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信用

やっぱりダメなのか。


俺は咄嗟にトイレに駆け込んだ。トス、トス、と足音が響く。

部屋は蒸し暑いのに、身体の震えがとまらない。


どうかこのまま、去ってくれないだろうか。

ありえないことだとわかっていても願わずにはいられない。けれども足音はずんずんと近づいてくる。


──ガチャガチャガチャ

誰かがトイレのドアノブを回した。俺の鼓動がいっそう大きくなる。


もう、だめなのか。

特に実りのある人生でもなかった。家に帰ってもスマホをいじって寝るだけ。生きてやりたいこともない。それでも死ぬかもしれないと思うと、こんなにもこわい。


死にたくない。今はそれしか考えられない。


「寿なのか?」

辻の声が聞こえる。

「出てきてくれよ。米川さんになってしまったってどういうことなんだ?」


辻は、わかってくれたのだろうか。自分でもバカバカしいと思えるこの状況を、当事者ではない辻は理解できたのだろうか。

「さっきの話で寿だってわかったんだ。なあ、ここを開けてくれないか?」


辻の言葉を聞いた俺は、そして少しの間をおいて、扉を開けた。

隠れていたってすぐに捕まるだろう。送り人である俺はそれを痛いほど知っていた。

なによりも俺は、この希望を、辻を、信じたかったのだ。


扉の隙間から顔をあげると、辻は優しく微笑んでいた。


----------


今、俺は寿命管理局センターの職員休憩室にいる。

長机と椅子が並ぶある簡素な部屋で、十二時前の今は人がまばらだ。米川さんの姿である俺は場違いな老人なので、職員にチラチラと見られて居心地が悪い。


辻との会話を思い出す。

「難しいかもしれないけれど、上司にかけあってくる。それまで休憩室で待っていてほしい」

そう辻は言っていた。

こんな異常な状況で力になってくれる人がいる。なんて心強いのだろう。そう思うと自然と頬がゆるんだ。


辻を待つ間、特にやれることもない。伸びをしたり、サーバーからお茶を汲んで飲んだり、ぼーっとテレビを眺めたりしている。今放送している番組はワイドショーのようだ。テレビから有名女性アナウンサーがにこやかにしゃべっている。


「今日、八月一日は水の日ということで、海水浴場の特集です」


──耳を疑った。

聞き間違いか、それともこの番組は日付を間違っているのだろうか。


昨日は確か七月三日だった。


そして米川さんは『明日迎えがくる』と言っていたはずだ。

それに俺は辻に『昨日一緒に飲みに行った』と行った。もしも今日が八月一日ならばさっきの俺の話は辻褄が合わなくなる。


……聞き間違いだったのだろう。そう思いたい。


背後で待機室の扉が開く。そこには辻がいた。

見渡す。目が合った。辻はヘラヘラしながらでゆっくりとこちらに歩いてくる。


「いやぁ~まだ時間がかかりそうでさ。十二時になったらここも職員でいっぱいになるし、移動しないか?」

俺の目の前に来るなり辻は言った。


どきりとした。何故辻はこんな提案をするのだろう。確かにお昼時は職員がここに集まる。だが椅子は職員の数よりも多いし、ピークの時間帯でも座れなくなるということはない。


俺の暗い表情を見た辻がこう続ける。

「ここだと人目につくし……寿も見世物みたいになるのは嫌だろ?」


……そうか、辻は気遣ってくれただけなのだ。

先ほどの聞き間違いが俺の疑心を強くしていたようだ。


「そうだな。俺としても米川さんの姿で衆人環視のなかにいるのは抵抗がある」

俺はそう言って辻についていくことにした。


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