混沌とは理解できないのではない、理解したくないのだ。
アルゼッドの街から俺が捕まっていた盗賊のアジトの方角へ延びる街道を馬車が一台走る。
ミルの街が勇者とやらに外壁を破られ奪われてから、警官の役割も兼ねていた軍がいなくなり、街道は荒れ放題だった。
以前までは定期的に馬車が通っていたであろうこの道は誰も通らなくなってから数十日以上経過してしまったせいで木片やらなにやらが落ちていて、馬車ではスピードはあまり出せなくなる。
「ご主人様、姫が泣いてしまいました」
揺れる馬車にうんざりし始めた頃、御者席のリアの家に仕える専属御者の隣に黙って座っていたクロが突然後ろの荷台の椅子に座っていた俺に視線を向けた。
「泣いた?」
「はい。ですが小泣きのようで安心しました」
俺の聞き返しに頷きながらさらに状況を分かりやすく一言で教えてくれるクロ。
「泣き虫鳥」
隣に座るフラフィーがボソッと呟いたのは聞かなかったことにしよう。なんでこう使い魔同士仲良くしないんだろ。
テテやツツ達を成長させた当たりから分かり始めたことなんだけど、使い魔との情報共有って相手側もしくは自分側が思考を送りたいと思っていないと共有できないらしい。
テテの行動を把握したくても、テテが共有したいと思っていなければ俺はしることができないのだ。なぜか俺の思考は筒抜けらしいけど。
ただこれには制約というか、成長した使い魔でないと思考の使い分けはできないらしい。
単純に喋れるかどうかの違いな気もするけど。喋れるほどに意識がある使い魔なら成長させていなくてもできるんじゃないかな。
まあ、そんなわけで、何が言いたいかっていうと、俺には成長させたとたんに大量のウィスパーレイヴンを引き連れて屋敷の外へと飛び出していったシロの思考が読めないということだ。
だからクロに聞かされるまで分からなかった。
意識したらシロに付いていったウィスパーレイヴンの情報は共有させられるが、基本的にウィスパーレイヴンの情報は全部クロにいくようにしている。
俺にはクロから要約された情報だけ聞けばいい。
「なんで泣いたのか分かるか?」
「どうやら敵と接触したらしいですね」
「大丈夫なのか、それ」
少し驚いたがクロに慌てた様子もないので俺は努めて冷静に聞いた。
「問題ないようです。接触した敵は姫の泣き声で沈黙した模様」
「鳴き声……?」
自分で召喚しておいてなんだけど、俺はあまりウィスパーレイヴンのことをしらない。
彼らの習性やら特徴やら、狩りの仕方なんかも。
「泣き声でございます」
「どっちも似たようなもんだと思うけど……」
俺の考えを聞いて頭を横に振るクロ。
彼らウィスパーレイヴンにはハッキリとした境目があるらしい。
「ご主人様。我々ウィスパーレイヴンは声を届けることで群れを成し、狩りをこなし、獲物を捕らえます」
「声?」
「はい、声でございます」
クロは顎を上げて自分の喉元を見せたが別段何か特徴があるわけではない。
「我々は仲間同士でやり取りをする声を鳴き声、獲物を捕らえる声を囁き声、そして姫のお怒りを泣き声と表現しています」
「ふーん、まあなんとなくはわかるけど」
「白い翼を持つ姫は我々ウィスパーレイヴンの群れの象徴として君臨します。それは処女雪の如き美しさの羽に包まれているせいもありますが、それだけではありません」
クロは少し間をおいてからもったいぶるように続きを口にする。
「先ほども仰った泣き声でございます。彼女が大泣きすると天が震え地が割れるんです」
「いや……それはさすがにないだろ」
「わたくしめも実際に見たことはないのでそうは思いますが、自分の本能が彼女に従わなければそうなってしまうと言っているのです。だから我々ウィスパーレイヴンはシロが生まれたら彼女を姫として仕える」
「彼女を泣かさないために……か?」
「そうでございます」
ご明察と言わんばかりに頭を下げるクロ。
実際にあり得るのか?
あんな幼女か少女かの女の子の泣き声だけで地が割れるなんて。
「ああ、それでさっきは小泣きで安心したとか言っていたのか」
「その通りです。大泣きとあらば近くにいた仲間ですら無事では済まないですから」
「うわぁ……」
途端に自分の使い魔ながら恐ろしくなる。
絶対に泣かせないようにしないと。
そんなことを思っていると次第に馬車がゆっくりとスピードを落とし始めた。
「着いたのか?」
「はい、ご主人様」
俺がこうやって馬車に揺られているのはシロを追いかけるためだ。
召喚したシロに絆刻印を授けたあと、さっそく成長させるととたんに笑いながら嬉しそうに空を飛んで行った彼女を迎えに来た。
だが、なぜか敵と遭遇したりしてるし。
相手は魔物か何かだろうか?
無事らしいし心配はあまりしていないけど……。
あれこれシロのこれからの扱いを考えながら馬車を降り、クロについていく形で木々が連なる林の中へと入っていく。
しばらく歩いた俺の目の前に広がっていた光景はカオスそのものだった。
泣きじゃくる子供。
耳から血を流して倒れる銀の騎士。
困惑と緊張と疲弊が伺える毛むくじゃらの人間なのか獣なのか分からない集団。
そして右手と両足がロボットのようになった黒髪の女性。
「なにこの状況」