鈴草だ。
父も降りてきた。母も、女官も、監視者も。関わった人々が次々降りてくる。
そうして花になって積もっていく。
私を抱いた貴方は片手に剣を取り身構える。
この異常事態に呑まれないなんて、貴方はなんて気丈だろう。
でも多分、この異常事態の元凶は、貴方が守ろうとしてくれてるこの私だ。
周囲に散らばる青紫の花々が私に迫る。
「これで全て幸せになるのでしょう?」
「私は貴女の願いを叶えた」
「代償を」
「代償を」
「そうして私は呪われる」
身構えたまま貴方は尋ねる。
「呪われるとは?」
花々は口々に答える。
「王子様が幸せになる」
「そうして転生は終わる」
「全てがなくなる」
「私だけが残される」
「私だけが彼女を悲しむ」
「終わり。終わるの」
「物語も終わり」
「いつまでも幸せに暮らしました」
埒が明かない。
私は王子様に向き合った。
「…本当は、昨日で私は処刑されました」
驚く王子様に私は続ける。
「父が風鈴草に呪いを。貴方を殺す為。でもそれは叶わず私が死にました。そしてカラクリを知った貴方は、同じく風鈴草で私を転生させました」
貴方の顔を見れない。見る権利がない。
「それは代償を伴うもので、私達は出会う度に不幸になりました。私は何度めかの貴方に相談し転生を逆転させました」
これは情報を共有して苦しませるだけの行為だ。
「でもそれも代償を伴う。ここで私達が幸せになって、また代償が払われどんどん花が呪われていく」
本当は私は。
「私は…それが…」
ここで泣いちゃダメだ。王子様の気持ちにつけ込む事になる。
自分を、花を踏みにじってまでしたかったのは貴方の幸せだ。
私に呪われた全ての貴方を幸せにして私は消える。
それでいいじゃないか。
「私は…貴方が…」
「辛い思いをしてまで僕を好きだと言うな」
王子様が強い視線を私に向ける。
初めての貴方の怒りに私は言葉を失った。
「僕を好きだと言うと君が消えるなら、言う必要ない」
「違うの。今世ではずっと一緒に」
「幸せに暮らしました、で物語が終われば君は消えて、そもそも出会う事さえなくなるのだろう?それは許さない」
王子様の強い言葉に呆然とする。
「不幸で構わない。何度でも転生して何度でも君と会う。呪うと言うならそこまでしろ」
怒りのままに貴方は続ける。
「永遠にループしても構わない。触れ合えなくても構わない。君を失うのが一番許さない」
ああ、貴方は変わらない。
「呪うなら呪うがいい。愛されなくてもいい。君を失うのが一番嫌だ!」
強く強く抱き締められる。
貴方の体が震えている。周りの花も揺れている。
私も涙が止まらない。
だあれも幸せになれない。
何をどうやっても幸せになんか――――
また空から誰かがゆっくりと舞い降りる。
それは地に触れても花になる事なく静かに前に佇む。
涙で霞んでよく見えない。
人影は2つ――――
その人影は1つ花を掬うと、もう1つの影が差し出す花籠に挿していく。
そうして花籠は風鈴草で一杯になる。
花籠を持った影は慈しむように花々を撫でる。
人影がそっとその影に寄り添うとこちらを向いた。
―――――――お父様!
花が、花が舞い上がる。
全てが一斉にシャランシャランと鳴り響く。
周りが青紫に輝き染まり吹き荒れる。
抱き締め合ってたはずなのに、貴方さえ見失う。
「王子様!」
「………!」
何もかもがリセットされてしまう。
辛かった事も苦しかった事も、貴方の気持ちも私の気持ちも。
ああ、ああ、ああ!
幸せなんかに拘らなければ良かった。
花を踏みにじらなければ良かった。
誰かに何かを背負わせれば、報いが来て当たり前なのに。
もう何度泣いただろう。
巡り巡って貴方と。
私、私の気持ちは――――
耳元で声がした。
「全て…私が持っていこう」
懐かしい声だった。
それが、記憶の最後だった。
***
それは春の日。
私は風鈴草の花の前にいる。
風鈴草は小さな鈴をいつくもぶら下げたような可愛い姿をしている。
指で揺らすとシャランシャランと鳴りそう。でも本当は鳴らない。
ユラユラと揺れるだけ。
それでもいつかは鳴りそうな気がして、いつまでも眺めていると、今日は調子が良いのか母がやってきた。
「お前は本当にこの花が好きね」
困ったように母は笑う。
母の表情はいつも複雑で、本当の気持ちは幼い私にはわからない。
「大好き。母様は?」
「私?私はね…」
母は少し考え込む。
「…花の時期の風鈴草も好きだけど、冬の風鈴草も好きよ」
不思議な気がした。花の時期でなくとも好き?
「風鈴草はね、春に芽吹いて大きくなって、寒い冬を越えてから花が咲くのよ」
母は私の頭を撫でる。
「寒さに強いの。そして春になったら夢みたいに素敵な花が咲く。多年草だから何度もね。私はその生き様が好き」
ああ、母は上っ面な私と違って風鈴草を本当に好きなんだ。
なんとなく悲しくなって私は下を向く。
そんな私に、母はひざまづいて同じ目線になる。覗き込むように笑い掛けるとお話ししてくれた。
「…風鈴草の花言葉を教えてあげる」
「花言葉?」
「お花は、その数だけ花言葉があるの。秘密のメッセージよ。風鈴草は不変、そして感謝。それから誠実、共感、思いを告げる、沢山あるの。まるでこの小さな花1つ1つがそれぞれ違うように」
私は目を丸くする。
母は優しく微笑んだ。
「風鈴草の本当の気持ちはどれなのかしら。でもお前の気持ちはいつも1つね。…あのね、お前にお願いがあるの」
母のお願いなんて初めてだ。なんだか私はドキドキした。
「…風鈴草の呪いに王子様自ら落ちてしまったの。全てが消えるはずのお前を追いかけて時空の溝に落ちて、今もループし続けてる…」
?、母の話がちっともわからない。
「風鈴草は魔法のお花なの?」
「そうね、お前はわからないわね。それに出会えばお前は幸せになろうともがくでしょう。じゃあこう覚えておいて」
母は柔らかく私を抱き締めた。
「おとぎ話の『二人はいつまでも幸せに暮らしました』の後を大切にしてね。ねえお前は何がしたい?きっとその先を思い描けないと、幸せな結末でも、不幸な結末でも、そこで終わってしまうんだわ」
「めでたしめでたし、のその後?」
「そう。めでたしめでたし、の後」
まるで謎かけだ。母に抱き締められて嬉しいのに、私は迷路に突き落とされた気分になる。
「…母様は魔女なの?」
母は謎めいた笑みを浮かべる。
「そうかもね。でも、風鈴草はただの花」
ふいに母が咳き込む。
さっきより顔色がが悪い。無理をさせてしまったんだ。
「母様、母様」
「ちょっとズルをしただけよ…大丈夫。花も、お前も、彼も」
オロオロする私に母はそれでも笑い掛けた。
「幸せのその先へ行きなさい…きっとね」
それから母は体調を崩し、程なくして亡くなった。
風鈴草が風に揺れる。
それは、私も知らない風鈴草だけの思い出。