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ノア計画




 屋外に行くと、夜が来ていた。

 光の消えない、明るい夜だ。

 一人で物寂しく腰を下ろすと、ロイトにもらい腰に差したカタナが板と擦れ合い、音を立てる。

 空に煌くのは太陽の光のみで、かつてあったと言われた星は、ついにこの目で見る事を叶わなかった。


「星って……、どんなものだったのだろう」


 文献に記された宇宙神秘学の単語を、自然科学の定理に晒す。”自然”など、見る影もなく、荒れ果てた大地は、終わりの日を待つ。

 水平線まで続く大地は、全ての水を干上がらせた太陽の光を漫然と浴び、抵抗する事すら叶わず静かにこの地球(ほし)を包む。


 するとふと、別の機体が隣へ腰をかけた。


「星ってのは、人の持つ魂の輝き。かつての人類はそう定義していたんじゃ」

「魂……」


 白い蒸気を吐き出しながら、ジイは静かにそういった。


「今の人類に欠けた、心の象徴じゃよ……。また、シケた所におるのう。マナは」

「……仕方ないさ。みんなが昔話なんて始めちゃあ、私の居場所がないもの。みんなが話すその時代には、まだ私はいないのだし」

「そんな事はない。20年だろうと、200年だろうと、思い出を持つという事だけで疎外感なぞ捨て去ってしまえ。量より質だというであろう」

「量より質ねえ……。じゃあさ、ジイはどう思う?この人類を。量だけ多い、慢性と怠惰に塗れた人間たちを」

「どう……とは。また難儀な質問じゃな。……マナよ、お前さんは誤解しとる。お前さんは、生まれた時から見てきた人類の姿しか知らない。確かにワシらはあの者たちに改造(つく)られ、利用されてきたが、何も憎悪の念を抱くほどの事ではない」


 駆動していた筋電義身官(オートジェネバ)はいつしか全機能が活動を停止し、今は沈黙(サイレンス)状態(モード)になっており、脳細胞から送り出した筋機器への応答は大きなタイムラグを伴いながら動く。

 その中で両腕を後ろへやり、機体のバランスを取る。


「ねえ、ジイ。教えてよ。私、知りたいんだ。ジイの見てきた人類の姿を。ジイは2000年前から方舟の創り手(ノアクラスタ)をやっているんでしょう?」

「そうさなあ。よくよく思い返せば、マナにこの話は一度もしてこなんだ」


 それを聞くと、ジイは片手を持ち上げた。


「人間は確かに自分勝手じゃよ。じゃが、人類の愚かさなど、取るに足らん。何せ――」

「地球が終わるから、でしょ?ジイは私に、舟の創り方しか教えてくれなかったけど、私だってちゃんと知ってるんだから」

「地球が終わる、か。あの頃は、それこそ夢物語かと思っておったが、よもや実際に起こる事になろうとはな。

 時に、マナよ。今年は何年か知っとるか?」

「傾暦2000年。西暦換算、一億2000年。ロイトが教えてくれた」

「なぜ、傾暦というかは、知ってはおらんだろう」

「うん」

「傾暦とはな、傾く――。終わりへ向かうと言う意味じゃ。昔の言語では意味合いが違ったらしいが、この時代まで同じ意味で使われてきた言葉など一つも存在せん。

 でじゃ、傾暦元年のその日、世界最大の天文学機関《ISSs》は、太陽寿命による超新星爆発(スーパーノヴァ)の危険性を研究し、2000年後に行われることを発表した」


 淡々と話し始めたジイの声に、金属特有の摩擦音はなく、澄んだ声が聞こえ響く。

 造舟所で飲み明かしている他の機体の笑い声はどこか心地よく耳に届く。


「全世界のあらゆる分野の研究者はコゾッてその信憑性を検証したが、全ては立証を裏付けるものとなった。そしてその時、人類には二つの選択肢があった。

 残された2000年を最後まで地球で生き、滅びるか。生き延びるための方法を模索しながら生きるか、じゃ」

「で、人類は生き延びるのを選択した」

「うむ。超新星爆発(スーパーノヴァ)による地球滅亡まで2000年のカウントダウンが始まった中、世界政府が提案した人類移住化計画――通称《ノア計画》。それはノアと呼ばれる箱舟にのって他惑星へ移るというものじゃ」


 そして、真下にある舟を見やる。巨大な舟だ。それを雄に上回る、世界最大の建造物とまで呼ばれた造舟所で、もう2000年も人類存続のために舟を創り続けてきたのだ。私が携わったのは最後の10隻目のみだったが、それでもその作業量は膨大なものだ。

 確かにこの舟に乗れば地球脱出は夢ではない。現に9隻は既にこの地球を後にしている。私は外装のみしか請け負っていなかったが内装もよくできているのだろう。


「全長700m:tl、幅90m:tl。乗員数、20万人。全人類200万人を乗せた十隻の箱舟(ノア)が地球を脱出する。夢のような計画じゃった。

 じゃが、一度人類は失敗を経験しておる。今から一億年前にも、同じような人類移住計画が行われており、それは度重なる試作と成功により、確かに実行された、が。

 1万人もの人間を乗せたエレベーターは大気圏突入後、誤作動により地球へ真っ逆さま。歴史上類を見ないほどの悲劇的な事件となった。

 足りなかったものは何か。大気圏を突破し、宇宙空間を漂えるだけの”原子(ぶっしつ)”じゃ。

 じゃがある年、人類が到達した新惑星で新種の資源を発見した。あらゆる自然的な外傷、力を受け付けない粒子。マナ、お前さんの肉眼を守っておるその包帯、セーラー服にもそれは使われておる」

「人類を救った奇跡の粒子。救済粒子(ゴフェル)。ノアのフレームの基盤となり、私が最後の最後まで調整に追われたあの素材か」

「そうじゃ。そのおかげで《ノア計画》には拍車がかかり、研究員や修理士、その他”物を創り出す”のに長けたものたちは皆、箱舟創りに狩り出された。世界政府はワシらを箱舟の創り手(ノアクラスタ)と総称し多大なる金銭をかけ、長い模索と苦難の末”600年をかけて”ようやく一隻が完成した。先の見えない、悪夢のような600年じゃった。

 その頃から人間の干渉はなくなっておった。当然じゃ。地球上全ての資源をほぼ使い果たし、太陽の気質変動によって、地球上の酸素濃度は極度に低下。人類は世界政府本部(ステーション)へ駆け込んでおった。 ワシは軽くなっていく期待を背負い、幾度もパーツを組み直され、仲間の壊れた部品を新たな資源へと組み替えた。闇雲に、残りの9隻を創り上げた」

「そ……っか。でも、どうしてジイは今でも残っているの?最初のメンバーはみんなスクラップになったんでしょ」

「何故じゃろうなあ。ワシももう、覚えとらんよ。ただ、例え脳細胞以外を機械に変えられあらゆる人間本来の感情や機能が消え去っても、生きたいという気持ちだけは残り続けたからかもしれん」

「2000年前の記憶を持つ唯一の脳細胞、か。結局、ジイたちが機械の身体を手に入れた時点で……、いや。地球滅亡が決まった時点で”人類の本質”は滅んでいたのか」

「確定した安寧は人を欲望のままに生きる化物へと変え、堕落させた。全てを機械に任せ、人類は飛ぶための翼を失った。じゃから、マナ。お前のその瞳に宿る意志が、その翼に大きく反映されておる」


 眩いほどの煌めきを、漫然とその背に宿し。私はその翼を広げる。意志に呼応する機械仕掛けの翼は、私を解き放つのだろうか。桎梏すら厭わない、心も自由も知らない機械に。


「堕落した人間は、今も新たな惑星に心を躍らせているのだろうね。先に出発した9隻に乗った人間も今頃このちっぽけな地球を眺めているんだ」

(こころ)を失った人類は、どこへ生き延びようとのうのうと生きた先に待つ終末で、同じ過ちを繰り返すであろう。人間は、いつの間にか本来向かおうとしておった道から大きく足を踏み外し、描いた未来を見失った。代々受け継がれてきた方舟施工技師団(アララト)箱舟の創り手(ノアクラスタ)のことなんで忘れて、な。それよりマナ、明日この地球を発つ用意は出来ておるのだろうな」

「用意って、何もいらないでしょ」

「まあ、確かにの。もう、この腕を使うこともあるまい」

「でも、私はあの文献を持っていく。例え、人類がこの地球を脱出して、1億年以上にもわたって紡ぎ続けた文明を捨てたとしても。私だけは知っていたいし、その依代を持っていたい」

「物好きなやつじゃのう」

「当たり前じゃん。一億年も前の文明が記されているんだよ?あったかどうかもわからない。もしかしたら、誰かが適当に人類史は一億年もあるなんて吹聴しただけで、実際、この地球が出来てまだ3000年と経っていないのかもしれない」

「まあ、物的証拠などなくて当然じゃからの。マナのその古文書。2000年前なら大金で売れたであろうに。まあもう、金銭の感覚もないが。それにしても西暦5000年になくなった製紙なんぞを最後に拝めることができたのなど、考えておらんなんだ」

「過去……か。未来から目を逸らして過去ばかり見てるのと、未来のことばかり見て、過去を捨てるの。どっちが正しいのかな?」

「さてな。そもそも何が正しいかなんて、神様が決めておったのにのう」


 神様……。

 人の”心”が生み出した、象徴。


 その神様もこんな翼を付けていたのだろうか。

 あやふやな『創世記』を読むだけでは、分からない。唯一人類に残された文明の書物も、今では様々な解釈が足され、本来のそれとは別モノになってしまっている。


「全ての事象の決定権を有する神様。なら、地球滅亡なんてのも、神様の気まぐれなのかな。だとしたら……」


 私はゆっくりと立ち上がり、両腕を広げる。


 だとしたら……、どうなのだろう。それを無抵抗に受け入れるのだろうか。

 分からない。しかし、自分の意志が介在していることに気づく。

 意思と心の違いとは何なのだろうか。

 私はまだ、地球というこの世界の規模を知らない。分裂していた大陸が、一つなぎの大陸へと変容したように。

 どこにでも心となる媒体や欠片は転がり落ちていて、何かを考えるごとに拾い上げていた。


 人間ではできないことだ。

 そも――、この景色を見られるのも、私たちの特権なのだ。

 人間は変質してしまった空気に対応しきれず、外へ出ることはできない。だから人間は知らない。自然と触れた時に感じる、この颯爽とした清々しさを。私はそんな優越感を、どこかで感じていたように思う。


 そんな物理的なことなど、しかし今では瑣末なことである。


 何度めか分からない過去への追憶。私がまだ、生まれていない時代の想像。人々はどのように生きてきたのか。その軌跡をしりたい。

 私とは違った日常を持ち、私とは違う人たちと触れ合う。

 限りある人生の中で大切なものを見つけ、守り、散っていく。

 そこにあるのは、私が憧れていた心、そして、愛だ。

 その象徴として具現化への願望を、私の脳内が自発的に直感的に感じ取ったのかもしれない。天使のイラストに。身につけた翼に。


 飛べる気がする。

 行ける気がする。

 最後に思い切り何かがしたい。

 私の憧れた、過去の人類の心を胸に宿して。


「ジイ!」

「なんじゃ」

「ちょっと行ってくる!」


 そう言って、私は筋電義身官(オートジェネバ)の出力を高めながら、両脚を動かし走り出した。いつもより、身体が思うように動く。ジイのメンテナンスのおかげだろう。

 そして、その勢いを殺さず造舟所の屋上から地上に向かって飛び降りた。


 私は完成した翼を羽ばたいてみた。すると、体が宙に浮きあがる。

 飛び方なんて分からないし、どうしてこんな衝動に駆られたのかもわからないけれど。

 この地球で、最後に空を飛んだもの。最後に大地を駆けたものとして。

 どの歴史にも刻まれず、私だけの人生に残り続けるこの時間を。

 何度も大地を振り向きながら、どんどん上昇していく。

 飛ぶのが、楽しい。


 そして私は腰のカタナを抜き、両腕に構える。武士は己の魂を尊重し、また掲げたという。遥か古代の概念であるはずの”武士”や”魂”という単語をやけに簡単に受け入れている自分に気づく。

 しかし、そんなことはどうだっていい。

 失くした心を。欲しいと願い続けた心を。

 無理矢理かもしれないけれど、私は。

 天使の(こころ)と、武士の(タマシイ)をその身に宿し、ただひたすら走り、飛んだ。

 脳細胞から発する筋器官への命令は翼にも行き届き、要領を得ていく。

 鳥という生物がまだ絶滅せずにいたら、私の横で悠々とその羽根を羽ばたかせていたのだろうか。

 獣という生物がまだ絶滅せずにいたら、私の横でその四肢を駆動させていたのだろうか。


 分からないからこそ、イマジネーションは加速していく。

 たった一つだけ残された人としての器官”脳細胞”が、これでもかと言わんばかりに想像の泉を溢れさせていく。

 だけど、私にはもう一つだけ元の人間だった頃の産物が残っている。

 ”眼”だ。劣化を防ぐために外衝断界布(ほうたい)で覆い護ってきたが、私には瞳がある。

 一度それを解こうとするが、やはりと踏みとどまる。これは私が最後の方舟(ノア)にのり、地球を見たときに外すと決めている。


 そんな散漫とした意識を再び焦点を定める。

 そして私は、意味もなく空中でステップを刻み始めた。それに合わせて両腕は動き出し、手に持ったカタナ二本を自由自在に操る。おそらく他者から見れば意味不明であろうが、思うがままに筋電義身官(オートジェネバ)が軌道を描く。

 いつしかそれはリズムを生み出し、定められた音律のない自由なテンポで舞う。


 沈まない太陽は、寿命を間近に控えながらも途絶えることのない光を私へ届かせる。

 こんな巨大な存在に、地球の、人類の未来が命運が左右されるのだ。


 だが、後悔もなければ、どうあってほしかったなどという願望もなかった。


 それらの煩悩を振り切るように私は舞う。魂と愛。その二つが持つ意味も、それを掲げてきた人間たちの思惑も、理解せず。

 ただ、私が自分自身の定義を見出そうと。解釈を作り出そうと。

 眼に見えなくとも、感じられるそれを。機体(からだ)で精一杯”表現”していく。


 いつの間にやら活動再開した同胞(ノアクラスタ)たちも私を見ている。

 カタナを器用に手のひらの上で回しながら、多種多様な芸を広げる。


 生きているって、どういうことなのかを考えたことがある。答えは出なかったけれど、”思う通りに進む”それだけでいいのではないだろうか。ふと振り返ったとき、それに気づく。

 地球だって、終わりを前にして、振り返っているのだろうか。だとすればとんでもない量だ。


 そして、舞は終わる。


 地球滅亡まで残り1ヶ月。

 《ノア計画》により、1隻約20万名。計9隻180万名は既に地球脱出を終えた。

 最後の1隻も最終調整を終え、私たちが乗り込めば。


 もう、この地球とは、文明(せかい)とはサヨナラだ――。






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