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初恋オルゴールで君は再び蘇る  作者: いっしー
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彼女の願い

 週が明けると、夏の暑さは一段と厳しさを増した。


 歩は教室に着くと、汗だくになったシャツをズボンから出してぱたぱたと扇いでいた。一つ前の席では、もっと暑そうにしている真一が、シャツのボタンを全開にして座っている。


「セクシーだろう?」と妙に色気を醸し出した声で茶化してくる彼の台詞を、歩はあえて無視していた。関わると、余計に暑くなりそうだ。そんな自分の態度にため息をついた真一は、やっとまともな会話を始めてきた。


「おい歩知ってるか? 今日の最高気温三十四度だってよ」


 真一はそう言うと、犬が体温調節するみたいに舌をベーっと出してきた。


「このままいくと来月は四十度だな」


「おいおいそんな気温になってみろよ。俺は試合中間違いなくぶっ倒れるぞ、マジで」


 実演のつもりなのか、真一が机の上にだらけるように伏せた。すると何か思いついたようで、彼は「あっ」と声を漏らすとくいっと上半身を起こす。


「歩、海だ。海行こうぜ!」


「は? 何だよ急に」


「これだけ暑いと海しかないだろ! それに……」


 そこで言葉を区切った真一は、意味深長な視線で教室をぐるりと見渡す。そして、あからさまに下心満載の表情を向けてきた。


「目の保養にもなるぞ」


 誰かクラスの女子でも誘うつもりなのか、暑さにやられていた時とはえらくトーンの違う声で言ってきた。そんな彼に向かって、歩は白けた視線を送る。


「な、歩なら誰誘う? やっぱ椿ちゃんか?」


「何一人で勝手に話進めてんだよ。誰も誘わないし、俺は行かないって」


「マジかよ! ほっんとノリ悪いよな、お前。この季節しかチャンスはないんだぞ」


「はいはい」と歩は呆れたように右手を振ると、前の方に座っている椿の姿を見た。間もなく自分指導のホームルームが始まることに緊張しているのか、その表情はどことなく不安げになっている。歩はそんな椿の様子に気づき、小さく肩を落とした。


「そういや椿ちゃんと和輝のやつ実行委員に選ばれたけど、文化祭の出し物何にするんだろうな?」


「さあな。俺は楽なやつだったら何でもいいけど」


 歩はそう言って去年の文化祭を思い浮かべた。誰が言い出したのか覚えていないが、自分たちのクラスはミュージカルをすることになり、夜遅くまで近くの公園で練習することになった苦い思い出がある。


 練習が必要な出し物だけは絶対にナシだな。


 そんなことを考えていた自分の心を読み取ったのか、無駄なことをよく閃く真一が嬉しそうに言ってきた。


「もし演劇とかになったらさ、俺と歩で『美女と野獣』とかどうよ?」


「なんで文化祭で体張って罰ゲームしないといけないんだよ。お前一人でやれって」


「いやいやいや。俺一人だと美女はできても野獣はできないからな」


 オーバーなくらい顔の前で両手を振っている真一に、じゃあ強制的に俺が野獣かよと突っ込み掛けたが、余計会話が広がりそうで面倒に思いやめた。


そんな自分の気持ちを援護してくれるかのように、真一が口を開きかけた瞬間、頭上からチャイムの音が勢いよく鳴り響いてくれた。


 新任で選ばれた二人が舵をとるホームルームは、案の定早くも暗礁に乗り上げていた。


 文化祭の出し物を何にするのか? というシンプルな命題は、その単純さゆえに物足りないのか、クラスメイトの意見はまったくまとまろうとする気配を見せない。


「それじゃあとりあえず、今度はこの三つで多数決を取りたいと思います」


 好き放題意見が飛び交う中、やっと多数決まで持ち込める段階になり、教卓に立つ和輝の声が教室に響く。


さすが真一に次期キャプテンと言わしめただけあり、彼は臆する様子もなく進行を続けていた。その隣では人前で話すことが苦手な椿が、できるだけ自分の存在を隠そうとするかのように、チョークを片手に黒板に向かって構えている。


「じゃあまずは演劇が良いと思う人は?」


 彼の言葉に、顔を見合すクラスメイトたちはまばらに手をあげていく。ぱっと見ただけでも、この人数では確実に却下だろう。


できるだけ面倒な出し物をしたくないと思っていた歩は、その光景を見てほっと胸を撫でおろした。もちろん目の前では、まだ美女を演じたい願望があるようで、真一が張り切って右手を挙げている。


「じゃあ次、ダンスライブが良いと思う人!」


 声を強めてみんなに意見を聞いたところを見ると、おそらく和輝はこれがしたいのだろう。ぼんやりと教卓の方を眺めながら、歩はそんなことを思った。


先ほどより手を挙げる生徒が多く内心ヒヤッとしたが、どうやらこれも却下になりそうだ。


「じゃあ最後に……カフェが良いと思う人は?」


 今度は教室にいる半数近くの生徒が手をあげた。一番楽な出し物を狙っていた歩も、めんどくさそうに右腕を挙げる。カフェであれば練習や舞台に立つこともないので無難だろう。


「十二、十三……十四人、と」


 リズムカルに人差し指で人数を数えていた和輝は、無言で最終確認を行うように一度椿と目を合わすと小さく頷いた。


「はい。それじゃあ多数決の結果、二組の文化祭の出し物はカフェにしたいと思います」


 和輝の声に、教室から短い拍手の音が響いた。目の前では、ニヤついて振り返ってきた真一が「メイドカフェにしようぜ!」と小声でふざけたことを言ってきた。


歩は「馬鹿か」と冷静な口調で突っ込むと、教室の前に立っている椿の方を見る。まだ人前に立つのは慣れないのか、不安げにチラリと自分のことを見てきた彼女の頬はわずかに赤く染まっていた。


 とりあえず出し物が決まり、向かうべきところがはっきりと見えた為か、その後の話し合いは意外とスムーズに進んでいった。


カフェの雰囲気はありきたりなものではなく、オシャレな感じにしたいということ。メニューは口コミで人気のカフェに実際に行ってみて参考にするなど。


ただ、カフェの時に着る制服を誰がデザインするのかということについては、なかなか決まらなかった。


「オシャレな感じでいくなら、衣装だってこだわらないといけないよね」


「たしかに。どうせやるなら『こいつらクオリティ高いじゃん!』って思ってもらいたいし」


 窓際で盛り上がっている女子たちの会話を聞きながら、歩は傍観者のような気分で教室の様子を眺めていた。すると、椿と仲の良い明日香が突然ぱっと手を上げた。


「それだったら椿がデザインしたら良いんじゃない? 椿オシャレだし、それにデザイナー志望って前に言ってし」


「ちょっと、明日香ったらこんなとこでやめてよ」


 顔を真っ赤にした椿が怒った口調で小声で言った。が、どうやらその話しは他の女子たちにとっても周知の事実のようで、「それいいじゃん!」と次々と賛成の声が上がっていく。そんな状況に椿は困った表情を浮かべながら、ただ呆然と立ち尽くしていた。


「椿が良いなら俺もそれに賛成だけど」


「ちょっと和輝くんまで……」 


 同じ実行員にまで言われて逃げ場を失ったのか、椿は肩を落として大きくため息をついた後、「じゃあやります……」と小鳥のささやきのような声で呟いた。


「つばき! ばしっとオシャレなやつ頼むよ!」 


 友人の勇気ある決断に、明日香が大声で言った。それと同時に彼女を筆頭に、ぱちぱちと教室から拍手の音が鳴り響く。椿はというと恥ずかしいのか緊張しているのか、頬を赤くしたまま黙って俯いていた。


「それじゃあ具体的な内容も決まったので、今から文化祭までのスケジュールについて話し合いたいと思います。みなさん去年も経験したように、この学校は文化祭にかなり力を入れています。なので来週から夏休みに入りますが、基本平日の朝は教室に集まって班ごとで準備を進めたいと思うので、ご協力お願いします!」 


 和輝の力強い発言に、彼と仲が良い男子たちからは「えーっ」とわざとらしく嫌そうな声が聞こえてきた。そんな友人たちに向かって、「お前らは今日から徹夜で残れ」と言って、和輝は教室の笑いを取っていた。 


 昼休みになり、いつものように食堂で昼飯を食べ終わった歩が自分の席に戻ると、教室の前で一人ぼんやりと考えごとをしている椿の姿が目に映った。


小さくため息をついているところを見るとおそらく、ホームルームで決まったカフェの制服作成のことで悩んでいるのだろう。


その予想が当たっているかのように、彼女は眉間に皺を寄せながら手元に広げたノートに何やら書き込んでいく。


 椿は責任感が強いが、姉の真那とは違ってプレッシャーには弱い。それなのに何でもかんでも一人で抱え込もうとするクセがあることを知っている歩は、そんな彼女の様子を見て小さくため息をついた。


歩は座ったばかりの椅子から立ち上がると、おもむろに椿の方へと向かって歩き出す。


視界の隅では、余計な事に気付いた真一がニヤニヤとした表情を浮かべて、こちらに向かって親指を立ててきた。歩はあえて気付かないフリをして、そのまま真っ直ぐに進んでいく。


 とりあえず、あんまり無理し過ぎないように一声かけておくか。


 そんなことを思った歩が口を開こうとした時、突然視界の右側から和輝の姿が現れた。


「なあ椿」


 和輝の声を聞いた彼女は一瞬ビクリと肩を震わすと、「ビックリしたー」と振り向きながら微笑んだ。


「これ、今までの卒業生が文化祭で出し物やった時の写真だって。藤原に頼んだら貸してもらえた」


 そう言って和輝は卒業アルバムのような分厚い本を椿の前に差し出す。誰かマメな生徒が作ったのか、表紙には手作り感満載で『天宮あまみや高校文化祭!』とシールが貼られている。


「カフェの写真も結構載ってるから、椿の参考になるかなって思って」


「ほんとに? それは凄く助かるよ。ありがとう和輝くん!」


 ニコリと椿がアルバムを受け取った時、和輝の後ろにいた歩と目が合った。「歩?」と和輝の身体越しにひょっこりと顔を出した椿に、歩が少し気まずそうに目をそらす。


すると今度は振り返ってきた和輝と目が合った。なんだよ?と言わんばかりの不機嫌そうなその視線に歩は小さく息を吐き出すと、何も言わずに背を向けて自分の席へと歩き出す。


そんな彼の後ろ姿を、両腕でアルバムを抱えていた椿が、少し寂しそうな目で見つめていた。


  六時間以上の拘束が終わり、教室には生徒たちを解放するチャイムの音が鳴り響いた。


歩が机の上に広げていた教科書やノートを鞄に詰め込んでいると、目の前に座っていた真一が、「おっさきー」と言って勢いよく立ち上がった。その拍子に、彼が肩からかけていたスポーツバッグが歩の筆箱にぶつかる。


「あっ」と声を漏らした歩が腕を伸ばしたが時すでに遅しで、空中に放り出された筆箱はガシャンという音と共に中身を派手にまき散らした。


「あちゃー、マジでごめん!」


 慌てて拾おうとする真一に、歩が呆れたようにため息をつく。


「いいって別に。それよりお前、早く部活行ったほうがいいんじゃないか?」


 明らかに焦っている真一の様子を見て歩が言った。


「わりぃ歩! 今度ジュースおごるから」


 動揺しているせいかえらく気前のいい真一の言葉に、「言ったぞお前」と歩が茶化すように答える。


「ほら、早く行けって」と歩が右手で急かすと、友人は聞き分けの良い飼い犬のように教室の扉へと向かって走っていった。


再び静けさを取り戻した机で、歩はしゃがみ込むと足元に転がっている消しゴムを拾おうとした。その時、ふいに視界に誰かの上履きが映った。


「大丈夫?」


 そう言って、同じようにしゃがみ込んできたのは椿だった。彼女は、はらりと落ちた横髪を耳にかけると、無残にも散らばった筆箱の中身を拾いあげていく。


「ありがと」と言ってそれを受け取った歩が筆箱を元の状態に戻していると、小さく咳払いをした椿が口を開いた。


「ねえ、歩って今週の日曜日は空いてる?」


「え?」


 椿の質問に、思わず動揺した歩がまたも筆箱を落としそうになる。「なんで?」と冷静を装いながら聞き返す彼に、椿がニコリと口端を上げた。


「文化祭の出し物の参考にみんなでカフェに行くことになったんだけど、歩もどうかなって思って」


「ああ……日曜日は……」


 気まずそうに言葉を濁す歩に、椿が不思議そうに小首を傾げる。動揺する心の中では、その原因が我が物顔で現れる。


もちろん椿にオルゴールの秘密について話すことができないこともその一つだが、真那に約束を叶えると宣言したものの、彼女と会う場所を未だ決めかねていることも大きな原因だった。


「どこか遊びに行くの?」


 真っ直ぐに自分の事を見つめながら聞いてくる彼女に、歩は正直なことを話すわけにもいかず、咄嗟に頭に思いついた言葉を告げた。


「まあちょっと、海とか……」


「海?」


 椿の少し驚いた表情を見て、歩は「しまった」と心の中で呟く。いくら適当に言い訳を探していたとはいえ、まさかこんなところで真一との会話を使ってしまうとは……。


後悔した気持ちを隠すように、歩はわざとらしく一つ咳払いをした。


「海って……誰と行くの?」


 何故か怪しむような視線を向けてくる椿に、歩はぎこちなく目をそらす。


「あれだ、その……一人で」


「一人で?」


 ますます訝しむような目で見てくる彼女に、バツが悪くなって追い詰められた歩は、今度は開き直るような口調で話し始めた。


「釣りだよ釣り、そう釣り! 前に親父が釣竿くれたんだけどまだ使ったことなかったから、一回ぐらいやっとこうと思って」


「…………」


 どうやら喋れば喋るほどこちらの分は悪くなるようで、椿の瞳からは完全に温度が抜け落ちていた。


何か隠していると勘付かれてしまったのか、「ふーん、そうなんだ」と少し拗ねた感じで唇を尖らした彼女は、そのままスタスタと自分の席へと戻っていく。そんな彼女の後ろ姿を見て、歩が大きくため息をついた。


 真一のせいで間接的に俺が事故ったじゃねーか。


 ふつふつと不完全燃焼な思いを胸の中で煮詰めていた時、ふと歩の脳裏に真那の言葉が浮かんだ。たしか彼女も、昔何かの会話で海に行きたいと言っていたような。


 歩は掴みかけた真那との記憶の糸を探るように、ぎゅっと目を瞑る。思い出す光景はいつものジャングルジムと街を染める夕暮れ。そう、あれは真那と初恋について話しをしてた時のはず。


「デートのフルコース……」


 その言葉を口にした瞬間、歩の頭の中でぼやけていた思い出の輪郭が少し形を取り戻した。椿に聞かれた時は咄嗟に海だと言ってしまったが、あながち自分の発想は間違っていなかったようだ。


 歩はポケットからスマホを取り出すと、メモアプリを開ける。そして思い出した映像の中から、あの時真那がやってみたいと言っていたことを箇条書きにして打ち込んだ。出来上がったリストを見て、歩は決意を固めるようにすっと息を吸い込む。


 どうやらこれで、真那の願いはちゃんと叶えることができそうだ。

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