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初恋オルゴールで君は再び蘇る  作者: いっしー
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もう一つの花火

「ねえ椿、歩くんとお祭り行かなくてほんとに良かったの?」


 フランクフルトを頬張りながら、水色の浴衣姿をなびかせて明日香が聞いた。その言葉に、「えっ?」と椿が驚いたように目を丸くする。


「なんで、私が歩と?」


 そう聞きながらゆらゆらと目を泳がせる椿を見て、明日香がぷっと吹き出す。その隣では同じように茉希と陽菜が笑っていた。


「だって椿、歩くんのこと好きじゃないの?」


 単刀直入で尋ねる明日香のセリフに、椿は顔を真っ赤にすると慌てて両手を振った。


「ち、違うよ! そんなことないって」


 ぎこちなく否定する椿に、今度は茉希がわざとらしくため息をついた。


「もう、椿はほんとに素直じゃないんだから。こーんな可愛い浴衣姿を見せれるチャンスなんて滅多にないんだよ」


 茉希はおどけた感じでそう言うと、椿が着ている浴衣の袖をぎゅっと掴んだ。


淡いピンク色の生地に、暖色系の花模様が散りばめられた袖が、風に吹かれるようにひらひらと揺れる。


「茉希まで変なこと言わないでよ」と椿が頬を膨らませた。


「私はねー、可愛い椿の恋の行方を心配してあげてるんだよ。椿は引っ込み思案なところがあるからさ」


 茉希の言葉に同意するように、「そうそう」と二人も大きく頷く。


「だから違うって」と困った表情を浮かべる椿の頬が、浴衣の花びらのようにますます赤く染まった。


「そんなこと言っちゃって。さっきの花火だって、ほんとは歩くんと見たかったんじゃない?」


 今度はぐいぐいと肘を押し付けながら明日香が言ってきた。


つい先ほど終わったばかりの花火の第一パートの余韻を胸に残しながら、椿は「もう」と言って星が輝く空を見上げた。


明日香が言う通り、空に咲き誇る花火を見ながら心に浮かんだのは、歩の姿だった。


 歩も、今日の花火を見に来てるのかな?


 椿はそんなことを思い、小さく息を吐き出した。


歩とは小学生の時に一度、家族同士でこの花火を見に来たことがあった。


その時は、自分と真那の三人で屋台を回ったりしていたので、二人で来たことはまだない。


それに、あの時から歩は真那と仲が良かったので、私はどちらかと言うと二人に付いていくような感じだった。


花火が打ち上がる音を聞きながら、目の前で歩と仲睦まじくふざけあう真那の姿を見て、羨ましく思っていたことは今でもはっきりと覚えている。 


 一人物思いにふけている椿の頬を、明日香がぴっと人差し指で突いた。


「なーに一人で考えてんの? ほら、もうすぐ次の花火始まっちゃうよ」


 そう言って明日香が指差す方向には、足早に次の会場へと向かう茉希と陽菜がこっちに向かって手を振っている。


「ちょっと待ってよ!」と椿が足を踏み出そうとした時、ふいに明日香が彼女の腕を掴んだ。「わっ」と椿は思わず声を漏らす。


「ねえあれ……歩くんじゃない?」


「え?」


 明日香の視線に合わせるように椿も同じ方向を向くと、川辺へと繋がる階段から上がってくる歩の姿があった。


「ほらやっぱり歩くんだ。もしかして一人なのかな?」


 そう言って明日香はにやにやとした笑みを浮かべると、意味深な視線を椿に向けて彼女の肩を叩く。


「チャンスだよ!」と耳元で呟く明日香の言葉に、「でも……」と椿は戸惑った表情を浮かべた。


「だーいじょうぶだって! 茉希と陽菜には私から説明しておくから。ね?」


 明日香はウインクすると、急かすように椿の背中を押す。


「ちょ、ちょっと明日香ったら……」


「ほらほら、早くしないと恋のチャンスが逃げちゃうよ!」


 えいっ、と友人に軽く背中を叩かれて、椿は諦めるようにため息をつくと、歩がいる方へと足を踏み出した。


突然の展開に、不安げな表情でチラリと明日香の方を振り向くと、彼女は「頑張ってこい!」と両手を振っている。


もう、と小さく頬を膨らませた椿は再び前を向くと、歩の背中を見た。


誰かを探しているのか、それとも待ち合わせしているのか、どうやら今は本当に一人のようだ。


 椿は巾着を握る両手にぎゅっと力を入れると、早まる呼吸を落ち着かせようと大きく深呼吸した。なんだが、帯に締められた身体がさっきよりもキツく感じる。


胸の奥で大きく太鼓を叩く心臓を、カランカランと響く下駄の音で誤魔化しながら、椿は少し歩調を早めて歩の後を追った。


 提灯や屋台の光がそう見せるのか、少し前を歩く彼の背中は、なんだかいつもより大きく感じた。


昔、一緒にお祭りに来た時は私とそんなに変わらなかったのに。流れた年月の分だけ、彼の背丈と、私の気持ちは大きくなった。


 椿は、歩を見失わないように少しだけ早足で近づいていく。


いつもなら気軽に話しかけれるはずが、明日香たちにからかわれたせいなのか、なぜか妙に緊張してしまう。


 声を掛けたら、何を話そう。


 そんな考えばかりが、どこまでも続く屋台の光のように、ぐるぐると頭の中を回ってしまう。


人混みに消えていきそうな歩の背中を見て、このままだといけないと思った彼女は、すっと短く息を吸った。


「歩!」


 喧騒の中を椿の声が駆け抜ける。その声に気づいた歩が静かに立ち止まった。


「椿……」


 振り返った彼に話しかけようとした時、椿は口元まで出かかっていた言葉を、再び喉の奥へと押し込む。なんとなく、いつもと歩の様子が違うような気がしたからだ。


 彼女は胸元でぎゅっと巾着を握りしめると、全身に熱が帯びるのを感じながら、ゆっくりと口を開く。


「歩もお祭り来てたんだね」


「まあな……」


 彼はそう呟くと気まずそうに目線を伏せた。椿が不思議そうに首を傾げる。


「歩は、誰と来てるの?」


 彼女の質問に歩は一瞬目を瞑った。そして小さく息を吐き出すと、言葉を探すようにおもむろに口を開く。


「一人だよ。ちょっと祭りの雰囲気でも味わおうと思ってな」


「そうなんだ」


 一人、という彼の言葉に椿の胸が思わず高鳴った。ドクンと聞こえてきそうな心臓の音を隠すように、彼女はひとつ咳払いをした。


 頭の中では、さっき聞いたばかりの友人からの声援がリフレインする。


「椿は誰と来てるんだ?」


 その言葉に椿はハッと我に返った。


「私は明日香たちと来たんだけど、今は……」


 もじもじと指先を絡めながら話す椿の声が途中で途切れた。今度は歩がそんな彼女を見て、不思議そうに首を傾げる。


僅かな沈黙が、椿の心臓の鼓動を早めていく。


 彼女は覚悟を決めるように深く息を吸った。喉を通る祭りの熱気が、自分の頬を余計に熱くする。


肺にたっぷりと含んだ空気を勇気に変えて、椿は自分の想いと一緒に吐き出した。


「あ、あのさ……もし良かったら、一緒に花火観ない?」


 震えそうになる声を我慢して椿が言った。


「え?」と歩が少し驚いた表情を見せる。恥ずかしさのあまり、幼なじみの顔を見れなくなった椿は目を伏せた。


足元には向き合うように並んだ二人のつま先。その片方が、少し距離を取るようにゆっくりと動く。


「ごめん、俺は帰る。それに、明日香たちと来てるんだろ? 邪魔しちゃ悪いし」


 歩はそう言うと、椿に背を向けようとした。慌てた彼女は、チクリと痛んだ胸を誤魔化すように笑顔を作ると、精一杯の明るい声を絞り出す。


「それなら大丈夫だよ。明日香たちなら……」


「だからいいって」


 彼の冷たい言葉が、椿の話しを遮った。


 喉の奥へと追いやられてしまった感情が、ジワジワと胸の中で痛みを放ち始めた。


先ほどまで熱を帯びていた彼と出会えた喜びが、音も立てずに崩れ落ちていく。それを必死に繫ぎ止めるかのように、彼女はぎゅっと唇を噛む。


 消えていく笑顔を見せないようにと顔を伏せると、買ったばかりの浴衣が視界の中で惨めなほどに滲んでいく。そっか、という簡単な返事の言葉でさえも、乾いた喉を通らなかった。


 その様子を見ていた歩が、気まずさを振り払うかのように咳払いをする。


そして、「じゃあ……」と言って立ち去ろうとする彼の背中に向かって、椿がふと口を開いた。


 お姉ちゃんとなら観たかった?


 思わず口にしてしまった言葉を覆い隠すかのように、ドンと頭上で大きく花火の音が鳴り響いた。


二人の間に流れる沈黙を、空から降り注ぐ赤黄色の輝きが埋めていく。


再び周りで沸き起こる歓声が、椿の中でどこか遠い場所の出来事のように思えた。


「え?」と首を傾げてこちらを見る歩に、椿は黙ったまま背を向けると、何も言わずに歩き始める。


「おい、ちょっと待てよ」と歩の声が喧騒の中に響くも、それはもう彼女の心には届いていなかった。


込み上げてくる激しい痛みを伴う後悔が、その足取りを弱々しく映す。抑えることができない感情は、悔しさも飲み込んで頬を伝って流れ落ちた。


嗚咽となって漏れる彼女の声は、闇空で咲く花火の音によってかき消される。


 立ち止まることも、友人のもとへと戻ることもないまま、椿は一人暗い帰り道へと向かっていった。



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