地球脱出
「お前らぁ荷物はまとまったかー?!」
ロイトは使う予定のない工具やガラクタを詰めたバックパックを背負いながら、私たちに声をかける。
「問題ない」
「いや、マナ。お前ほとんど手ぶらじゃねえか」
「あいにく、私は使い慣れた道具というものがなくてな。地球から持ち出すのは古文書と……、カタナと、翼だけで十分だ」
「そっか」
そして、方舟から伸びた乗舟階段に一人ずつ乗っていく。
いよいよ、地球を脱出する時が来た。太陽の超新星爆発は約1ヶ月後。ギリギリだが、何とか爆発圏外へ逃れられるだろう。観測予定の爆破範囲さえ超えれば、人類は生き残り、新たな惑星で新たな文明がはじまる。
方舟に乗った舟大工たちは甲板に集まっている。一人、一人と搭乗していく。
そして、ロイトが「お先に」と乗り、私はジイと二人になった。
「どうした、マナ。まだ、名残が惜しいかの?」
「いいや、もしこれに私が乗らず、一人で地球に残ったら……。なんて、考えてた」
「ははっ。地球滅亡を眺めるか。それもまた一興じゃろうな。……じゃが、ワシらは約束したはずじゃ。新しい惑星で、生き残った家族と新しい生活を始めるとな」
「でもまた人間たちにいいように使われるだけなんじゃないの?」
その質問に、ジイは言葉をなくす。
結局、どこにいっても人間は同じだ。この欲と怠惰に塗れた人類が、新たな惑星で何を始められるというのだろうか。
この方舟に引きこもり、堕落した生活を送るのが関の山だろう。
「そういえば、いつかジイたちが言ってたよね。方舟造りをやめて、小型の舟を造る。そこに方舟施工技師団が乗って人類を見棄て地球を脱出しようって話」
「そういえばそんな事も話しておったの」
「もしもさ、新しい惑星で、人間たちが何も変わらないようなら。その惑星を抜け出して、私たちで宇宙一周旅行でもしようよ」
「……面白そうじゃな。今、ワシにも、そんな未来もあるのかと思うとこれまでの月日が報われる気もする。
……さあ、マナ。時間じゃ。地球を、出るぞ」
「……うん」
ジイがエレベーターに乗り、搭乗する。
私もそれに続く。そして、1段目に足をかけようとした時、ふとその足を止める。
躊躇い、だろうか。なぜか、名残惜しくなってしまった。ふと、振り返る。45年間生きたきた地球の姿を、荒れ果てながらも、まだその息吹を絶やさない赤土の大地へ――。
「……それじゃあ」と、小声で別れの挨拶を呟いた。
エレベーターを乗り終え、甲板に立つと、皆が集まって談笑していた。ジイが全員の搭乗完了を乗組員に伝えると、操縦室から戻ってくる。
「さて、それじゃあ。お別れの時じゃ」
ジイがそう言うと、皆も一様に頷く。
すると、ガクン。と舟体が揺れ、舟底に付いた車輪が回り始める。
方舟は前進し、造舟所を出る。そして、徐々に加速しながら両サイドから櫂が飛び出る。
舟の装甲に微弱な電流が流れ、それに反応した浮遊石が緑青色に点滅したかと思うと、ゆっくりと船体が浮かび上がった。
それと同時に車輪は接続解除され、大地へ落ちる。櫂は一定のリズムで漕がれ、浮遊石の軌道を操りながら浮上していく。
私たちは上昇する船体の甲板から、遠ざかっていく地球を、大地を眺める。
もう、あそこには何も残されていない。生物も、文明も、何もかも。
一億年以上にもわたって人類が、あらゆる生物が生息していた地球から、私たちは乖離していく。
地球に残された生物、資源を全て積み込んだ方舟は、ついに旅立った。
得体の知れない感慨が澎湃と浮かび上がり、胸を満たしていく。
そんな機能は備わっていなかったはずだが、その感情に押し潰されそうになる。これは何であろうか。
悔恨か、寂寞か。どこかで、納得していないのかもしれない。
しかしそんな感情を全て飲み込んで、私は行く先を見た。果てしない太陽の光に満たされた空だ。あの光を超えれば真っ暗な”宇宙”が広がっているという。
僅かに残った地球の重力という枷から解き放たれた人類は、ついに宇宙へと浮上していく。
この方舟の基盤であり、軸の全てであるといっても過言ではない”救済粒子”は一切の太陽熱を遮断し、本来なら燃え溶けてしまうような温度でさえも特殊な耐熱被膜で方舟全体を覆う。
宇宙の無重力状態でさえもその影響を受けず、万物の常識を逸脱した人間に与えられた最後の奇跡は、悠々と空を越えていく。
全人類200万人を乗せた計10隻の方舟は、こうして地球を跡にした。
10隻の舟は並列に並び、搭載した巨大電磁版による遠規電磁結合によって互いを引き合う。そして絶妙な距離を保ちつつ、一隻も外れることなく惑星へ一直線に向かっていく。
少しでも時間がズレれば遠規電磁結合との引力範囲を捉えられず永遠にこの方舟は放流してしまう。
大気圏を抜けてからのタイミングが大切だが、この様子だとおそらくタイムラグを起こさずに、完璧にキャッチされるはずだ。
大丈夫、大丈夫なはずだ。
「マナ、どうした。浮かない顔をして」
「いや、何でもないよ。この舟に不備はない。そのまま、地球を抜ける……。はずなんだ」
けど。
「何だか不安で。本当に地球を捨てるのかと思うと、これで本当に良かったのかって、思えてきて」
「2000年前の人間の判断じゃからな。もしかしたら、地球に残り共に滅亡するのが良かったのかもしれん」
すると、ロイトが私の肩に手をやる。
「まあ、そう心配するな。確かに、この地球は跡形もなくなくなっちまうが、俺たちの記憶の……、心の中にはこの星の存在は永遠に刻まれている」
「なんか……、ベタだなあ」
そう言うと、笑った。この機体に搭載された限りある感情の中で、これは嬉しいという感情なのだろうか。
その場に最も適した感情を脳細胞がセレクトし、全筋器官へ伝達される。
笑うのは久々だった。
そうして、私は再び身を乗り出すようにして、地球を見る。人間が保身のために捨てられた地球はそれでも、全てを受け入れるように。一億年もの歴史の中で不動の姿勢を崩すことなく鎮座し、避けることのできない運命を待っている。
もう目で捉えられるのは土の色だけになった。
点滅を続ける浮遊石は舟をどんどんと浮遊させていく。
薄くも白い雲を抜ける。本来広がるはずの光の屈折が生み出すはずの青空はなく、灼熱の太陽がこれでもばかりに赤灯に染めていく。
黄昏とは、この事だろうか。
太陽の光が強く暗示する”終わり”
この地球は神様によって作られたと古代の書物――『創世記』には書かれていたが、世界を終わらせるのがずっと地球を照らしあらゆる恩恵を与えてきた”母なる太陽”などとは皮肉なものだ。
そう思っていた時、ふと、視界の先に赤い文字が点滅していた。
私の右目は改造された機械式の義眼だ。その義眼に搭載されたシステムは”方舟の不備、不調、誤差などを探知する”ものである。
私の仕事は主にそれを察知し、調整するというものだった。
見慣れたその文字が暗示したそれは、私をしたたかに打ち付けた。
【error】
その赤い文字が点滅して、その意味を理解し察知するのに優に3秒もの時間を有してしまった。
「……ジイ!!」
私は咄嗟に大声で叫んだ。何事かと走り寄ってきたジイに、私は焚きつけるように叫ぶ。
「【error】だ。舟のどこか、おそらくこの付近の装甲に損傷がある」
「馬鹿な……。今まで何度もチェックしてきたはずだろう?」
「うん。でも、分からない。もしかすると、こっちの義眼が故障したのかもしれない、けど」
「確率論でいえば、見過ごすわけには行かねえ……か」
いつのまにか聞きつけて介入してきたロイトが指摘する。
「マナ、今すぐ正確に見よ」
「わかった」
私は再び甲板の淵から身を乗り出し下を――装甲を見る。下にいくにつれその輪郭はボヤけている。
どこだ?!アラームのように点滅し続ける【error】の文字を必死に脳内から排斥しながら、隅々を眺めまわす。
「くそ……。箇所は、舟底か……」
「何故だ。今までの舟と材質、配分、全てが同じ構造で造られているのに、最後の舟だけ負傷しているのだ?」
「考えられるのは、太陽爆発が急激に近づいてるからじゃ、ないか……。温度が格段に上がっている。最後、救済粒子をちょうどに使い切ったとばかり思っていたが、少し足りなかったのか……、熱量に耐えきれなくなったのかもね」
「かもな。だが今はそんな原因追求はいい。このまま負傷が悪化し、舟が減速でもすれば、前舟との接続が出来なくなるぞ」
どうする――。全員の思考がその疑問を突き出す。
今から舟の内部から船底に向かっていては大気圏を突破してしまう。前舟と連結した後に損傷が悪化し船が停止でもすれば、残り9隻にも影響が及ぶ。
だが、船底まで装甲伝いに行ったところで振り落とされ落下するのは自明の論である。
何か――。ないのか。
空中でも故障を治せるものは――。
「……っ!」
私は、その時。
何も言葉を発することなく、ただ真っ直ぐに走り出した。
「……マナ?!」
ロイトが驚き制止しようとその手を伸ばすが、私は振り向かない。
走った身体を止めることなく、甲板の淵に足を掛ける。
そして――。
――思い切り、翔んだ。
「あるんだ……、私にはっ。この空を飛べる翼がっ!!」
脳細胞のすべてのエネルギーを翼に流し込む。ジイが作り上げた金色のつばさはそれに呼応し、強く大きく羽を羽ばたかせる。
機械の重さも相まって、どんどん落下していく。
遠ざかっていた大地は、近くなっていき、乗っていた希望の方舟は遠ざかっていく。
――失敗した?
そう思ったのもつかの間、ようやく自由を取り戻したのか翼は私の意志に従い上昇していく。
舟の上昇速度は遅く、余裕で追いつける。
何故、あの時飛び降りたのか。それは、わからない。
ミスを見逃した私の精一杯の贖罪だったのかもしれない。
たった一隻しか携わっていない、ましてや調整のみしかやってこなかった自分に周りのみんなとの劣等感を感じていたのかもしれない。
けど、そんな事は関係なかった。
翼が、無意識に動いたのだ。
今頃甲板では大騒ぎになっているかもしれない。でも、ジイならきっと分かってくれるはずだ。あの時のジイの目は「行ってこい」と、そう言っていたような気がした。
拳を強く握る。翼は休むことなく躍動している。
助けるんだ、ノアクラスタの――、仲間のみんなを。
「私だって、最後にいいところ見せたいんだよっ」
そう大喝すると、私は全速力で方舟向かって翼を羽ばたかせた。