転生転生&転生!
初めて彼と会ったのは春もたけなわの頃。
場所は王宮。
王子である彼の婚約者としてだった。
他国にはない慣習として、この国では婚約の儀式に女性から男性へ花を贈る。
私は亡き母が好きだった風鈴草の花を贈ろうと決めた。
今を盛りと咲く青紫の小さな花。風鈴草の名の通り、風にシャランと鳴りそうな小さな鈴をいくつもつけているようで、一番好きな春の花。父に地味だと反対されたが駄々を捏ねてゴリ押しした。
風鈴草の花言葉は永遠の愛を誓う儀式にピッタリなのだ。華々しい花束は浪費家と思われ悪手だ。まだ正式な婚姻ではないから今だけ。
アレコレ懇願し続ける私に父は渋々折れた。
やった!
大好きな花を可愛い花束にしてもらい、ウキウキしながら王宮の広間へ通される。
そこには美しい彫像が佇んでいた。
黒髪に緑の瞳。左目の下にある泣きボクロがポイントとなって、作られたかのような美しさに一点リアルである事を彼に証拠付けていた。
私は、彼のあまりの美しさに、挨拶どころか渡す手筈の風鈴草の花束を抱きしめ立ち尽くしてしまった。
しばらくの間の後、
「はじめまして」
彼は言った
「…は?…えっ?は、はじめまつぃ…っっ…」
見惚れていたところに不意を突かれ慌てて喋ろうとして舌を噛んだ。
めっちゃ痛くて泣きそうになるのを堪えギュウと花束を抱き締める。
それが悪かったのか、花を痛めてしまい儀式が終わる頃には萎れてしまった。
大好きな大好きな花なのに。
「…ごめんなさい…貴方も、花も」
悄気かえりながら謝る。
「花も?」
ふいに彼は笑った
何か応対が変だったのか、彼はひとしきりクスクスと笑った。
「…せっかくだから押し花にしようかと思う。可愛い花だね。ありがとう」
そう微笑みながら彼は私に顔を向けた。
「大丈夫。僕も、君も、花もね」
ああ!その笑顔!
どんな彫刻家も作れやしまい。
天使が舞い降りたならこんな気持ちになるの?
一瞬で私は恋に落ちた。
シャランと風鈴草の鳴った気がした。
時は動乱の最中であり、裏切る可能性の高い私の父たる公爵への牽制として、事実上人質な立場だったがそんな事はどうでも良かった。
彼の側にいられる事、いずれは結婚できる事が何より嬉しかった。
父が私を見捨て謀反を起こすまでは。
逆賊の娘として周囲に処刑の声の上がった時、まさか異を唱える唯一の味方が、我が父に殺されそうになった王子である彼だった。
「彼女は悪くない!処刑される謂れはない!」
どうして彼が大勢に抗ってまで私を助けようとするかはわからなかったが、彼の言葉は絶望的な私を幸せにしてくれた。
とても、とても嬉しかった。
衆人環視の中、それでも彼は最後に私に会いに来てくれた。
相当無理をしてくれたのだろう。彼は酷く憔悴していた。
私は彼に、ずっと大切に持っていた黒い粒を贈った。
「…これは」
固い表情で彼は聞いた。
これはね、風鈴草の種なの。王宮に植えて、春になったらまた贈ろうと思ってたの。叶わなかったけど。
貴方とずっといたかった。
それを伝える術はない。
だから、微笑みだけを彼に向けた。
それは精一杯の意地だった。
私を助けようとした彼に応えたくて。
そうして私は処刑された。
とても、とても怖かった。
***
次に彼と会ったのは晩秋の山の麓。
私は小さな村の娘として転生していた。
貧しいながらも人の温もりを感じる日々に満足しながらすくすく育っていったが、一人の傷病兵を受け入れた事から小さな村が流行り病で全滅した。
それはまさに地獄絵図だった。
隣接する村から被害拡大を恐れ焼き討ちに合い、これで今世も終わりかと絶望していたら、王都より王様自ら救援に駆けつけてくれた。
助かるかも?!
期待を込めて見上げた先に、還暦を迎える位の立派な王様となった―――――彼がいた。
王様は目を見開いてまだ幼さの残る私を見つめた。
私は驚きに声を失った。
――――えっなにっ世界線繋がってるの?!――――
身寄りのなくなった私は王様預りとなり身を寄せる事になった。
王様は――――彼は王様になれたのね。あの時逆賊の娘を庇ったばっかりに危うい立場になってたけれど、良かった。本当に良かった。
私は齢13の幼い姿でありながら、今まで苦労してきたであろう彼を偲び目を潤ませた。
一方の王様は重苦しい眼差しを私を向けた。
「…元気だったか?」
だった?何か質問がおかしい。
でもここはまず感謝だ。
「貴方様のおかげで…ありがとうございます」
ふと王様は目を背けた。
その顔が苦渋に歪む。
なんとなく意味を取り違えている?訂正しようとしたが拒絶された。
小さな骨が喉に引っ掛かるような鈍い痛みを私は感じた。
心のどこかでシャランと音がした。
『王様預り』という立場が予想外に悪く響いた。
王様は齢60となる今まで后どころか愛妾の一人もいなかったらしい。
それが今や13の少女に入れ込んでいると噂されるようになったのだ。
どうやら王様も、私がかつての婚約者の転生だと気付いてしまったようだ。
そして、今度こそ私と結婚しようとしてきたのだ。
まるで義務のように。罪悪感を払拭するかのように。
それは狂気さえ帯びた熱烈なものだった。
王様60歳、村娘な私13歳。
王と孤児。
老人と子供。
老いらくの恋にもならない。
いくら王様が独身でもヤバさしかない。
私は自分の転生を、そして芽生えてしまった恋心を呪った。
老境に差し掛かった彼はシルバーグレーとなった髪に変わらずの緑の瞳。深い陰影の刻まれた顏に左目下の泣きボクロが一点、艶かしさの色を添える。
かつての王子様然とした若い美しさとは違う、燻し銀の重厚な面立ちは凛々し過ぎて目眩がする。
13の小娘には全てが眩しすぎ重すぎて、花束の用意もできずプロポーズの途中で逃げ出してしまった。
またそれに尾ひれがついて悪い噂となった。
老王をたぶらかす毒婦(13歳)。
居たたまれない。
私は彼に全てを打ち明けお願いした。
確かに私は婚約者の転生だが、このままでは周囲の憎悪に巻き込まれきっと私は殺される。それはとても恐ろしい。
巻き込まれたくない、死にたくない。
今世は修道女となり世を捨て穏やかに暮らしたい。
どうか私をそっとしておいて。
熱いプロポーズに関わらず固い表情のままだった王様はふと優しい瞳になる。
まるで初めて会った時のように。
彼は私の願いを静かに受け入れてくれた。
「すまなかった」
それが今世の彼と交わした最期の言葉。
私がふるさと近くのうらぶれた修道院に落ち着く頃、王様は後継者を決め早々に病を得て一生を終えた。
季節は一巡りして秋から冬へ。再会から一年経っていた。
後に次の王様から形見として、小さな袋に入った黒い粒を送られた。
それは遠い昔に渡した風鈴草の花の種だった。
大好きな彼に大好きだと伝えたくて渡した――――
彼はどんな気持ちでこれを何十年と持っていたのだろう。
雪の日だった。
私はその日、1日だけ泣いた。
自分の保身の為に結果、彼を死に追いやったと知っていたから。
自己憐憫は1日で充分だった。
***
半世紀以上過ぎた。
私は、人生の全てを修道女として捧げた。
前世の教養と現世の生活力、修道女という立場全てを活用し、国のセーフティネットの拡充に心血を注いだ。
もし病気となっても孤児となっても周囲や王様の善意でなく、システムで助けられるよう。家庭なり村なり小さな集団が本来持っている弱者となった場合の命の保証。これをシステム化して全国に行き渡らせ、少しでも取りこぼしの無いよう図ったのだ。
義務のように。罪悪感を払拭する為に。それは狂気さえ感じるほど熱烈に。
全ては彼への懺悔を、形を変えてぶつけただけ。それはわかっていた。
齢74にしてやっと、完璧とは言えないが少なくとも王国全体にその骨格を埋め込めた。そんな手応えを感じた。
随分と長く戦ってきたような気がする。心も体もだいぶ衰えてきた。そろそろ第一線を後陣に譲ろうか。そう思った。
そんな早春の木漏れ日の中、ふと青紫の小さな花が胸を過った。
苦くて大切な私の思い出。
あの種を今、蒔いてみようか。
風鈴草は特に薬用効果もないただの観賞用の草花だ。
なんの役にも立たない花の種を修道院に蒔かせてくれというのはなかなか敷居が高い。
私は近隣の農家を訪ねてみた。
「100年以上前の種ですかい?芽が出るかなぁ…」
気安く軒下を提供してくれるものの、農夫に思案気な顔をされてしまった。
そうか。前世で死んでからもう100年以上となるのか。
懐かしいというよりグサリと来るものを感じながら、土を整えていった。
良く土に空気を入れて肥料を慣らし、充分湿らせてから種を蒔く。
発芽まで木箱で日除けをし、数日様子見していると、果たして一つだけ芽を出した。
まだ生きてる種があった!
小さな本葉に喜んでいると後ろから幼い声がした。
「あの黒い粒は種だったんだ」
あの?
不思議な声掛けだが、近所の子供だろうか?
「そうよ。この黒い種は風鈴草の――――」
返事しようと振り向きかけそのまま固まる。
後ろにいたのは黒髪に緑の瞳の少年。
左目の下の泣きボクロがポイントの10歳位の―――彼だった。
青紫の小さな花が揺れる。
シャランシャランと音がする。
花が風に飛ばされる。
私が手を伸ばしてもそれは届かない―――
ふと私は目を覚ます。
どうやら気を失っていたらしい。
気がつくと件の農家のベッドを占領していた。
「!ごめんなさい!とんだご迷惑を―――」
謝罪しようと起き上がるのを幼い手が止める。
ギョッとしてその手の先に目をやると果たして幼い彼がいる。
「ウチの倅がご迷惑かけちまったようで」
隣で農夫が狼狽えている。
「いえ…何も…こちらこそ申し訳ありません」
「シスター、大丈夫?」
幼い彼が心配そうに声掛ける。
それはかつて聞いたどの声より高いボーイソプラノ。
大丈夫私は74歳。
何か間違いの起こる訳がない。
ないがとにかくここから離れねば。
「随分ご厄介になったようで。追ってお礼させて頂きますね。私はこれで」
やんわりと少年を避けて起き上がるが途端立ち眩みして再びベッドに倒れ込む。
「やっぱり。父さん、シスターに少しお休みしてもらおうよ」
それはできない。それだけは勘弁して。
拒否を呟いているのに、少年はあっという間に修道院へ伝達に行って帰って来た。
「シスター!元気になるまで僕がお世話するよ」
再び目の前が真っ暗になった。
死んだかと思った。
しかし目を覚ましたそこはやはり件の農家。
ベッドの脇に心配そうな顔をした目も眩むような美少年がいる。
勘弁してくれ。本当に勘弁してくれ。
気持ち悪い。頭がグラグラする。
もう一度目を瞑る私に少年が沈んだ声で聞く。
「…そんなに僕が嫌?」
?、嫌な訳ない。
むしろ会うたびに恋に落ちてしまい困っているのだ。
今回は74歳と老いた私が10歳位の少年にだ。
老いらくの恋とは男女逆でも起こりうると思い知らされる。
やはりいい加減にして欲しい。
心の中で自分を呪う。
とにかく気持ちを落ち着け、年相応に振る舞わねば。
「坊やはどうしてそう思うの?」
取り繕う私に、美貌の少年は難なく答える。
「最初の貴女は笑っていた。次の貴女は困っていた。今の貴女は苦しそうだ」
絶句してしまった。
やはり彼も前世の記憶に支配されている。
「坊やは前世に囚われているわ。こんな老いぼれなんかほっといて、今の人生を楽しみなさい」
「僕の人生に貴女を入れてはいけない?」
何を言っているんだ少年。
そのソプラノボイスで何故押せ押せなんだ。
やはり会うべきではなかった。
風鈴草の種を蒔こうと思わなければ良かった。
目眩が取れない。気持ち悪い。
心の動揺がここまで体に堪えるなんて本当に、年老いたものだ。
会うなら、もし会えるなら、こんな歳の差でいたくなかった。
老いぼれた姿を見せたくなかった。
心が震える。
今世の大半をかけて頑張ってきたものがいとも簡単に瓦解する音を、心の内から聞いた気がした。
「何故…貴方は追いかけるの」
震える声を絞り出し、私は少年になんとか顔を向ける。
揺れる視界の中で彼の顔が驚いた表情を浮かべた。
「これで3回目。貴方は追いかけて不幸を呼び寄せてる気がする」
「貴女を追いかけて諦めて、前世で2回苦しかったよ」
顔立ちは幼いままなのに、疲れた顔をして彼は答えた。
「今世は諦めない。ずっと側にいる」
それは彼の意志というより既に決定事項のようだった。
幼い少年にして異常である。
いやもしかしたら、彼の心は奥のところで本当に幼いのかもしれない。
結婚するはずだった私達は引き裂かれた。それは彼にとって、あるべきだった玩具を取り上げられた事と同じなのかも。
小さな子供は、それが既にお気に入りでなくても、失うとなると抗う。着れなくなった服であれ、壊れた玩具であれ、本当は既に必要ないくせに惜しがるのだ。
なら、老い先短い今の私にできることは1つ。
もう立場など気にせず、彼の好きなようにさせる事だ。遊び飽きた玩具のように幼い彼が老いた私に飽きるまで。
きっといずれ飽きる。
今度は私は逃げない。
そう決意して程無く体調が悪化した。ベッドから起き上がるどころか食事も取れなくなり、高熱も出てあっという間に意識を失った。
おそらくそれきり、だったと思う。
最期に目を覚ました時、彼は泣いていた。音はもう聞こえなかった。
ほらやっぱりと私は思った。
ほらやっぱり。上手くいかない。
私達は結ばれない。幸せになれない。
私は覚悟したのに、観念したのに。
やっぱりダメだった。
「風鈴草、大事にしてね」
大好きな花なの、貴方位に。
どこまで声になっただろう。
全てが暗闇でもうわからない。
***
これは夢だ。
全て夢だ。
ぜーんぶ夢!
とんでもなく長丁場の夢を見ただけ。
なーんだ夢か。あーびっくりした。
いやびっくりしたというより、それよりなにより。
待てよ。
ガバっと私は起き上がる。
今は夏。私は26歳。
日々テキトーに生活している。
あっつい中を会社行って働いて帰ってきてお母さんのカレー食べて、わーい明日休みだーとエアコンガンガンきかせて兄と徹夜でゲームして全負けしてフテ寝して。
そして、どえらい夢を見てしまった。
とんでもない事に気付いた。
あの夢の中に現れた黒髪に緑の瞳の少年を私は知ってる。
知ってるなんてもんじゃない。
それは私の兄…双子の片割れそのものだった。
ただの夢だとして由々しき事態だ。血を分けた兄弟が宿命の男とかゲロいにも程がある妄想だ。
さらに万一だけど真実だった場合、私達二人はなんという転生ミスを犯したのか。
歳の差、身分差が嫌だったからって、双子はないだろう。
私はのろのろと部屋から出ると、リビングでテレビ見てる両親にそれとなく聞いた。
私達のどちらかは、橋の下から拾ってきたなんてない?あるいは取り違えちゃったとか。
両親は大笑いした。どっちも自分達に似ているではないかと。
私と彼はおよそ他人のような容貌だが、私の輪郭は母の、髪は父譲りだった。そして彼も髪は伯母の、瞳は父譲りだ。
それはそうだ。そもそもあんな夢見るからいけないんだ。
もうなかった事にしよう。二度寝すりゃいいんだ。これは全て夢で、寝て起きたらまた今までと同じ平凡で幸せな―――
「昨日夢を見た。僕達前世で恋―――」
「わあぁっ!」
いきなり視界に入ったかと思えば直球なセリフを投げてきた我が双子の片割れ。ちょっとだけ心臓止まった気がする。
「いっいきなり部屋入ってこないでよ!」
「ノックしてから入ったよ」
知ってた。わりと前から知ってたけど、彼は案外空気を読まない人だった。
「…同じ夢を見たんだね僕達」
そしてやたら頭の回転が良い。
私は頭を抱えた。
双子のせいか、たまに二人同じ夢を見る。
でも今回はヤバすぎる。しかも私達は今妙齢の男女である。
そろそろ両親から良い人いないかせっつかれ始めたところだ。
「どうしようか」
暢気に彼は尋ねる。
「どうしようかって…」
どうしようもないだろう。私は兄妹でなんやら怪しい関係になる気はない。
「とりあえず誰かと結婚しないでね」
「えっ?なんで?」
サラリと釘を刺す彼に真顔で聞き返す。
「兄妹でなんやらになるつもりは私ないからね」
今度は私が釘を刺す。
「ならなくていい。ただ側にいればいい」
サラリと宣う彼に私は絶句した。
「いや…たかが夢にメンタル持ってかれ過ぎじゃない?」
「逆に何故そんな拒否するの?」
するだろう!近親ナンチャラなんて考えるだけでゲロいわ!
嫌悪感の中ふと思い付く。本当に同じ夢を見たなら、色々知りたい事がある。
今回は絶対悲恋にはならない。なら、かえって聞いてみたい。
「ねえ」
私は表情の読めない片割れに話し掛けた。
「あの夢の中の男の子だと言うなら、私が死んだ後どうしたの?」
「特に何も。父親には責められた。帰りたがるシスターをお前が引き留めたからこうなったと」
彼はなんでもないかのように答える。
私は興味半分で聞いた事を後悔した。
そんな私にお構い無く彼は続ける。
「シスターは皆にとても愛されていた。それを殺したと恨まれ折檻された。それで少し不自由になったが特にそれ以上はなかった」
それ以上って。不自由って。
「命の終わるまで彼女に言われた事だけをしてた。ずっと、ずっと風鈴草を育てて…」
「………」
黙る私をチラリと見る。その少しの間。
「…っていう妄想を今してみた」
彼はそう締めて私に微笑んだ。
絶対ウソだろう。
居心地悪くなって私はそっぽを向いた。
「なんで…なんでその人をそんなに追いかけるのよ」
彼は私を見つめ、ゆっくり答えた。
「初めて会った時」
…初めて会った時?
「青紫の小さな花束を抱えた女の子が、その花みたいにとても可愛く見えた…気がする」
…え?
「泣き出しそうな顔をして、王子と花を同列に語るその子が面白かった。面白かったから同意してみたら花が開いたみたいにバァっと顔を明るくして眩しかった」
…天使が舞い降りたような?
私があの時感じたように?
「とても幸せな気持ちだったから、引き裂かれそうになるたび抗ってみた。全てが裏目に出たけれど」
シャランとどこかで音がする。
「最期の願いは、結ばれるとかもうどうでもいいから、ただずっと側にいたい、だった」
彼が私を見つめる。
「願いは今世で叶った」
青紫の小さな花。
シャランシャランと鳴り響く。
彼の告解に今、私はどんな顔をしているのだろう。
次の日、彼は唐突に家を出て行った。
急にいなくなった事に慌てた私は両親から、彼が前から出ていくつもりだった事を知らされた。
行き先はわからない。連絡手段も残さなかった。
勤め先も辞めていた。
失踪。
私から?この世から?
『今度こそ幸せになってね』
両親から渡された彼の最後の贈り物。
風鈴草を押し花にした栞の裏にそう書かれていた。
『せっかくだから押し花にしようかと思う。可愛い花だね。ありがとう』
遠い昔の言葉が甦る。
そんな訳ない。
この栞の花はあの時の花な訳ない。
でも―――――
本当は、私が夢を見る以前から知っていたんだ。
だから――――――
夢を見るまで、記憶が開封されるまで、私に自分がバレるまで。
ずっと側にいたかったからって。
願いは叶ったって。
結婚しないでねって。
そのくせ幸せになってねって。
なんという。なんという。
私は、胸に渦巻くこの気持ちがなんなのかわからなかった。
わからない。わからない。
これも夢であればいいのに。
今世が一番辛いだなんて。
取り返しのつかない思いに、私は抵抗する術もなく殴られ続けていた。
***
風鈴草の花言葉。
それは不変。
きっと聖なる鈴のような形をしているからだろう。青紫の愛らしく清廉な花。
振ったらシャランと鳴りそうな。
私の手の中の風鈴草の花。
風に飛ばされ舞い上がる。
それを取り戻すべく走る、走る。
ああ届かない。
こんなに走ってるのに。手を伸ばしてるのに。
きっと幸せもこんな風に―――
「―――大丈夫。僕も、君も、花もね」
彼が微笑みながら私に顔を向けた。
私はハッとする。
ここはどこ?私はどうなってる?
私は辺りを見回す。
そこは見たことのある豪奢な広間だった。