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初恋オルゴールで君は再び蘇る  作者: いっしー
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いつかの初恋

 高校に入学してから最初の春も過ぎ、定期テストも何とか無事に乗り越えた頃、工藤歩が家に帰ると、ガレージにいつもの『あの音』が響いていた。


「なあ……」


 普段通りの声量で発した自分の声は、一瞬でドリルの音にかき消される。その音を操る相手といえば、目の前の鉄板に穴を開けていくことに夢中だ。相手に聞こえてないことをいいことに、歩はあからさまに大きなため息をつくと、彼は気を取り直してもう一度息を深く吸い込んだ。


「おい!」


 やっと自分の声はドリルの音の壁を越えたようで、相手は手に持っていたおっかない機材を止めると、こちらを振り返る。


「あ、歩帰ってきたんだ。おかえり!」

「おかえり! じゃないって……あのな、ここは俺の家だからな」


 呆れたように再びため息をつく彼の姿を見て、作業着を着た相手はニコリと笑う。


「もちろんわかってるよ。今日も、お邪魔してます!」


そう言ってペコリと丁寧に頭を下げる人物の名前は、住田真那。年は俺よりも一つ上。だいたい毎日、ここにいる。


「親父は?」

「あー、なんか萩原さんの車の調子がおかしいからって、さっき出て行ったよ」


「そっか」と返事をすると、歩はぐるりと周囲を見渡した。壁一面にかけられた機材に、自分の背丈よりもはるかに高い棚には、塗料やスプレーが所狭しと並べられている。車がゆうに三台は止められる家の一階のガレージで、父は個人経営の整備士をやっているのだ。


「戻ってくるまでは私が店番頼まれたんだ」

「え? それ、大丈夫なのかよ」


 あからさまに怪訝そうな顔をする歩を見て、「何よ」と真那は不服そうに声を漏らす。


「こう見えても、この前佐藤さんのバイク直したのは私なんだからね」


 えっへん、と聞こえてきそうなドヤ顔をかます彼女の動きに合わせて、左右に括った髪の毛が愉快そうに揺れる。歩は慣れた感じで、「はいはい」と受け流すと右手を軽く振った。


「あ、さては信じてないだろ」


 真那は両手を腰に当てると、くるりとした大きな瞳をわざと細めて頬を膨らます。その仕草だけ見れば、いかにも女子高生だが、来ているのは制服ではなく作業着だ。が、昔に比べると随分と様になったその姿に、歩は一瞬視線を奪われる。


 真那は近所に住む幼なじみみたいな存在だ。彼女の父親と俺の親父は車が共通の趣味ということで昔から仲が良い。その繋がりで、自分も幼い頃から真那のことも知っていた。


わりと有名な女子校に通いながらも、趣味で作業着を着こなす彼女は、かなり変わっている。


 真那は小さな頃から機械いじりが好きで、その為ここに来きてはよく工具やパーツを玩具代わりにして遊んでいた。


そんな真那の機械いじりはどうやら遊びのレベルでは飽き足らず、みるみるうちにその腕を上げていった。今では父と一緒に、車やバイクの整備をしたり、空いた時間にはガレージにある自分の作業台でいつも何かを作っている。


俺と同い年の妹がいるということで、世話好きな一面もある彼女は、昔から弟のような扱いでよく絡んでくる。


 ちなみに、そんな真那の口癖は、「いつか私は偉大な発明王になる!」という、まるで少年ジャンプの主人公に出てきそうなことをよく言っている。


 呆れた表情で立ち尽くす歩に、「あ、そだ」とけろりと態度を変えた真耶は、自分専用の作業台の上に置いてあった手袋のようなものを手に取った。「……何これ?」と、怪しむような顔をする歩に向かって、彼女はにんまりと満面の笑みを浮かべる。


「私の七つ目の大発明、血糖値が測れる手袋! これを両手に通すだけで、今日のあなたの血糖値がわかります」

「いいよそんなの計らなくて……。そんなこと言って、この前使ったやつみたいに俺が手を通したら電気とか流れるんじゃないの?」

「あれはちょっと調子が悪かっただけだよ。今回の発明は本物です」


 いや、結構です。と右手を上げて断ろうとすると、何を勘違いしたのか、「えいっ」と彼女が嬉しそうに無理やり手袋をはめてきた。


慌てて右手を隠そうとした時にはもはや手遅れで、なぜか俺の手にピッタリとはまった手袋は、フィット感と一緒に爽快感にしては強すぎる電流を運んできた。



「今回は上手く完成したと思ったんだけどなー」


 夕暮れが街の景色を赤く染める中、やっと本来のブレザー姿に戻った真那が残念そうに呟いた。


「先に自分で試せよ……」


 声を低めて返事をする歩が、わざとらしく左手で右手の甲をさすった。なんだか、正座し過ぎたみたいにまだピリピリしてる。


「ごめん! 今度は必ず成功させるから」


 両手を顔の前で勢いよく合わせて、真那が頭を下げて言った。少し茶色味かがった髪が、夕陽と混ざり合い、ほのかに朱色に輝いている。同じように、彼女の後ろにあるジャングルジムも、その輪郭を西陽と同じ色に染めていた。


「いやもう俺で試さなくていいって……」


 普段は子供たちの声で賑わっている公園も、この時間になると貸切で、自分の声がやけに大きく響くような気がする。


歩はやっと着慣れてきた学ランのポケットに両手を突っ込むと、ジャングルジムにもたれかかる。視線をすぐ左に向ければ自分の家が見えるし、そのままスライドさせて反対側を見れば、彼女の家の屋根がチラリと視界に映る。


ちょうどこの場所は、自分たちの家の真ん中ぐらいにあって、真耶が帰るときはいつもここまで送ることにしていた。


「近いから別にいいよ」と彼女はいつも言うのだが、幼い時から続けていたので、今となっては自分の日常の一部になっていた。


それは義務というより、もっと別の感情からくるものだと最近ようやく気づいたが、それを言葉にできるほど、まだ心の準備は出来ていない。


 ぼんやりと、山へと帰っていく鳥たちを見ていると、隣から上機嫌な鼻歌が聞こえてきた。もう何十回と聞いたことのあるそのメロディは、彼女が昔祖父から聞いたお気に入りの曲なのだそうだ。


そんな曲をBGMにしながら街の景色を眺めていた時、今度はクスクスという笑い声が聞こえてきた。


「なんか、やっと様になってきたね。それ」


 そう言って真那は人差し指の先っぽを、自分が着ている学ランに向けてきた。そのほっそりとした指先は、さっきまでいかつい工具を持っていたとは思えない。


「それ……褒めてんの?」

「褒めてるよ! なんか逞しくなったなーって思って」


 ニコリと白い歯を見せる彼女を見て、歩は思わず目を逸らす。さっきよりも少し赤くなった夕陽が、そんな彼の頬を染める。


「もう歩も高校生だもんねー。なんか不思議な感じ」

「俺は女子高生が趣味で作業着を着ている方がもっと不思議だと思うけど」

「えー、そんなことないよ。ぜったい他にもいるって」

「聞いたことないって、そんなの」


  呆れた口調で言葉を返す歩に、「そうかなー」と真那は一人ぼやいた。


「探せば絶対一人ぐらい仲間はいると思うんだけどなあ」

「仲間って……、あんなに嬉しそうにドリル回してる女子高生が他にもいたら怖いって」


 その言葉に彼女はわざとらしく拗ねるだろうと思ったが、予想に反して「あっ」と声を漏らした真那が嬉しそうに口を開く。


「今作ってるのは凄いんだよー! なんたって『全自動型ホワイトボード』だからね」

「なに? その変なホワイトボードは?」


 明らかに怪訝そうな顔をして眉間に皺を寄せる歩に、真那は嬉々として説明を始めた。それはつまるところ、書きたいことを声にすれば、代わりに書いてくれる仕組みだそうだ。


「あとねー、他にも今色々と作ってるんだ。ラーメンが美味しくできるようにお湯を注いでくれる電気ポットに、季節に関係なくお花が咲くライトでしょ。あ、あと歌うと充電ができるスマートフォンの充電器とか!」


もう何でもありだな……。歩はそんなことを思いながら、開けた口を開きっぱなしにしていた。それでも彼女は、まるで宝物を見つけたように目を輝かせながら開発中の発明品について説明を続けている。


「……ほんとよくそんなに色んなことが思いつくよな」


 そこまで褒めたつもりで言ったわけではないけれど、その言葉に真那は満足そうにニコっと笑う。


「そりゃ何たって発明家だもん。私に作れないものなんてない!」


 そう言って真那は自分の胸をポンと右手で叩いた。そんな彼女の気持ちを表すように、胸元にある青いリボンが楽しげに揺れる。


「そこまで夢中になれるってある意味凄いけど……ふつー女子だったら、恋愛とか、遊びとかそっちの方に興味持ちそうだけどな」


 呆れた口調で話す歩に、真那は人差し指で下唇をくいっと持ち上げると、「うーん」と考え込むように眉間に皺を寄せた。


「まあ確かに……恋愛とかはちょっと興味あるかな。ほら私、まだ好きな人できたことないからさ」

「え、そうなの?」


 驚きを含んだ声色で、歩は訝しむように彼女の顔を見た。そんな彼の額に向かって、真那はさっと右手を近づけると勢いよくデコピンを放つ。


「イテっ、何すんだよ」

「いま、『高校二年にもなって恋も知らないのか』って顔したでしょ」


 そう言って目を細める彼女に、歩は口を噤んだ。当たらずとも遠からず……というわけではない。むしろ、その話しを聞いてほっとしている自分が心のどこかにいた。


「はあ、私はいつになったら恋を知るのかしら」


 ドラマのような台詞を一人呟く真那に、歩はわざとらしく咳払いすると、言葉を選ぶように慎重に口を開く。


「やっぱり真那も、その……彼氏とかほしいと思うの?」


  少し間をあけて尋ねる歩に、真那は大きく首を縦に振る。


「うん、もちろん! 私だってこう見えて女の子だもん。そりゃ一度は好きな人を作って、デートのフルコースとか味わってみたいよ」

「デートのフルコース?」

「そっ、フルコース。ふつーに街で買い物したり、夏は花火大会に行ったり海に行ったり。あ、あと家でまったりなんかも憧れるかなー」


 次々と女の子らしい発言をする真那を、歩は物珍しそうな表情で見ていた。発明にしか興味がないと思っていた彼女だったが、意外と乙女チックな部分もあるようだ。


「それと……あの桜も一緒に見たいかな」

「あの桜?」


 彼女の言葉に歩が首を傾げる。真那はそんな彼の顔を様子を伺うようにチラリと見るとそっと目瞑り、「ううん、何でもない」と返事をした。


「あー、早くそんな経験を私にさせてくれる人が現れないかな」

「真那も意外と女の子らしいところあるんだな」


 そう言って歩はぷっと吹き出した。そんな彼を見て、「何よ」と少し怒った口調で真那が頬を赤らめる。


「じゃあ聞きますけど、そう言う歩くんは恋を経験したことあるのかな?」


わざとらしく丁寧な口調で尋ねる彼女に、「そりゃ……」と口を開きかけた歩は、咄嗟に目を逸らした。


「ほら歩だって知らないじゃん」

「俺は別に……」

「別に、なに?」


 真那はくりっとした睫毛を上下させて、彼の顔を覗き込む。彼女の黒い瞳に、戸惑う自分の姿が映る。


「何もないって……」


 ぼそりと歩が呟くと、真那がクスリと笑った。そんな二人の間を、初夏の匂いを含んだ風が通り抜ける。


「じゃあお互い、これから『初恋』を経験するわけか」

「なんだよ改まって」


  普段あまりしない会話のせいか、恥ずかしい気持ちを誤魔化すように、歩は大きく咳払いをする。


「だってそうでしょ? 恋はこれからたくさん出来ても、初恋は一回しか経験できないんだもん! これはもう、大切にしなければ」


 うんうん、と何度も深く頷く真那を見て、今度は歩が呆れたように口を開いた。


「だったらそれこそ得意の発明で、初恋を閉じ込める機械とか作ったらいいんじゃないの?」

「おっ、それ良いアイデアだね! 『初恋を閉じ込める』って、何だか凄いの作れそう!」


 嬉しそうな声を上げる彼女は、いつの間に取り出したのか、左手に握ったメモ帳に何やら書き込み始めた。こっちは完全に冗談のつもりで言ったのだが、どうやら彼女は本気にしてしまったみたいだ。


一人ぶつぶつと言いながら楽しそうにメモを取る真那を、歩は黙ったまま見つめていた。もし本当にそんな機械が存在するのなら、自分が閉じ込める気持ちの相手はもう決まっている。


「よしっ、これはまた凄い発明ができそうだ! 歩のアイデアのおかげだね」

「ほんとに作るつもりなのかよ……」

「当たり前じゃん! だって『自分の初恋を永遠に残せる』なんて素敵だと思わない? これが完成した暁には、私はもう日本のエジソンだね」


 いえい! とピースを向ける真那に、歩は何と答えればいいのかわからず、とりあえず返事の代わりに苦笑いを浮かべた。


「あ、そだ。歩もうすぐ誕生日だよね? だったらそれまでに完成させて、歩にも特別一つプレゼントしてあげるよ」

「え? いいって別に。また電気ビリビリとか嫌だし……」

「なっ、失礼な奴め。私の本気をなめるなよ! もう歩がビックリするの見せてやるんだから」


 ふん、とオーバーなくらい気合いを入れる彼女の姿を、歩は最初白けた目で見ていたが、今度は我慢できずに肩を震わせ始める。そんな歩につられるかのように、真那も同じようにぷっと吹き出すと笑い始めた。


何もかもがオレンジ色に輝く世界で、二人の笑い声がメロディのように響いていく。


歩は、夕暮れに浮かび上がる真那の姿を心に焼き付けるように、目を細めて彼女の方を見た。無邪気に笑う真那が始めて恋をする相手は、一体どんな人なのだろうか。もし、叶うのであれば……。


 悟られず、気づかれぬようにと歩はそっと目を瞑る。いつだって『今』を楽しんでいる彼女であれば、きっと恋愛だって夢中になって楽しめるに違いない。


いずれくるそんな日を想像しているのか、真那は笑顔のまま、どこまでも広がる空を眺めていた。それはまるで、いつか彼女が出会うであろう大切な人を見つめているかのようにも思えた。


 でも結局、そんな淡く甘酸っぱい真那の未来が、彼女の人生に永遠に訪れることがないことを、この時の俺はまだ知る余地もなかった。


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