殺してでもやらねばならぬことがある。
目の前に横たわる獣人メイドを見て、俺は無理やり気持ちを殺す。
「お前は俺のポイントだ」
自分自身に言い聞かせるように口を開き、手にした聖剣に光の魔力を集中させる。
俺は勇者だ。
世界を救う義務がある。
光の勇者としてこの世界に転生してからずっと、アルドラード神聖国を救ってきた。
そして、勇者アキラとしてではなく、光原輝としてやらなければならないこともある。
「お母様……。約束……」
生きることを諦めた彼女が発した朧げな声に俺は数瞬だけ目を逸らしてしまう。
彼女を見ていたら思い出してしまいそうだったから。
それでもやる事は変わらない。
あとは剣を突き刺すだけ。
俺はゆっくりと彼女の心臓の上へと剣を運びながら視線を戻すと、
「よそ見、ダメ」
大振りのナイフが俺の首筋を斬り裂いた。
「ぐあっ」
ナイフが喉に刺さったりなどはしなかったが、俺の聖剣のように淡く白色に発光した刃の威力までは完全に防げなかったようで、久方ぶりに感じる衝撃につい声が漏れてしまう。
一瞬だけだが視界に移ったのは雪色をした耳。
恐らくさっき最上階で見たウサギの獣人だろう。
「このっ!」
俺は慌ててウサギの獣人が消えた背後へと振り向くと、剣先が右目に向かって迫ってきた。
「うおっ」
慌てて顔を左に逸らしたが剣先が耳上を滑る。
能力の加護でダメージはないが、剣先が襲ってくる迫力は心臓に悪い。
今では勇者なんかやっているが、元はただの高校生なんだ。この世界にくるまで剣だって握った事はない。
「こっち」
すでに俺から距離を取っているウサギ獣人がドヤ顔でこちらを挑発した。
「ナメんなっ!」
地面を抉りながら飛び出した俺は一歩でウサギ獣人へと近寄る。
しかし、ウサギ獣人へと剣を構える前に距離を取られてしまった。
「逃げんなよっ!」
速さ的に遅れているということはない。
だけど、優っているわけでもないので逃げ回るウサギ獣人に剣は届かなかった。
「やだ」
子供のように首を振る彼女はさらに逃げる。
「この……やろっ……」
ムキになって追いかけようとするが、そこで彼女の狙いが俺ではないことに気づく。
「……っ」
しかし、慌てて背後を振り向いた時にはすでにメイド獣人が消えていた。
たしか他にも数名のメイドがいたはずだから、そいつらが助けたのか。
まんまとウサギ獣人に気を取られたな。
再度ウサギ獣人の方へ目を向けると、彼女はすでに砦の城壁を超えていた。
「くっそ……。油断したな……」
イチヤって相手が弱かっただけにメイド獣人に手間取るとは思っていなかったのが原因か。
そこそこ強いのは分かっていたのだから手早く倒せばよかったんだ。
「……女じゃ無ければやりやすいんだけどな」
誰も聞いていないのに言い訳を口にした。
この世界で一人になってから独り言が増えた気がする。
よく喋る奴がいたのに、今はもういないからだろうか。
「いっつ……」
戦闘が終わったことで脳内麻薬が切れたせいか、喉元に痛みを感じた。
聖剣を鞘にしまってから喉元を触ってみると血が指に付着する。
血が出ているらしい。
といっても、大量に流れているわけではなく、軽く皮膚が切れただけだろう。
「怪我したのなんて、久しぶりだな……」
そんなことを考えて、思い出したくない出来事を思い出す。
俺が弱かったせいで死なせてしまった彼女の笑顔は今でも鮮明にまぶたの裏に映る。
「ミウ……」
俺にはゴールドが必要なんだ。
なんとしてもゴールドを集めてミウを生き返らせる。
それが今、俺が望んでいることだ。
あと数千ゴールドで目標の一万になる。
あの獣人の口ぶりから他にも仲間がいるのだろう。
あいつらを殺せばそれでゴールドが溜まる。
もしかしたらそれで目標に到達するかもしれない。
「次は逃がさない……」
白いウサギが消えた城壁の先を睨むように俺は呟いた。