人の手は、なんだってできるんですよ。
締め切られていたカーテンを紐でむすび、昼を過ぎた高い太陽の光が部屋に入るように窓を開けた。
「おはようございます、お母様」
私がまだ覚醒しきっていないお母様に挨拶をすると、いつも眠たい返事が返ってきます。
「……センパイ?」
ですが、ここまで寝ぼけた返事は初めてかもしれませんね。
「お母様、残念ながら私はお父様ではありません。事後の余韻は宜しいですが、覚醒したのでしたら少々身の回りにも意識を回してくださいませ」
「テテ……?」
眠たそうに目をこすっていたお母様が一度周りを見渡してから自分の体へと視線を落としました。
幾ばくかの間。
「ふ、ふくっ!」
そこでやっと自分が裸なのだと思い出してくれたのか、お母様がシーツを首元まで被りました。
お母様は少々ぬけているところがあるのですが、そのくらいのほうが世話のやりがいもあるというものです。
「お召し物はご用意しておりますが、先にお体をお拭きしましょう。お父様のご寵愛で包まれていたいと仰るのでしたらそのままでも宜しいですが……」
「っ!?」
お母様の顔が真っ赤に染まり上がりました。
バレていないとでも思っていたのでしょうか。
壁が何枚あろうとも、我々グレイウルフの耳を持ってすれば屋敷の外からでも聞き取れてしまうんですよ。
「体を起こしてくださいまし」
湯を染み込ませた布を絞り、お母様へと見せます。
すると、お母様は悩んだ末に、のそのそと起き上がり、拭きやすいようにと背を向けてくれました。
「お母様、赤ちゃんはいつ頃お産まれになりますか?」
私は濡れた布をお母様の背に当てながら問いかけると、驚いたかのようにお母様の体が震えます。
「ひぇあっ!?」
布が少々熱すぎたでしょうか?
人肌よりと同じくらいにしたはずですが……。
「どうかしましたか、お母様」
「どうかしたじゃないって! いきなりなんてこと聞くのっ!」
振り返ったお母様の顔は真っ赤でした。
「おかしな事を言ってしまいましたか?」
人間はよくわかりません。
私が問いかけてみると、お母様はポカンと口をしばらく開けてからため息を吐きました。
「子供なんてそんな簡単に産まれないって……。そもそもなんで知ってって……そっか……聞こえちゃうのか」
突然落ち込み始めるお母様。
そんなに恥ずかしい事なのでしょうか?
「リア様やユイカ様も気づいている様子でしたよ」
「うそっ……」
目を見開いてこちらに顔を向けたお母様に、ウソではないと伝えるために首を横に振った。
「どうやらこの屋敷の壁は音を防ぐことはできないようです」
「いやーっ!」
背中を拭いている途中なのにお母様がシーツの中へと隠れてしまいました。
「お母様、それでは体が拭けません」
私が呼びかけるも聞こえてないのか、お母様はシーツに包まれたまま暴れ始める。
「うそうそうそっ! 初めてだったのに周りに聞かれてるとか最悪っ! もう顔会わせられないっ!」
やはり人間とは分からない生き物です。
家族を増やす行為を恥ずかしがるなんて、種として正しい行いですのに。
「お母様、人間は家族を増やす行いに恥じる必要があるのですか?」
「恥ずかしいものは恥ずかしいの! あー! もう! あーもうあーもう! うあーー!!」
枕に顔を埋めたお母様の両足がバタバタとベッドを蹴りつけると、部屋に埃が舞い上がる。
「これも聞かれていますよ」
「ふぇっ」
お母様が凍ってしまったかのように固まってしまいました。
「……もう最悪」
枕に顔を押しつけながら口にしたお母様の言葉はとても小さく聞き取らずらいものでしたが、狼の耳で拾えないほどではありません。
「落ち着きましたか?」
「……もうちょっと」
「もうちょっととはどのくらいでしょうか?」
「…………」
やはり人間はよくわかりません。
「……なんで……なんでテテは赤ちゃんのことなんか聞くの?」
「聞いてはいけませんでしたか?」
「別に……そんなことはないけど……。質問を質問で返さないでよ」
どうやら質問を質問で返してはいけないようです。
難しいものですね。
「我々グレイウルフは群れが家族です。そして私はお父様の子ですから、お母様が産んだお父様の赤ちゃんは私の兄弟も同然ですよね」
お父様は使い魔と交わろうとしませんから、必然的にお母様しか子を産めないのです。
「……それだけ?」
「それだけとはなんですか。子は未来そのもの。子なくして繁栄なしです」
「いや、なんかもっと理由があるのかなって思ってたから」
「子を産むのに理由が必要なんですか?」
家族を増やさねば種は滅んでしまうだけなのに、人間は何故こうも不思議に生きるのでしょう。
そこが惹かれる魅力でもあるのですが。
「理由って……。だって子供だよ? 命が新しく産まれるんだよ?」
「お父様は毎日何十体の命を召喚していますよ」
「たしかに……」
私の言葉にお母様がなんとも言えない顔をする。
「1人や2人増えたところで変わりません」
「そういう問題じゃないんだけど……」
「やはり人間は理解し難いです」
「こっちのセリフだよ……」
そういうとお母様は笑い出してから上半身を起こし、背中を向けた。
私が何を言う前にお母様の背中に再度温め直した濡れタオルを当てようとすると、お父様と同じ黒曜石よりも美しい髪が流れる。
「じゃあ、もし産まれることになったら、テテが抱き上げてね?」
お母様の考えていることは未だに理解できないことが多いですが、共に時間を過ごせば過ごすだけ分かってきました。
この身が森に帰るその時まで、お側に仕え続けられるのだと。
「喜んで抱き上げましょう。お父様から貰った、この両手で」