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Black Maiden 3

 キティ、この葉は薬草になるのよ。傷によく効くわ。こっちは猛毒だから、不用意に触っては駄目よ。そうして、彼女はマリーに薬草の知識を与えてくれた。薬や毒に詳しい彼女は、各地を旅して歩く一族の末裔なのだという。例の毒蜂蜜の知識も彼女から聞いたものだ。少し浅黒い肌は、彼女の美貌と相まって神秘的な印象を与えた。彼女は、組織に受け入れられたマリーの面倒をよく見てくれた。ナイフの使い方も彼女から教わった。攻撃の仕方も、身の守り方も、全て彼女が教えてくれた。

 ベッドに眠る女性の顔を見つめて、マリーは彼女の名前を口に乗せた。

「ラヴィ」

 ラヴィニアというのが彼女の名前で──キティと同様に本名ではなくボスがつけたコードネームのようなものだったと思うが──、皆は彼女を“ラヴィ”という愛称で呼んでいた。

 マリーの呼びかけに反応したかのように、女性は目を開けた。そしてベッドサイドに座るマリーを目にすると、「キティ…」と呟き、何度か瞬きを繰り返した。

「……そんなわけないわね。ごめんなさい、知っている人に似ていたものだから」

 どうやら彼女は意識がはっきりと戻り、マリーと“キティ”が同一人物ではないと認識したようだ。

「ラヴィ、私、キティよ。今はメアリーっていうの」

 マリーがそう名乗ると、ラヴィニアは目をしばたたき、半信半疑の目を向ける。髪は当時かつらを着けていたのだとマリーが言うと、髪の色の違いに納得したようだった。

「キティなの? 本当に?」

「ええ」

「よかった。無事だったのね」

 マリーは頷いた。組織から逃げ出す時、一番に手を貸してくれたのは、ラヴィニアだったのだ。マリーは手短に組織を抜けた後のことを話し、今は看護婦をしていると説明した。

 トントン、と控えめなノックの音がして、マリーが応えるとロイが姿を見せた。ラヴィニアが目を覚ましているのを見ると「気が付きましたか」と声を掛けて近づいた。医師であると自己紹介したロイは、ラヴィニアの脈を取り、彼女の状態を確認した。

「出血が多かったので、しばらくは安静が必要ですが、大丈夫でしょう。警察の質問には答えられそうですか?」

 ラヴィニアが頷くと、ロイはアークライトを呼んでくると言って部屋を出て行った。

「……今のが、あなたの大切な人?」

 ロイが出て行ったドアを見つめながらラヴィニアが訊いた。マリーが彼女と一緒にいた時、マリーの口からロイのことを聞いたことはなかった。だが、ボスがアジトにしていた邸を抜け出して、マリーが誰かに頻繁に会いに行っていたのは知っていた。そしてそれが、特別な存在であることには気付いていたのである。

 頷いたマリーから、今は彼のもとにいると聞いたラヴィニアは安堵したような顔を見せたが、次の瞬間には表情を曇らせた。

「…気を付けて、キティ。ボスはこの近くにいるわ。あなたが他の男のところにいるなんて知ったら、ボスが黙っているわけないわ」

「もしかして、ラヴィ、その傷…」

 ハッとしてマリーはラヴィニアを見た。

「そう、ボスよ。カメリアもヴィオラも、マルグリットもボスに殺されたのよ」

 彼女たちは、マリーが組織から逃げ出すのを助けてくれた少女たちだった。ボスの特にお気に入りだった“キティ”は、少女たちから同情されたり嫉妬されたりしていた。どちらの感情を抱く少女も、マリーが組織を抜けることには賛成し、彼女の逃亡を結果的には手伝ってくれた。ラヴィニアをはじめとする四人は、特にマリーに同情的で、中心となってマリーの逃亡を手伝ってくれたのだ。

「“ブラック・キャット”と呼ばれる事件があったでしょう。あの被害者は、カメリアとヴィオラよ」

 被害者は若い売春婦と聞いたが、まさか組織にいた少女たちだったなんて。組織からマリーが逃げたあと、ボスを崇拝する少女たちは組織に残り、それ以外の少女は逃亡したのだとラヴィニアは説明した。そして、ラヴィニアやカメリアたちも組織を抜けたのだが、身寄りのない若い娘にできる仕事は限られており、多くの少女は売春婦になったのではないかというのがラヴィニアの予想だった。ラヴィニア自身は、薬草の販売やタロット占いで生計を立てているという。

「そのことは、この間マルグリットに会って知ったの」

 組織を抜けたあと、ラヴィニアは一人、旅に出たのだが、カメリアたちはしばらく一緒にいたようである。マルグリットの話では、その後バラバラになったのだが、時々街で会うことはあり、時々は連絡を取っていたのだという。

「そのマルグリットも、先日殺された」

 それが、アークライトが言っていた“ブラック・キャット”の第三の事件ということか。

「ボスは、自分の側を離れる者を許さない」

「でも、そんな…ひどい…」

 残忍な男であることは、知っているつもりだった。だが、その一方で淡白なところもあり、他人にそれほど執着するということは、マリー以外にはしていないように思えた。だが、あの男は自分のルールにこだわる男だ。自分のルールにそぐわない者は、『悪』として成敗してきた。彼の認定する『悪』を裁くために作られたのが、少女たちの暗殺集団「メアリー・ブラッド」だったのだから。

「キティ、気を付けて。ボスは、あなたを奪うためなら、あなたの大切な人を傷つけることなんて、何とも思わない男よ」

 頷きながら、マリーはとうとうこの時が来てしまったと思った。あの男に見つかった瞬間から、彼がロイのことを知るのは時間の問題だった。そして、ハートネット邸に現れたのは、知っているぞという一種の脅しなのかもしれない。あの男なら、邪魔となれば躊躇なくロイを殺すだろう。

 彼の側を、離れなくては。ロイの側から離れて、どこかへ逃げなければ。ロイを、喪ってしまう。

 ロイの側を離れることは、今のマリーにとって苦痛以外の何物でもない。心地好い彼の側に、ずっといたい。ギュッと抱きしめて、優しい笑顔を見せて欲しい。今、彼の側を離れることは、彼を失うことに等しい。

 でも、彼を喪うわけにはいかない。彼の命が奪われた時は、きっと、マリーの心が死ぬ時だ。

 マリーの思考を、ノックの音が遮った。ロイがアークライトを連れてきたのだろう。ラヴィニアがマリーの腕に触れた。「大丈夫、組織のことは話さないわ」そう言うラヴィニアに頷いて、マリーは返事をした。予想通り、アークライトがロイとともに部屋に入って来た。

 ラヴィニアに彼女に傷を負わせた者についての質問をするアークライトの近くで、マリーはそっとロイの横顔を盗み見ていた。


 ───離れなくてはならない。ロイを、守るためには。


 ラヴィニアはしばらく入院することになった。ロイの医院には入院施設はないので、警察が入院先を用意してくれた。重要参考人ということで、厳重に警備もされるというから大丈夫だろう。

「服が汚れてしまったね。新しいものを用意しないと」

「大丈夫よ。まだ前に買ってもらったものがあるわ」

 アークライトが用意してくれた帰りの馬車の中で、ロイは血が付いてしまったマリーの服を見て言った。ペチコートも破ってしまったので、確かに新調する必要はあったのだが、当たり前のようにそれを用意しようとするロイに、マリーは首を左右に振る。ロイの気持ちは、嬉しい。だが、側を離れるのだから、甘えてはいけないと自分に言い聞かせる。

「でも、」

「あんまり私を甘やかさないで、ロイ」

「僕は君を甘やかしたいんだよ」

「……っ!!」

 唐突に吐かれる甘い言葉に、マリーは赤面して絶句する。ロイの表情が普段と変わらないところを見ると、深い意味を持って発した言葉ではないのかもしれない。でも、マリーにとってそれは、甘い誘惑でしかなかった。

 向かいに座るロイにそっと手を伸ばす。ロイはマリーの意図を理解してなのか、無意識なのか、伸ばされたマリーの手を取る。その途端、ガタンと音がして馬車が激しく揺れた。進行方向を向いて座っていたマリーは、つんのめるようにして前に座っていたロイのほうに放り出される。ロイは体でマリーを受け止め、マリーが転ばないように抱きとめた。

「大丈夫かい、マリー?」

 ロイの隣に座る形になったマリーは、怖がるふりをしてギュッとロイに抱きついた。ロイの手が、優しいリズムで背を打つ。子を宥める母親のような手つきに、マリーは泣きたくなる。と同時に、心地好い温かさに涙が出そうになる。

 この温もりを手放すなんて、できない。でも、この体から温もりが奪われるなんて、耐えられない。



 マリーはロイの側を離れようと決めた。このままでは、ロイに害が及んでしまう。いなくなる理由を話せないから、黙って姿を消すことになってしまうけれど。代わりの看護婦も紹介しないでいなくなったら、迷惑を掛けてしまうけれど。

 ……ロイは、心配するだろうか。それとも自分勝手な奴だと責めるだろうか。どちらでもいい。少しの間だけでもロイの記憶に残っていられるのなら。なんて、自己満足も浮かんでは消える。

 けれど、せめて、ロイにほんの少しくらいお礼がしておきたいと、マリーは先日買いそびれたロイへのプレゼントを買った。先日買い物ができなかったからと再びリリーローズが誘ってくれたのだ。この友人とも、一緒に出かけるのはこれが最後だとマリーはリリーローズとの外出を楽しむことにした。

 そして、このプレゼントをロイに渡したら、自分は姿を消そう。ちゃんと話していけないのが心残りだけど、仕方がない。散々お世話になったヴァンシタート伯爵にも挨拶の一つも出来ないのが申し訳ないけれど。

 プレゼントを手に店を出たマリーの前に、一つの影が差した。見上げると、アッシュブロンドの男が優しげな笑みを浮かべている。

「迎えに来たよ、キティ」

 男は、約束を違えなかった。今まで来なかっただけ、有り難く思ってもいいほどなのかもしれない。だが、そんなことで有り難く思うほど、マリーの心に余裕はなかった。マリーをこの男から逃がすために、友人たちは犠牲になったというのに。今、ここで自分が捕まってしまったら。「気を付けて」と警鐘を鳴らしたラヴィニアの顔を思い浮かべる。

「リリー、お願い、これをロイに渡して」

 リリーローズにプレゼントの箱を押し付けて小声で言うや否や、マリーは全力で走り出した。男の脇をすり抜け、まるで猫が疾走するかのように素早く駆け抜ける。

「キティ!」

 男はすぐさま後を追った。

「マリーを守って! 行って、早く!」

 リリーローズは護衛の男たちに後を追わせた。護衛たちは一人をリリーローズの側に残し、他はマリーと男を追いかけた。


 しばらくして、戻って来た護衛たちは、疲れきった顔で「申し訳ありません、お嬢様」と頭を下げた。護衛たちの話では、路地を入ったところでマリーは男に捕えられてしまったという。護衛たちはあと少しで追い付きそうだったのだが、男は人ひとりを抱えているとは思えない俊敏さで塀を乗り越え姿を消したのだ。しばらく辺りを探しまわったが、男もマリーも見つからなかった。

「…ヴァンシタート邸へ行くわ。それから、ロイ先生に使いを出して」

 リリーローズは事態の対応のためにルーファスに報告することにした。そして、当然そこにはロイも呼ばなくてはならない。

 自分が一緒にいながら、こんなことになるなんて、とリリーローズは自分を責めたが、それでは解決しないことを彼女は知っていた。マリーを助けるための方策なら、きっと見つかるはずだ。そう自分を叱咤してルーファスの元へ急いだ。



 上品な仕立ての外出着は、運動には向かない。マリーはこんな時に限って外出着を着ていたことを後悔した。フリルの利いたペチコートが足にまとわりついて上手く走れない。膝辺りで少し絞った形のドレスも走るのを邪魔する。

 すぐ後ろに、ボスの気配を感じてマリーは必死に走った。路地に入ったところで一度捕まり、抱えられて塀を越えたのだが、再びその手から逃げて走り出したのだった。後を追ってきてくれていたリリーローズの護衛たちも、巻いた形になってしまっていた。

 ぐい、と後ろから腕を引っ張られ、マリーは捕えられたことを知る。

「逃がさないよ、キティ」

 男の腕の中に閉じ込められ、マリーは荒い息を吐いた。息が上がって抵抗の声も出せなかった。

「やっと見つけた、僕のキティ」

 マリーの頬を撫でながら、うっとりと微笑むその様子は、場合によっては少女たちが憧れる王子様のように見えたかもしれない。けれど、マリーはキッと相手を睨みつけた。

「触らないで」

 やっとのことで呼吸を整えたマリーは、拒絶の言葉を吐き出す。

「これ以上私に触れたら、舌を噛み切って死ぬわ」

 サファイアの瞳が黒く凍るほどの怒気を込めて、マリーは脅しの言葉を口にした。

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