倫理観が平和ボケの象徴とはよく言ったものだ。
「本当にいいの?」
日が登り切ってしばらく。すでに降りようと傾き始めた太陽から分かる通りに昼真っ盛りなはずなのに、部屋の中は薄暗かった。
それはまるでウチと彼らの心境を映し出しているかのように。
「頼むよ、センセイ」
森人ではないが、村での力仕事をなんでも引き受けているという彼は、椅子に座ってウチに両腕を差し出す。
彼の名前は確かハビア。
ウチはハビアの両手に手を翳そうとするも、すぐには動かせなかった。
この世界に来てから気になる事や分からない事など増える一方なんだけど、そんな中でウチが唯一疑問を持たずに使っていたのがスキルだ。
スキルだなんてゲームみたいなもの、普通なら一番最初に疑うはずなのに。
自分が勇者でスキルを使える。
その事だけは脳に刷り込まれたかのように最初から理解していた。
だからスキルを使う事にも抵抗はなかったし、暗い森の中で使わないなんて選択肢はなかった。
事実、ウチはスキルを使わなかったら生きてはいけなかっただろう。
腕を魔巧機化するスキル。
身体を謎の金属に変換するなんて物理法則を逸脱しているとかそんなレベルじゃない。
ましてやそれを自由に操れるなんて。
そしてなにより体の一部を変換すると言う事にウチは強い抵抗を感じていた。他人であろうと自分であろうと。
現にウチは右腕しか魔巧機化してない。
便利なのはわかるのだが、これ以上自分の体を冷たくしたくなかった。
引退するしかなく歯がゆい思いをしていた森人の彼らに腕や足を与えるのに忌避感はなかった。
人に義手や義足を与えるようなものなのだから。
感謝こそされ恨まれもしない。
自分も喜ぶ彼らを見て嬉しかった。
でも健康的で何不自由なく使い続けている腕を、自分の意思で決めたこととはいえ、魔巧機化するなんて躊躇う。
普通の人間なら誰だって躊躇う。
ましてや彼は一児の父だ。
彼の子はカラリ達と共にウチの元へとやってくる一人なのだから。
そんな子供達から父親の腕を奪っていいのだろうか、なんて躊躇いが頭をぐるぐると回る。
「センセイ、どうかしたか?」
ハッとすると部屋にいた全員が私のことを見ていた。
この村では比較的若い層に入る男性達。
なぜウチが彼らに囲まれているのかというと理由は簡単で、彼らを全員魔巧機化することが決まったからだ。
「な、なんでもないかな」
ウチは慌てて頭を振ると、目の前の無骨な手に自分の手を重ねた。
「魔巧機肢化」
ウチがスキル名を唱えると、心境の明るい暗いなどまったくもって関係ないといわんばかりに彼の腕が空想的な光に包まれる。
ここにいる者達はまだスキルの使用を直接見たことが無い。各々がバラバラなれど、それぞれに感嘆の声をあげる。
「こ、これが……」
まじまじと自分の腕を眺めるハビアを見て、ウチは申し訳なさでいっぱいになった。
「脚も出して」
「あ、ああ……」
自分の腕を触っている彼の両足へとさらにスキルを発動する。
これで彼は四肢を全て魔巧機化した事になる。
ウチに魔巧機化した腕や脚を元に戻すスキルはない。
彼はこれから一生温かみのない腕と脚で暮らしていかなければならないのだ。
子は頭を撫でられても温もりを感じる事はないだろう。
「センセイ、どうもな。これで家族を守れる」
尻尾を揺らして立ち上がったハビアが感謝の言葉を口にする。
「……感謝されることなんか……してないかな」
「そんなこたぁねぇよ。センセイがいなければ俺たちはこの村を捨てないといけなかったかもしれねぇんだ」
「そうだぜセンセイ」
「今日はお礼に1番良いところの肉を持っててやるからな」
周りにいた男達がそれぞれに感謝の言葉を口にしていく。
この厳しい環境の中で生きていくには腕や脚の温かさなんて二の次三の次なのだろう。
死んだらそこで終わり。
温かさなんて平和ボケしたことも言っていられない。
それでもウチの心が晴れる事はなかった。
「ありがと……」
「お礼を言ってるのはこっちだぜセンセイ。あんま考えすぎんなよ」
ハビアは可笑しそうに笑ってから立ち上がり、外へと出て行った。
「次、誰がやる?」
ウチは気持ちを切り替えるように周りへと顔を回した。
***
「64人。村の戦える奴はこれで全員だ」
ドリノの言葉を聞きながら、村の中央の広場に集まった男性陣を見渡した。
ここに集まった者は全員が全員魔巧機化されていて、腕と脚が金属になっている。
そんな者達の視線がウチへと一点に集まっていた。
「まずは全員に新しく取得した《加速機構・脚》を追加する」
「剣や銃ってのとは違うのか?」
「違うかな」
ウチはゆっくりと否定の言葉を口にしてから、自分の足に手を添える。
「魔巧機肢化」
スキル名の発声をトリガーにウチの脚が光に包まれていく。
魔力の渦に包まれて、体の組織から細胞から、生命の根底の底にあるナニカが硬く冷たい金属へと変わっていった。
この感覚に慣れるなんてことは一生なさそうだなと、二度目ながらにして思う。
「お、おい。センセイ……」
「いいの。みんなに戦ってもらうんだから、見本くらいは見せないと」
光が収まると浮かび上がるのは銀色に鈍く光る魔巧機化した脚。
軽く踏み込んだだけで生身との力の差を感じる。
今ならばオリンピック選手よりも早く走れるだろう。
「加速機構・脚」
ウチはさらにスキル名を唱えた。
先ほどよりも強めの光に包まれた脚だが、あまり変化している感じはしない。
みんなの視線が集まる中、光が収まるのを待ってからウチは再び喋り出した。
「今から見せるのが加速機構」
使い方はなんとなくわかる。
知識として理解しているのではなく、感覚として分かるのだ。
ウチが力を込めると脚が薄く瞬き、魔力が循環する感覚がひとまとまりになった瞬間に一歩走りだすと――、
「ひぁっ」
中央広場から飛び出して家の壁にぶつかりそうになる。
慌ててブレーキをかけて、地面をえぐりながら家の壁に手をつくようにしてなんとか激突を免れたウチは振り返った。
「これが奴らを殺すために取得した……新しいスキルかな」