狼は紡いだ約束を忘れることはない。
石材の床を砕きながら突撃してきた勇者の攻撃は光の軌跡を残す程に速いものでした。
「ユイカ様には感謝しなきゃいけませんね」
蒸気の如く迸る魔力が溢れ出した両脚を見て呟きます。
支えていたはずの屋根がなくなり寂しく空へと伸びるだけとなった柱へと張り付いた私は、新しく得た脚を頼もしく思いながらも吼えた。
「うるさいなぁ……。犬はあんまり好きじゃないんだよ」
ゆっくりと振り返った勇者は私をターゲットにしたくれました。
フラフィーと妹達はちゃんと逃げれたようですね。
「お前、一人で勝てると思ってるの?」
「人間の首筋に噛み付くだけなら私一人で十分ですよ」
久しぶりに四つ脚で行動します。
これではメイド失格ですね。
品というものがありません。
こんな姿をしたとなると、帰ったらお父様に叱られるでしょうか。
「捨て駒の癖に。負け犬はなんとやらだな」
「私は狼です」
「かわんねぇよ!」
勇者の振るった剣から光の波動が飛ばされました。
「大違いですよ」
作戦前にお父様も仰っていましたが、転生者というのは化け物ばかりのようですね。
先程まで留まっていた柱が粉々に砕けたのを見て心底そう思いました。
「ちっ、四つん這いのその姿は威嚇する子犬にしか見えねぇんだけどな」
攻撃が当たらないことに苛立ちを表しながらこちらを罵倒してくる勇者。
「可愛い子犬はお嫌いですか?」
「……くそっ。うるせぇよ!」
何かを思い出したのか勇者は怒りを露わに剣を振るいました。
「逃げてばっかりかよ!」
飛来するいくつもの光の波動を避けきるも、少しづつ追い詰められていることは分かります。
勇者は悪態をつきながらも、しっかりとこちらを最上階の隅へと追いやっていました。
狩りとしては満点ですね。
狩られてるのが私じゃなければ楽しいんでしょうけど……。
「逃げなきゃ死にますから」
私はせめてもの意地でメイドのように笑みを作りました。
庭に降りれたらいいんですが、降りようと足場のない空中に出た瞬間に格好の的になります。
「おめーは誰の手下なんだ?」
一歩づつ確実ににじり寄ってくる勇者が問いかけてきました。
「お父様の娘です。手下なんて陳腐な関係で語らないでもらえますでしょうか」
「能力使って獣人にお父様なんて呼ばせてる辺り、ただの変態だけどな」
「残念ながらまだ手は出されていませんよ」
お父様が己の欲望に忠実な変態様であったのなら望むべくもないんですが……。
「ロリっぽいウサギもいたし、絶対変態だろ」
「私達よりお気に入りのようですから、確かに変態かもしれません」
「ロリコンかよ、お前のご主人様は」
「可愛いところもあるんですよ」
ずっと会話だけで時間が稼げれば望ましいです。
相手の情報を引き出すために残ったんですから。
「お前もすんなりポイントになってくれたら……可愛いんだけどな!」
「っ!」
勇者による横一文字の薙ぎ払い。
剣から溢れ出た光の波動で視界が真っ白になります。
斜め下に撃たれた勇者の攻撃はこちらの逃げる方向を絞るためのものでしょう。
そうと分かっていても私は後ろへと飛びました。
他に逃げ場はありませんでしたから。
本当に、狩りの上手なお方です。
「死ねやぁ!」
砦の最上階から空中へと跳ねた私を追いかける形で勇者が石材の床を蹴りました。
深い蒼と鮮やかな紅に装飾された聖剣は光を纏い、光の粒が空に一筋の線を描きます。
「だから――」
狩りは楽しいのです。
私は今、牙の覗く笑みをしているのでしょう。
目の前に剣を上段に構えた勇者が近づいてきました。
私はユイカ様に貰った左脚で強く空気を、
――蹴ります。
通常なら抵抗なくすり抜けるはずの左脚は、一度だけ乾いた破裂音を鳴らして空気を掴みました。
数瞬前まで私がいた空間を光の奔流が斬り裂きます。
勢いのままに背中を見せた勇者へと、私は右脚を使い空気を蹴りました。
《加速機構・空》と呼ぶらしいです。
お父様の提案でユイカ様が新しく取得したスキルが役に立ちました。
私は勇者の背中に巻きつきます。
両手でそれぞれ肩を抑え、脚で太ももを縛れば相手は動けません。
「グゥアウ!」
メイドとは程遠い、獣の呻きで勇者の首に噛みつきました。
ホウキ雲が流れる空の下で勇者の首筋から鮮血が――、
「残念だったな」
舞い散りません。
「ングゥ!? グゥア!」
ありったけの力を込めて噛み付いても勇者の首筋に歯が刺さりませんでした。
勇者は重力に引かれ落ちていく中で笑います。
「神聖国の民が俺を想っている限り、俺は最強なんだよ。剣は輝き、身体は加護で守られる」
勇者に巻きついたまま強く地面に叩きつけられました。
「――っくあ!」
私は肺の空気が押し出されるような強い衝撃に喘いだのに、勇者は飄々とした顔で立ち上がります。
「お前は俺のポイントだ」
勇者の剣が眩いばかりに輝きました。
迫る死を目の前にしても身体は言うことを聞いてくれません。
「お母様……。約束……」
こんなことならば、ユイカ様に両腕も冷たくして貰えばよかったでしょうか。
そうすれば、そうすれば約束を守れましたかね?
私の問いかけに答える声はなく、世界は無残にも白く染まりました。